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 王都の中心には庭園があり、盛夏にふさわしい赤い花びらが水路を漂っていた。その花びらを集めて、ジャグリングのように自在に操る魔導士が注目を集めている。

 そんな活気のある街並みを眺めながら、エリスから買い与えられた余所行きのワンピースに身を包んだ私は、どうしてこうなったんだろうと頭を抱えていた。


 普段は適当にひとつにまとめているだけの髪も、今日はエリスによって繊細に結い上げられている。申し訳程度の化粧しかしたことがない頬も、薄紅色に色付いていた。

 私の隣には、最近王都で流行っているという若者の服装をしたジェイデン様がほほ笑んでいる。お忍びとしていつもよりも質の低い服を着ていても、彼からあふれ出る気品がジェイデン様をただの町人には見せなかった。いつもよりも質のいい服を着ているとはいえ平民育ちの私が隣に並ぶが、彼のおかげでこちらまでどこかの令嬢のように見えてしまうらしく、商人からひっきりなしに声をかけられている。

 ジェイデン様は委縮する私をからかうように、淑女を相手取るような完璧なエスコートをしてみせる。主人からの恐れ多い対応に、私はまた顔を赤や青に変えてうつむくがそんな私の百面相すら彼は楽しんでいるようだった。



「どうかしたか?」

「……何でもないです」



 王命により王都にひと月ほど滞在することになったジェイデン様は、始めこそ町の守護があると渋っていたが、その後代役を手配してあると知って諦めたのか「先手を打たれた」と笑っていた。そしてぽっかり空いた時間を潰すために、何の気まぐれか、私に王都を案内すると言い出した。名目は、かつてアドニス様滞在時に約束した「私が礼儀作法の習得を頑張ったご褒美」である。そんな1年近くも前の冗談めかした口約束など、聞いた本人ですらすっかり忘れていたのに。


 いくらジェイデン様が王宮魔術師とはいえ、彼ほどの身分を持つ人間ならば護衛を連れずに町歩きなどできるはずもない。

 なのにここにいるのは、当の本人と、護衛としては足を引っ張ることしかできない私だけだ。ハンスさんの怠慢に嘆きたくなったが、ジェイデン様本人が言い出したことなのでハンスさんとエリスは諸手を上げて笑顔で見送ってくれた。

 私は見捨てられた子犬のような顔で二人を見上げたが、効果はない。そして現在、飼い主と一緒に町を散歩している。



「ジェイデン様は……」

「その呼び方はやめてくれ。俺は忍んでいるのだぞ?」

「いえ、全然忍べてません」



 主にその顔面が。



「そもそも忍ぶ意味もわかりません」

「まあ……何だ、あまり堅苦しい恰好では皆委縮してしまうだろう? 俺の行きつけの店も、位が高い輩を嫌う質でな。こうやって町人の服に身を包み、ロバートの目を盗んで通ったものだ」

「多分バレバレだったと思いますよ」

「そうだろうか。誰も絡んでくる者などいなかったが」

「王都には優しい人が多いんでしょうね」

「まあ兎も角、今日一日は俺のことを……そうだな、ジェイと呼んでくれ」

「いや、それは流石に」

「リーコが様付けで呼んでいたのなら、身分を悟られてしまう」

「そもそも隠せてないと思います」

「何、こんなに人が多いのだ。俺たちのことなど、そう気にする者などいないさ」



 ジェイデン様の案内する店や屋台は、彼の言うお忍びにふさわしいようなあまり格式高いお店ではなかった。どちらかというと、ノースの町で私たちが利用するような店に近い。屋敷では豪華な食事を食べている割に庶民向けの食べ物にも興味関心があるらしい彼は、堅いパンにはさんだ濃い味付け肉を眺めながら何か考えている。



「お口に合いませんでしたか?」

「いや、そうではない。ただ、このような形のパンは初めて食べたと思ってな」

「まあ、忙しい庶民向けのものですから」

「ノースにも売っているのか?」

「私は見たことはありませんね。……元の世界では割とありふれたものでしたが」

「なるほど、落ち人が持ち込んだ文化なのか」

「私にはわかりかねます。この世界の文化だって、素晴らしいのですから。思い至る人だっているでしょう」



 そういう私に、彼はとろけるような微笑みを見せる。



「リーコは、この国が好きか?」

「え? はい、そうですね。好きです」

「君からすれば、さらわれてきたようなものだろう」

「……確かに、初めは嫌いでした。元の世界にいたときは、私はまだ学生だったんです。それから数年は、両親の庇護の下でのうのうと生きていられたはずでした。生きるために、働く必要なんてなかった。だから、冷たい水に手を晒しながら恨みました。女神を、運命を。だけど、この世界で過ごすうちに私はかけがえのないものを手に入れることができました。自分の能力だったり、温かい環境だったり、失ったはずの家族のような友人だったり。多分それは、元の世界では手に入れることはできないものだと思います」

「そうか。君は今、幸福なのだな」

「ええ、幸せです。私の幸福を形作る人たちの中に、ジェイデン様だって入っているのですよ」



 照れくさい言葉を紡ぎながらはにかんだ私に、彼はめずらしく微笑を崩した。





 広い王都を流しているだけで、あっという間に日は落ちてしまう。ジェイデン様の観光案内を楽しんだ私は、満足げな表情で沈む赤の根源に照らされ紅に染まった石造りの道を歩いていた。

 大衆向けの酒を出す店で、安物のワインを飲んだジェイデン様は上機嫌で足取りが軽い。少し酔っているはずなのに、私へのエスコートを忘れないところは流石である。そんなジェイデン様に連れられて、私は王都の中央にそびえ立つ白亜の塔へと訪れていた。



「ここは、魔術師が結界を張るための塔だ。ノースでいう、神殿のような場所だな」

「随分と高いですね」

「王都は広大な敷地を持つ。隅々にまで結界を行き渡らせるために、この塔が建てられた」



 門番の騎士にジェイデン様が何かを見せると、すぐに入塔の許可が下りる。塔の中に入ると、そこは果てが見えない程のらせん階段が続いていた。らせん階段の中央はぽっかりと吹き抜けが開いていて、外から見上げたよりも頂上が遠く見える。



「これを、のぼるんですか?」

「大丈夫、魔術師は横着が得意でな」



 そういってジェイデン様が吹き抜けの中央へそっと私を引き寄せると、彼の歌うような声と共に魔方陣が足元へと広がる。そして光が弾けると、ふわっとした浮遊感と共に、足下の丸い床材が浮かび上がった。



「わっ」

「落ちるなよ。流石に魔道具の補助なしに、人は飛べないからな」



 どんどん増していく高度に、思わずジェイデン様に縋りつく。



「随分と大胆だ」

「あ、すみません」



 にやりと笑うジェイデン様のからかいを、思わず真顔で流してしまうくらいの高さだった。平常時では彼に縋りつくなど到底できそうにないが、一枚の薄い足場が、柵もない状況で浮かんでいるのだ。恐れるなという方が無理である。

 数分だろうか――私にはとても長い時間に感じた――ようやく頂上へとたどり着く。ほっとして力が抜けそうにもなったが、これ以上の醜態は見せられないので気合を込めて足を踏み出す。

 塔の頂上は腰の高さほどの柵で覆われた、何もないところだった。広さはノースの町にある神殿とさほど変わらないだろうが、床一面に何か魔方陣のようなものが刻まれている。魔道具制作で頻繁に見た、おそらく光の魔術の威力を強めるためのものだろう。随分と魔術師の刻む紋様に詳しくなってしまった私が床を見つめていると、苦笑したようなジェイデン様の声が聞こえる。



「リーコ、君に見て欲しいのはそんな床ではない。こちらだ」



 ジェイデン様に手を引かれ西側の柵へと近づくと、山間へと沈む赤の根源が煌々と輝いていた。

 王都の美しい街並みがすべて赤へと染まる。王城も、民家も、そして縦横無尽に流れる水路すらも、赤の根源と同じ美しい色を宿していた。



「すごい……」



 思わず感嘆の声が漏れる。



「魔術師だけが見れる景色だ。俺はこの場所から見る赤の根源が、一等好きだった」

「ええ、とても……とてもきれいです」

「君はこの景色を守ったのだ」



 彼の美しい横顔すら、赤く染まっていた。

 私の身勝手な行動が、魔術師殺しと呼ばれた少年を捕縛するに至った。皆からよくやったと褒められても、私は納得できなかった。だってあの時の私はこの国を守るとかそういった崇高な思いではなく、自分の大切なものを守りたかっただけなのだ。それがただ、いい方向に転んだだけなのである。

 町を守ったとか、国を守ったとか。そんな大層なことを言われても、日々小さな生活を続ける私には実感がまったくなかった。だけどジェイデン様に見せられたこの美しい景色を守ったと言われれるならば、私は誇ってもいいのだろうか。激情に突き動かされた自分を恐れるのではなく、受け入れてもいいのだろうか。



「私は……この国を守りたいと思っていたわけではありません。そんな崇高な理想、抱いてすらいなかった」

「……」

「私は、ただただあなたを守りたかっただけなんです。そんな身勝手な私でも……誇ってもいいのでしょうか? 人を手にかけることすら厭わないこの苛烈な感情を、受け入れてもいいのでしょうか?」

「……もちろんだ。例え誰が批判しようとも、それが君自身だとしても、私は君を誇らしく思う」



 ジェイデン様が跪き、騎士のように恭しく私の手を取る。



「リーコ、ありがとう。この国を……いや、違うな。私を救ってくれた君に、最大限の感謝をささげる」



 そういって私の手の甲に口づけるジェイデン様に、私の頬は赤の根源よりも更に真っ赤に染まった。

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