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それからジェイデン様は、国と密に連絡を取りながら状況を分析していった。その間にも数人の魔術師が犠牲になり、被害を受けた町が生まれた。
その死を歎じながらも、王国は確かに前へと進んでいた。闇の魔術だと思われていた力は、おそらく他者の魔力を操作するものかもしれない。そういった仮説が立てられた。犠牲となった魔術師はすべて、魔法を体の中から構築されたような死にざまをしている。しかし魔力を持つ人間とは、つまり魔力の塊である。その中に魔術を発生させるなど、この世界の論理では考えられない行為だった。
魔術師たちはひとつの結論へと達した。彼らの死因は、魔力の暴走であると。
魔力の暴走など、万に一つ程しか前例のない話だった。そもそもこの世界の人間は生まれ落ちたその日から自身の魔力に触れ、それと共に育つ。己の手を滑らかに動かせぬ者がいるだろうか。それほど、魔力とは魔術師にとって慣れ親しんだ、半身であった。
しかし前例がない訳ではない。魔道具、それも国宝ともいえる古いにしえから伝わるものには、多くの魔力を周囲から取り込む力があるという。現に王国の保管庫に数百年前から眠っている魔道具の中にも、そういった力を持つ鎧があった。しかしそれは、どんな有事の際にも開かれることはない固く閉ざされた扉の先に安置されていた。
王家に伝わる言い伝えでは、あまりにも大きぎる魔力によって、その鎧を身に着けた者はすべて死んでしまうらしい。くだらないと一蹴した6代前の王弟は、自らの魔力に焼かれながら死んだとまで言われている。女神がかつての勇者に下賜したという鎧は、今となってはただの置物になってしまった。
それほどかつての勇者の力が大きかったのか、あるいは女神の加護があったのか、今となっては誰も知る由はない。
しかしながらどれもこれもすべて仮説にしかならない。未だ誰が魔術師を殺し、悲劇を引き起こしたのか。襲撃者に関する情報は一向に得られていなかった。
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それから、ノースの町に更に一個分隊の兵が置かれた。といっても町を守るためではない、魔術師であるジェイデン様を守るための兵である。彼らはコールス家の屋敷で寝食を共にし、ジェイデン様を守る。魔術師の身に危険が迫っていると聞き私たちは慌てたが、騎士のおかげでようやく人心地つけた気分だ。これで安心だ、と。
騎士たちとのコミュニケーションを何とか取りながら、私たちはいつも通りの生活に戻りつつあった。魔術師の護衛が増えてから、取りあえずの犠牲者は出ていない。しかし町周辺に魔物がおびき寄せられる事件が多発したので、騎士だけでは回らず冒険者の手を借りながら、何とか事態を収集していた。襲撃者も、もはややっていることがただの嫌がらせである。
襲撃者は徐々に南へと移っているのか、近くの町の結界に干渉されることもあった。ジェイデン様も気を張り続けている。そんなこんなで、ジェイデン様は徐々に疲労を蓄えつつ、季節は赤の月へと移っていた。
「今日は天気がいいですね」
うだるような暑さであろう外を眺めながら、冷却魔術の効いた室内で手を動かす。最近では未熟な魔導士のために補助の魔道具を作成する依頼が来ているので、私は連日ジェイデン様と顔を合わせていた。一時の落ち込みようが嘘みたいな彼は、国を守るために本日も静かに魔術を行使する。王国のほとんどの町では長期展開型から短期の威力重視型に変更されたので、ジェイデン様の負担も増しているはずだった。
「そうだな」
そのはずなのに彼は疲労の色など一切見せず、涼しい顔をしている。それどころか、長時間におよぶ魔道具制作で、私の眼精疲労を心配する余裕すらあった。
もう何度も刺繍を施した紋様をぐるりと縫い付け、ただの布から魔道具へと変貌したそれが淡く優しい光を放つ。何度見ても見慣れない光景だ。私はただ刺繍をしているのに、ジェイデン様が隣で魔力を込めたら銀貨数十枚、あるいは金貨数枚ほどの価値を持つ魔道具に化けるのである。私に魔力さえあれば、と思わないでもない。
さて、次の魔道具に移るか、そう思い緋色の糸に手を伸ばそうとしたとき、どこかで小さな悲鳴が聞こえた。続けて小さな破裂音が響く。
「―――――っ!」
ジェイデン様が勢いよく立ち上がり、部屋の外へと出ようとする。しかしそれを、護衛の騎士が制した。
「我らにお任せください」
「他の者も詰めています」
「俺の屋敷だ」
「狙いは魔術師殿なのは明らか。お願いですから――」
唐突に、扉が大きな音を立てて開かれる。ジェイデン様も騎士たちも構えたが、現れたのは緑の髪を振り乱したエリスだった。いつも優雅な彼女からは考えられそうになりほど息を切らし、慌てている。
「襲撃です! 数は一! 騎士たちが対応しておりますが、し、死者も……!」
今にも泣きだしそうな顔で崩れ落ちるエリスを騎士の一人が支える。彼女の体は大きく震えていたが、それを押し殺すように浅い呼吸を繰り返す。
「襲撃者に触れた者が、か、体の内側からはじけ飛んだように見えました。騎士が、おそらく魔術師殺しであると――――ジェイデン様、お逃げくださいませ!」
「俺が逃げたのなら、誰がお前たちを守るのだ」
「わたくしたちを守るために、です!」
顔を真っ青にしたエリスの背後から、誰かの怒鳴り声や、うめき声が徐々に近づいてくる。それをいち早く察知したジェイデン様の肩には、既に魔術師のステラがかけられていた。
「エリス、こちらへ」
そういって自分の背後へと、エリスと私を隠す。ジェイデン様の前には剣を抜いた騎士が3人、息をするのも忘れて扉の先を睨んでいた。
「魔術師殿、隊長が突破されたのなら、恥ずかしながら我らに勝ち目はありません」
「大変申し訳ないのですが、ご協力いただけるますか」
「愚問だ。だが敵は――」
ジェイデン様が言葉を言い切る前に、半端に開いた扉から黒い影が飛び出す。影はとっさに反応した茶髪の騎士の剣をさらりと除けて、騎士に触れる。すると騎士は苦悶の表情で、触れられた右手から焼け焦げていった。獣のような断末魔が響く。私とその声に耳をふさぎたくなったが体を動かすことすらままならず、呼吸を忘れていた。エリスは恐怖の表情で固まったままぼろぼろと涙を流している。
「そいつに触れるな! 捕縛はいい、殺せ!」
ジェイデン様の氷の魔術が展開する。室内の温度が一気に氷点下まで下がり、つららのような氷の刃が襲撃者を貫こうとする。しかしその刃は相手に触れようとした瞬間、あたかも初めから存在しなかったかのように、音もなくほどけて消えてしまった。
ジェイデン様が小さくうめく。
「魔術は使用するな!」
彼の声が響くが僅かに遅く、騎士の放った炎の魔術が襲撃者へと向かう。しかしその炎はくるりと方向を変え、別の騎士を飲み込んだ。素早くジェイデン様が風の魔術を使い消火するが、炎に包まれた騎士は動けそうにない。
残された二人の騎士が剣を使って襲撃者を切ろうとするが、なかなかどうして致命傷にならない程度の傷しか残せない。草色の薄汚れたマントを纏い、深くフードで顔を隠したその人物が短刀を使いながら身軽に剣を捌いている姿は、死神がダンスを踊っているようにも見えた。
数太刀切り結んでいると、ようやく騎士の剣が襲撃者をとらえる。しかしそれはかすめただけで、大した傷を負わせることはできなかったが、襲撃者のフードが吹き飛ばされ、その幼い顔が露わになった。
「子供……」
漆黒の髪に瞳。薄汚れて垢にまみれていたが、確かにそれは子供だった。
襲撃者の正体に一瞬気を取られた騎士の隙間を縫って、少年はジェイデン様へと一気に距離を詰める。
「ジェイデン様っ!」
エリスの悲鳴が聞こえる。ジェイデン様はとっさに結界を構築するが、それも少年の使う謎の力によってかき消されてしまう。私の脳裏に、まるで内側から炙られたみたいな死に方をした騎士の姿が蘇る。
――ジェイデン様が死んでしまう。
頭の中で考えたのが先だろうか、それとも後だろうか。私はとっさに、ジェイデン様の前に飛び出していた。




