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私が飛び出したとして何ができたのだろうか。
騎士は倒れ、ジェイデン様の魔術すらかき消してしまう相手である。あの騎士と同じように殺されてしまうのだろうか。だけどそんなことを考える前に、体が動いていた。
まさか庇われて泣いていた女が飛び出してくるとは思わなかったのだろう、少年と飛び出した勢いのままぶつかり、もつれあいながら床を転がる。女と男と言えど、大人と子供だ。幸い身長や体重は私の方が勝っていて、押し倒した拍子に僅かだがジェイデン様と距離を空けることができた。
「リーコ!」
「近づかないでっ!」
立ち上がろうとする少年を、私が馬乗りになる形で取り押さえる。力は均衡していたが、位置的に私が有利で何とか床に彼を押し付けることに成功していた。少年はもがくばかりで、私を殺すには至っていない。
「――――っ、お前、落ち人か!」
少年が忌々しいものを見るみたいに、憎悪で濁った瞳で私を睨みつける。彼の言葉の意味を理解しないまま私は、ぽつりと呟いた。
「ごめんね」
彼が少しでも体勢を整えてしまう前に、この幼い少年を私は無力化しなければならなかった。
両手を足で踏みつけたまま、小さな首筋に手をかける。ぎゅっと握りこんだそれは想像よりもずっと細くて、今にも折れそうだ。ばたばたと暴れる少年の足や爪が、私の体に小さな傷をつけた。
体全体が心臓になったみたいに、耳元でどくどくと血液の音がうるさい。誰かに暴力を振るったのは初めてだった。指先だけでなく、体全体が震える。だけどここで少年を殺さないと、ジェイデン様が死んでしまうのは確かで、私は自分が手を汚すことよりもそれが何よりも怖かった。
浅く息を吐きながらまばたきも忘れて両手に力を込めていると、小さな少年の抵抗は徐々に弱まる。無意識に謝罪の言葉を何度も呟きながら、涙で視界が見えなくなる頃には彼はもう動かなくなっていた。
誰も、言葉を発しない。この部屋にいる人間すべてが私と少年の戦いを、時間を忘れて見入ってしまっていた。そっと少年から手を離そうとするが、私の両手は歪な形で固まってしまっている。時間をかけながら指を一本一本はがしていると、いつの間にか隣にしゃがみこんでいたジェイデン様がそっと手を貸してくれる。
まだ安全だと決まったわけでもないのに、と彼に言いたくもなったが、こわばった私の顔はうまく言葉を発音してくれず、うめくような声しか出ない。人を殺した私の両手を包み込んで、ジェイデン様は少し眉を寄せた。
「大丈夫、大丈夫だリーコ」
「は、い」
「落ち着いて、ゆっくり息を吸うんだ」
ジェイデン様の言葉に素直に従い、ゆっくりと呼吸を続けると徐々に落ち着きを取り戻す。しかし、緩んだ私の涙腺は収まりそうになく、ぼろぼろと絨毯に零れ落ちていった。そんな私の背中を優しくさすりながら、ジェイデン様は怪我の回復を促す土の魔術を展開させる。回復するほどの怪我でもないのに、いつもならそう反論したところだが、今となっては体を包む優しい光がざらついた心をいやしてくれるようにも感じた。
「彼の捕縛を」
「はっ」
騎士に命令するジェイデン様の言葉に、私は涙をぬぐうのも忘れてジェイデン様を見つめた。すると彼は困ったようなほほ笑みを見せる。
「……なんで? 死んだんじゃ」
「生きている。意識がないだけだ」
「えっ」
「リーコは、誰も殺していない」
ジェイデン様の言葉に、壊れた蛇口のように溢れていた涙が引っ込んだ。
「すまない。俺の力が及ばず、君に辛いことをさせてしまった」
「…………い、いいんです。私は、誰かを傷つけることよりも、ジェイデン様が死んでしまうことの方が怖かったっ!」
安堵から体の力が抜けて立っていられない私を、ジェイデン様はそっと抱き抱える。
「頼むから、あんなことは二度としないと誓ってくれ。君が飛び出したとき、心臓が凍ったかと思うほど恐ろしかった」
「……約束は、できません」
「リーコに魔力がないから彼の魔術は通用しなかった。だが、今回は運がよかっただけの話だ」
「わからないです、だって、体が勝手に動くから」
ふっと、ジェイデン様が呆れたように、だけで優しい笑みを漏らした。
「無茶をするリーコから目を離したくはないが、俺は後始末をしてくる。ここで大人しく待っていてくれるか?」
「……はい、承りました」
そっと抱き上げ、優しくソファーへと運ばれる。ジェイデン様が魔術師のステラを翻し立ち去ると、いつの間にか傷を負った騎士も、少年の姿も消えていた。
手持ちのハンカチで涙を拭っていると、同じように目を腫らしたエリスが私の隣に寄り添う。
「……エリス」
「リーコ……あなた、すごいわ」
「必死、だったから。自分でも、何であんなことしたのかよくわからないの」
「わたくしは、怖かった。ただただ怯えて何もできなかった。本当は、あなたすら恐ろしいと思ったの……ごめんなさい」
「ううん……私だって、怖い。自分が誰かを傷つける側に回れる人間だなんて、知らなかった」
「だけど! ありがとう、ジェイデン様を守ってくれて。わたくしは、コールス家の使用人としてあなたを誇らしく思います」
そういってエリスが柔らかくほほ笑む。彼女の顔には化粧もなく、突風に遭遇したみたいに髪も乱れている。だけどようやく、本当に穏やかな日々に戻れたと確信できる笑顔だった。
□
騎士の手当てと埋葬も終わり、コールス家は落ち着きを取り戻しつつあった。殺し合いを目撃して気が滅入って実家に戻ってしまったメイドもいるが、皆なんとか前を向いて進んでいる。今は空元気の使用人も少なくはないが、時間が今回の事件を過去にしてくれるだろう。
もっとも、件の少年は屋敷の地下牢――この屋敷にそんなものがあったなんて、初めて知った――に幽閉されているし、その警備のため更なる騎士が派遣されている。
少年の力はこの世界の魔術師からしてみれば、まさに魔法のような力だった。原理がさっぱり解明できないのだ。他者が発動した魔術を操ることも、更には人の体内にある魔力すら操ることもできるのに、少年自身に魔力はない。おそらく落ち人なのだろう。彼に触れられれば魔力を利用されてしまうため、必然的に彼の世話は落ち人か、魔力の弱い騎士が担当している。何かあった場合、牢を破壊されないためだ。
騎士は魔法を必須としているため落ち人は少なく、現在屋敷にいる者だけでは到底手が回らない。そのため、町の落ち人が急きょ集められ使用人として働いているが、その中には見知った顔もあった。
「ごきげんよう、リーコ」
「アメリアさん、お疲れ様です」
アメリアさんはいつもの喫茶店に立つような服装で、少年の世話をしている。彼女は落ち人で魔力もなく、更には何か有事の際に対処できる力を持つ。ジェイデン様自ら頭を下げ、他の町から十分な人間が集まるまで力を貸してもらっている。
「彼の様子はどうですか?」
「私からみたらただの拗ねた子供ね。最近ようやく名前を教えてもらったわ」
「そうなんですか! 話すようになったんですね」
「よっぽど私がしつこかったからかしらね。今ではもう暴れないし、落ち着いてきてるんじゃないかしら」
私はあの日以来、少年と顔を合わすことはなかった。本来ならば落ち人である私が適任の仕事であるが、ジェイデン様が気遣ってくださった結果だ。もっともアメリアさんの話では、少年は私への恨み言をずっと口にしているため会わなくて正解、らしい。
少年は護送に十分な人手が集まったら、王都へと送られる。本来ならば処刑になっても不思議ではない罪を犯したが、子供であること、更には今後彼のような力を持つ者が現れたときに対処するため、実験材料として魔術研究所で幽閉されるそうだ。
その話を聞いて不安そうな顔をする私に、アドニス様は笑って彼の身柄の安全を保障してくれた。優しいね、とも言われたがそんな良いものでもない。自分が少年を死刑台に送るようで、気分が悪かったのだ。自分本位の考えを孕む自分に、少し嫌気が差した。
少年の行動を、ジェイデン様は小さな戦争と表現した。力なき者ゆえ、この世界への恨みからあんなことを引き起こした。彼の手口は秀逸で、また、能力も高かった。彼があの力を持ったまま成長したら、更に恐ろしいことになっていただろう、とジェイデン様言う。それほどまでに少年の持つ力は、魔術師にとっては天敵ともいえるものだった。
王国の民へは襲撃者が捕縛され、処刑されたと伝えられている。その知らせを聞いた町の人は声を上げて喜び、小さな祭りまで起こったくらいだ。功労者が誰とは発表されなかったが、ノースの町の人たちはコールス家の慌ただしさを見て気づいているのではないだろうか。使用人たちが町に出れば声をかけられ、色々な食べ物っだったりを押し付けられることも少なくない。今日だってシンシアが、両手を花束いっぱいにして戻ってきたくらいだ。彼女は口では困ったねと言いながらも、顔は満面の笑みを浮かべていた。
「じゃあ、あの子にお説教してくるわ」
「頑張ってください」
そういって意地悪な笑みを顔に浮かべるアメリアさんを苦笑いで見送ると、私は駆け足でジェイデン様の部屋へと向かった。




