18
ひとつの村が滅んでも、私たちの生活に大きな変化はなかった。少しばかり、ジェイデン様のお手伝いをする時間が増えたくらいだろうか。昼夜を徹して魔術師のステラを作り上げた彼は、今では魔鉱石を片手に町の守りを強化する魔道具を作っている。
国の動きは迅速で、あれからすぐに町ごとに魔術師と騎士が配備された。といっても、小さなノースの町には一個分隊ほどの人数だ。随分と平和を謳歌した王国には、必要最低限の兵しかいなかった。町の主要な出入り口を見張ってはいるが、城壁に囲まれているわけでもない町はどこからでも簡単に侵入できるだろう。
市民の間ではジェムズの村が落ちた噂が広まりつつあった。今までは信ぴょう性のない噂話を信じていなかった者も、突然やってきた騎士たちを見れば不安げに「まさか」とジェムズのことを口にする。そんな僅かに浮足立った町の中で、私たちができることはとても限られていた。
町に出ると、ひそひそと誰かの噂話が聞こえる。王宮魔術師であるコールス家のメイドの制服は統一されていて、どこにいてもすぐにわかる。町の人は皆、私が魔術師の使用人であることを知っている。好奇の視線に晒されるが、こんなときだからこそ私は、いつもより背筋を伸ばして堂々と歩みを進める。
私の態度を見て皆思うだろう。魔術師の使用人の瞳は少しも翳ってはいない。この町は安全なのだ、と。むしろ市民にそう思わせたいからこそ、私は努めて余裕のあるような笑みを張り付けて町を練り歩く。頼まれていた布地を受け取ったときも、店に注文するときも、常に凛とあろうとしていた。
「変な顔して、どうしたのかしら」
そんな私の努力は、ニコレッタの一言で泡と化した。自分でも眉が下がっているのがわかる。
「堂々としてるつもりなんだけど……」
「あら、そうだったのね」
「そんなに変な顔してた?」
「というより、リーコが憮然とほほ笑んでるのが珍しくて。あなたほら、笑顔で威圧するタイプじゃないから」
そういってニコレッタは美しい笑みを披露する。なるほど、彼女こそが笑顔で威圧するタイプだ。
「だってさ、外に出たら嫌でも視線が集まるじゃない?」
「そんなもの、無視してしまえばいいわよ」
「この家のメイドがおどおどしてたら、町の人が不安になるんじゃないかと思って……」
私がそういうと、ニコレッタは興味がないようにスカートの裾をいじりながら答える。
「無理しても別に続かないわよぉ? 今まで通りにしてればいいのよ」
「今まで通り?」
「そうよ。焦ったって私たちにはどうしようもないことなんですもの。騎士様や魔術師様が何とかするわよ」
「ニコは、不安じゃないの?」
「リーコは不安なのかしら」
「そんなことない、けど」
「じゃあいいじゃない。何かあったところで、どうせ旦那様がどうにかしてくれるわ」
「……」
「それに、何かあったら、私たち皆で対処すればいいだけのことよ」
ニコレッタのほほ笑みからは、確かな信頼が感じられた。おそらくこの屋敷の住人は、いや、この世界の住人は今まで自分たちを庇護してきた結界を信じている。例えそれが砕かれたとて、自らの足で立ち向かうのだろう。今までだってそうやって生きてきたのだ。
「そっか。すごいね、ニコは」
「あら、知らなかったのかしら」
私もそうありたいと、心から願った。
□
私が何もせずとも時間は流れていく。私は魔道具を作ることでしか何かに貢献できないので、ひたすら針を進めることに集中した。
どうやら王国が警備を強化していても襲撃は起こっているようで、今度は東の町の結界が壊されたそうだ。幸い、騎士によって住民に被害はなかったが、兵の中には魔物に襲われ命を落とした者もいるらしい。
そういったことが間隔を開けずに何度か起こると、国も相手の情報がだんだんとつかめてくる。襲撃の頻度から、結界を壊す力を持つものは一人、あるいは一集団であること。魔物を操っているのではなく、東の国にある魔物を寄せ付ける匂いの香を使っていること。そして最大の情報は、王宮魔術師の中でも上位にあたる人間の構築した結界は壊せないこと、だ。
東の大きな町であるファルニスの王宮魔術師は名の知れた者で、見事、たわんだ結界を再構築して町を守り抜いた。その彼曰く、今まで闇の魔術で破壊されたと思われていた結界だったが、どうやら同程度の闇の魔術をぶつけられたのではなく結界自体に何らかのほころびを与え破壊しているように感じたそうだ。この知らせを受けて、国は結界を張る魔術師の特に未熟な者たちが守る町に焦点を絞り、騎士を増援した。
こうして、王国の平和は守られたように思えた。
事実、襲撃の頻度も減った。王国からこの襲撃と対処が発布され、真偽のわからない噂に踊らされていた民は安堵の息を漏らす。精霊が春の息吹を告げる頃には、町も活気を取り戻していた。
人々の目には怯えなど欠片もなく、平和な日々を享受している。ほとんどの民がジェムズの悲劇を過去にした頃、一人の王宮魔術師が殺され、再び結界が崩された。
その魔術師が守護していたオルカドの町は、魔術師の力量から警備が手薄だった。何故なら既に何度も敵の干渉を受け、それを阻んでいたからだ。襲撃者にはオルカドの結界を壊す術はないと見られていた。
しかしオルカドの結界は破られた。他の町から救援が駆け付けた頃には遅く、騎士だけではなく市民の半数が食い散らかされていた。凄惨な光景に、胃液すら吐き戻してしまった騎士すらいる程度に、オルカドは地獄と化していた。
その知らせを受けたジェイデン様は、目に見えて憔悴していた。
日に日に口数が少なくなる一方で、光を受けて淡く金色に輝く髪も、晴れの日を映したような瞳も、すべてが色を失っているように見えた。情報の混乱が起こらないよう使用人たちに告げる声も覇気がなく、皆に不安の火が灯る。このままではまたあの襲撃者に怯える日々が戻ってきてしまうだろう。私は意を決して、ジェイデン様に残酷な質問を投げつけた。あなたがそんなにも暗然とするほど、オルカドの悲劇はありえないことだったのですか、と。
彼は魔道具を作っていた手をだらりと下ろし、ソファーに身を預ける。そして絞り出すように、ぽつりとつぶやいた。
「優秀な人だった」
うなだれていた頭を起こし、どこか遠くを見つめるような瞳で空を仰ぐ。おそらく彼の瞳には、ここにはない何かが映っているのだろう。
「オルカドの魔術師――アベル教官は俺の学園時代の恩師でな。あの方の作った結界に追いつこうと、誰もが己を研磨していた」
「……」
「アベル教官の結界は王国一とも言われていてな。主要都市を護る魔術師はほとんどが彼の教え子だ。あの方の結界が破られるとは……」
「……」
「…………いや、順序が違う。アベル教官が殺され、結界が破壊された。それならば納得がいく。あの方は結界こそ一流だったが、その他の魔術を不得手としていた」
何かを思いついたジェイデン様の瞳に光が宿る。
「教官の死を悼むのはいつでもできる。俺は、己がやるべき使命を果たす」
そう呟いて、ジェイデン様は訃報から随分と遅れて持ち込まれた資料を乱暴にめくる。その姿を目に焼き付けた私は彼の邪魔にならないよう、静かに部屋を抜け出した。




