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ノースの町へ戻ってきてからは、私の周りは騒然としていた。
シンシアに左手の腕輪を見咎められ、ニコレッタは意味深に笑って、他のメイドたちは腕輪の贈り主をひそひそと噂した。皆の質問を笑って受け流して、取りあえず相手が誰かは今のところ漏らしていない。まあ、物知り顔のニコレッタにはバレていてもおかしくないだろうが。そもそも、王都に滞在していた期間に貰ったものなのだから、相手は相当限られている。おそらく、信じられない人たちの方が多いのかもしれない。
私は心の中で独り言ちる。それもそのはず、初めは自分自身でも信じられなかったのだから。
ジェイデン様には、まだ私たちの関係を公表することを控えてもらっている。
皆の注目を浴びるのが恥ずかしいだとか、彼との関係を不安に思っているわけではない。ただ、私の生活ががらりと姿を変えることを恐れたし、結婚だなんて人生の大イベント、臆病な私は心の準備をする時間を欲した。
それに今まで通りの日常の中で、彼との関係を育んで行きたいと思っているし、彼のために屋敷を整えるのも好きだった。この生活をずっと続けたいとも思っていた。だけどきっと、私たちの関係が公表されたらそうはいかないだろう。
思い出として、もう少しこの服を着ていていいですか? メイド服の裾を持ち上げながらそう言う私を、ジェイデン様は少し寂し気な表情で見つめたが、わがままを言って無理を通している。
だけど、ジェイデン様と穏やかに日々を重ねる上で、私の心の準備も徐々にできつつあるのも確かだった。この人の妻として隣に立てたらどんなに誇らしいことだろうか。病める時も、健やかなる時も、彼の隣に寄り添い、彼を支えたい。そんな想いは、私の中でだんだんと膨らんでいった。
目が合えばほほ笑み合い、すれ違えば指を絡める。彼はことあるごとに私に求婚のような愛の言葉を囁くので、その度に私は顔を真っ赤にしてうつむくのだった。今日だって、そう――。
「リーコ」
ジェイデン様が、慈しむような声で私の髪へと手を伸ばす。彼の私室で二人きり。名目上は魔道具制作だが、平和が戻った今となっては魔道具の制作依頼も減った。だからこうして二人寄り添い、言葉を交わす時間だってある。
「こうして秘密裏に逢瀬を重ねていると、市井で流行している恋物語のようだな」
「……そんなもの、ジェイデン様は読むのですか?」
「読みはしないが、メイドたちがよく噂している」
ジェイデン様がくすくすと笑うので、私は笑みを深めて言葉を返す。
「恋物語ではないですか。あなたと、私の」
「……ああ、そうだな」
小さなリップ音が響いた。
彼をからかうつもりだったが、どうやらジェイデン様の方が圧倒的に上手のようだ。何度も繰り返したくちづけだって、未だに慣れそうにない。恥ずかしさで死にそうになる。じろりと彼を睨みつけると、まったく堪えていない美しい笑みを向けられた。
「…………不意打ち、やめてください」
「宣言すればいいのか? リーコ、するぞ」
ちゅ、っと今度はわざとらしく音を立てたくちづけが落とされる。それに私は反論する余裕すらなくて、声にならない叫びをあげながら、頭を抱えるしかないのだった。
□
私は、壁際に追い込まれていた。二人の追手は、両手を上げてじりじりと距離を詰めている。
「さぁ、そろそろ観念するんだなー!」
「ノリノリね」
「え? だってこういうことは雰囲気が大事でしょ?」
「そうかしら? リーコだって三文芝居を眺めるみたいな顔してるわよ」
ニコレッタが私を顎で指しながら小ばかにするような口ぶりで言うと、シンシアのやる気は一気にしぼんでいく。
「そんなぁ……」
「まあ彼女のことは置いておいて……リーコ、ちょっとこちらへ来なさい」
ニコレッタに手を引かれながら、彼女の自室へと足を運ぶ。後ろからはうなだれたシンシアがとぼとぼと、僅かに遅れてついてきていた。
ニコレッタの部屋は、何というか、上品である。部屋の広さや間取りは私のものと変わらないはずなのだが、猫足の家具だったり、薔薇をかたどった宝石だったり、レースのたっぷりついた小物類だったり。とにかく、白を基調としたお姫様みたいな部屋。
お父様が勝手に贈りつけてくるの、趣味じゃないんだけどせっかくの好意だから。ニコレッタはそういっていたが、この部屋は彼女によく似合っている。
そんな煌びやかに飾られた部屋には、小さなティーテーブルが置いてある。白とチョコレートカラーの寄木細工の天板のテーブルに、同じデザインのチェアが4脚。テーブルの上にはケーキドームに入った焼き菓子。女子の理想のお茶会を再現したような光景だ。
「厨房からお湯もらってくるねー」
「お願いね」
シンシアがそういって退室すると、残されたニコレッタは静かな微笑みをたたえて私を席へと導く。
「……どうしたの?」
「あら、わからないの?」
「まあ、何となくはわかってますけど」
「そう。じゃあ私も、手間が省けるわ」
ニコレッタが上品な金の模様の入ったティーセットを準備しながら答える。私はその畏怖するような笑顔に、彼女たちへの報告が遅れたことを後悔した。
陶器のカップが小さな音を立てて並べられる様を眺めていると、扉がノックもなく開かれる。シンシアが戻ってきたらしい。
「シンシア、ノックくらいしなさい」
「ごめんごめん、両手がふさがっちゃってて」
そういいながらシンシアが私の隣へと腰を下ろし、ニコレッタが優雅にお茶を入れると、尋問会、ならぬ午後のお茶会がスタートした。
「えーっと……まず、謝らせて」
「え、何をー?」
「二人に、伝えるのを引き延ばしちゃったことかな」
ニコレッタは優雅にほほ笑み、シンシアはいつの間にか口に入れていた焼き菓子を頬張りながら頷く。
「私ね、ジェイデン様と婚約? って言えばいいのかな。結婚の約束をしました」
「おおー!」
「おめでとう、リーコ」
気恥ずかしくて、彼女たちから視線を逸らす。
「それで?」
「え、それだけだけど……」
「そうじゃなくって、結婚式はいつするとか、色々あるでしょっ!」
「ああー、うん。それはちょっと、まだ待ってもらってる状態で」
ニコレッタが口元に紅茶を運びながら首を傾げた。
「待ってもらってるってことは、旦那様はその気になっているのね?」
「うん……私が、ちょっと皆に公表するのが恥ずかしくて」
「言い出せてないと」
「はい、そうです」
「んーまあ、お付き合いしてすぐ結婚ってのはあんまり……ないかな? ないよねぇ?」
「平民ではそうかもしれないけど、貴族なんて顔さえ知らない相手と結婚するわよ」
「それはそれ、これはこれじゃん! リーコと旦那様は恋愛結婚なんだし」
「それはいいとして……リーコ、あなたは旦那様と結婚する気があるのかしら」
ニコレッタの視線が私を貫く。その気迫に、一瞬息が詰まってしまった。
「っ、したい、と思ってる」
「だったら、さっさとすればいいじゃない」
「でも、今までちょっと待って、を繰り返してきたんだから、言い出しにくくって」
二人は互いの顔を見合わすと、大きくため息を吐いた。
「それじゃあ駄目だよ!」
「シンシアの言う通りね。あなたの立場からすれば、旦那様のような立場のある方との婚姻は気後れしてしまうかもしれないけれど、リーコがそんな奥手じゃまとまるものもまとまらないわ」
「そうそう! リーコ、ちゃんと旦那様に好きって伝えてる?」
「まあ……多少は」
「自分で思ってるだけじゃ、相手には伝わらないんだよ! 本当に好きなら、言葉にしなきゃ!」
「旦那様はストレートな方だし、リーコも随分かわいがってもらって……るようね」
ニコレッタの言葉に赤面してうつむくと、彼女はふふと声を漏らして笑う。
「誰かに気持ちを伝えることは怖いわ。だけど、相手がその勇気を出してくれているのなら、リーコもそれに答えるべきだと私は思うわ」
彼女の言葉に、小さく頷く。確かに私は、ジェイデン様にもらってばかりだ。彼から贈られるたくさんの愛情の半分すら、返せていない気がする。
「ありがとう、二人とも」
「あら、リーコはお説教にお礼を言うのね」
「うん、私もちょっと、勇気を出してみることにする」
そういって二人を見つめ返すと、ニコレッタとシンシアは満足そうにうなずいた。




