26
左手に何か違和感があった。
ふと自分の眼前に手を持ち上げてみると、そこには銀色に輝く腕輪がはめられている。そういえばそうだったと独り言ちるがが、まだまだこの違和感には慣れそうにない。
あの後宿に戻ると、私の左腕に気づいたエリスは好奇心が疼いたような顔でほほ笑んでいたし、ハンスさんもにやにやと笑みを浮かべていた。その日の晩はエリスから寝かせてもらえなかったし、ハンスさんは私を見る度にしたり顔だ。
エリスとの関係はこじれるかもしれないと思ったが、彼女は何でもないことのように言った。潔く負けを認めますわ、と。エリスの中では、ジェイデン様はもうそれほど大きな存在ではなくなっていたそうだ。屋敷に来た当初は、権力を手に入れてやると打算的な気持ちで躍起になっていたが、今となっては尊敬こそすれ恋慕の情はないらしい。
更に彼女は優雅にほほ笑む。リーコになら、あげてもいいかと思いまして。
雇用者相手に随分な言い草だったが、エリスと時間をかけて築いた関係が壊れなくて私はほっと息を吐いた。
そういえば、ジェイデン様と話し合いの結果、お城で開かれる祝賀会には参加することにした。最初は必至で拒否――礼儀やダンスなどを理由に――していたが、どうやら私のイメージするパーティーとは少し毛色が違うものらしい。たくさんの貴族と、その令息令嬢が参加するものかと思いきや、今回駆り出された騎士や魔術師たちの慰労がメインで、参加者も限られてくるらしい。
社交パーティーではないのだから、と笑ったジェイデン様の横顔を見ながら、ダンスがないことにほっとする。公の場に出るのは気恥ずかしかったり、不安だったりもするが、貴族のどろどろはひとまず関わらないで済みそうだ。
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鮮やかな青のドレスを身にまとった私は、ジェイデン様と共に馬車に乗っていた。このドレスは彼から贈られたもので、レディ・ルートによって急ぎ仕立てられたらしい。シンプルなプリンセスラインのドレスは、かつて日本で見たウエディングドレスを思い出させた。
「そう、肩を張るな」
隣に座るジェイデン様が、手袋に包まれた私の手を握る。
彼はいつもと違った服に身を包んでいた。魔術師の正装らしいその服は、一見して白い軍服にも似たデザインだが同系色の糸で全体に刺繍が施してある。結界を張る儀式のときに羽織るローブはこれの簡易版で、どちらも魔術補助が組み込んであるそうだ。とは言っても式典用のものなので、軍服よりも随分と華美で装飾品も多い。
「そうは言っても……無理ですよ」
だって、今から行くのは王城なのだ。いくらエリスから礼儀作法の手ほどきを受けたとしても、安心できるものではない。
「今日はそう堅苦しいものではないだろうさ。見知った顔だっているはずだ」
「えっと……護衛にいらしてた、騎士様とかですか?」
「ああ、彼らもいるだろうな。それにアドニスたちも来ると聞いている」
アドニス様は、主に魔術師殺しの能力研究において尽力したらしい。そういえば屋敷でジェイデン様が王都と何度も連絡を取っていたが、あの手紙の相手は彼だったのかもしれない。
「そうですか、ちょっと、ほっとしました」
「……何だ、リーコは俺が傍にいることよりも、アドニスの方が安心するのか?」
彼が拗ねたような顔で呟く。それに対して私は小さく笑みを漏らし、そんなわけないじゃないですか、と彼の手に指を絡めるのだった。
王城へと着くと、待合室のような場所へと通された。少し早めに着き過ぎたらしい。
王都の城ともなると、とても大きくて一人で歩いたらすぐに迷子になってしまいそうだ。廊下に飾られている調度品は高級そうで、慣れないドレスにひっかけてしまわないよう、ジェイデン様に寄り添い廊下の中心を歩く。敷物すら職人の手による技巧が目に見え、美しい織物に本当にこれを踏んでいいものかと戸惑ってしまった。
それからメイドにお茶を入れてもらい――いつもは自分が淹れるものだから、違和感がある――しばらく時間を潰していると、大きなホールへと案内される。見上げる程高い天井にまで繊細な彫刻を施してある祝賀会の会場は、すでに多くの騎士によって埋め尽くされていた。
男女比は圧倒的に男に傾いており、騎士同士は気安い調子で立食している。この国すべての騎士が集まっているわけではないが、騎士の正装に身を包んだ男たちが集結する様は圧巻だ。それに、パーティーというよりは親しいもの同士の食事会のような雰囲気で肩の荷が下りる。
給仕から渡された度の低いアルコールを口に運んでいると、人込みの影から見知った顔が手を振った。
「やあ、ジェイ。それにリーコも」
「お久しぶりです、その節はお世話になりました」
そういって淑女の礼を取ると、アドニス様は何かを気づいたような顔であまり良くはない笑みを見せる。
「あれ? へぇ、なるほどねぇ……」
「……何だ」
「いやー、ジェイも中々やるなあと思って」
アドニス様がにやにやと笑う。
「まあ、ジェイもうまくやってるようで安心したよ」
それからアドニス様は、ジェイデン様と2,3言葉を交わして立ち去る。公爵家の彼は他家からの声かけも多く、忙しいようだった。
□
時が立ち場の雰囲気が落ち着くと、会場の奥にある壇上へと国王が姿を現した。平民では目にかかる機会もほとんどない王は、白い髭をたっぷりとたくわえた老年の男性だ。その隣には、美しく年を取った女性が控えている。おそらく、王妃なのだろう。
王は威厳たっぷりな言葉で魔術師殺しの事件について遺憾の意を述べ、それに尽力した者たちへの賛辞の言葉を贈る。周りの騎士たちは王の言葉を噛みしめ、うれしさから涙する者までいた。賢王とも称される現王は、騎士や民からの信頼も厚い。それがよくわかる光景が、眼前を埋め尽くしていた。
誰しもが皆、誇らしげな顔をしている。隣のジェイデン様ですら。
「……どうした?」
私が彼の横顔を見つめているのに気付いたのか、ジェイデン様は私の耳元で囁いた。私は彼との近さに未だ慣れず、かぁと顔に熱が集まるのがわかる。
「いえ、あの……皆さん、この国が好きなんだなって思って」
「ああ、そうだな」
そういってジェイデン様は私の右手を絡めとる。
私は素直にその手を握り返して、この国に落ちてきて本当に良かったと実感した。




