17
17から20まで、ぬるい残虐描写があります。また、主人公が暴力を振るう描写もありますので、苦手な方は21まで飛ばして下さk。
今までの穏やかな日々が嘘みたいに、朝から屋敷が慌ただしかった。
ロバートさんまで、いつもはきちんと整えられているはずの髪を乱している。疲れた顔のメイド長曰く、昨日の深夜に来客が来たらしい。控えていたメイドだけでは手が回らず、日の昇る前に叩き起こされたそうだ。
ぴりぴりとした空気の中、ロバートさんが皆を集める。浮足立つ空気の中、髪を後ろに撫でつけたジェイデン様が現れた。その顔にいつも浮かべている微笑はなく、鋭さを孕んだ視線に皆が委縮する。
「混乱を避けるため皆に説明しておく。4日前、東にある村が落ちた。魔物に襲われたそうだ」
ざわりと、皆の驚きの声が反響する。事態を理解できずに口を呆然と開けている者、互いに顔を見合わせている者、皆誰しもジェイデン様の言葉を理解できていなかった。
「狼狽えるな」
ジェイデン様が強く、静かに言葉を紡ぐ。
「お前たちはこの王宮魔術師ジェイデン・コールスに仕える者。そんな立場の人間が怯えていては、民に不安が広がる」
「……」
「東にあるジェムズの村は結界が破られ、魔物に蹂躙された。ジェムズの魔術師は年若いが優秀で、未来を期待された者だった。しかし、彼は死んだ。無残にも臓腑を焼かれ、獣に食い散らかされその命を散らした」
どこからか小さな悲鳴が上がる。魔物に対しては絶対に安全だと思われていた結界が破られたという事実に、誰もが言葉を口にできずにいた。不安に揺らぐ瞳を一人ずつ見つめて、ジェイデン様は口元に笑みを浮かべる。それはいつも見ていた穏やかなものではなく、その瞳はどこか熱情を秘めた色をしていた。
「これは我が国に対する侵略である! 王国はそれを許さない。数日もしない内に、町々には騎士が派遣されるだろう。散らばっていた魔術師たちにも召集がかけられている。王国の、民を護る準備はできている!
では俺たちは何を成すべきなのか。真偽のわからぬ与太話に振り回されて部屋に籠るのか? 魔物に怯えながら震えているのか? いや、違う。我々は戦うのだ。我が国を、町を、そして家族を脅かそうとしている外敵と!」
「旦那様!」
感極まって、縋るように声を、名を呼ぶものが現れる。
「魔物など所詮は獣、我が国が敗れる道理はない!」
ジェイデン様の叫びに鼓舞されるように、不安の声は歓声でかき消された。
□
「すごい、演説でしたね」
あの後すぐにジェイデン様に呼び出された私は、彼と共に大きな魔道具を制作していた。魔術師の術式を助ける紋様は今まで作っていた物よりもずっと複雑だが、四苦八苦しながらも私の手は淀みなく動いていてくれる。
「俺としては苦手なのだがな。ああいうものは民にやるべきではない、騎士や魔術師が負うべき責任だ」
「でも、効果は絶大でしたよ」
「民を不安に思わせているだけで、十分な失態だ」
ジェイデン様は、悔やむように自身の前髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「俺たちが万全ならば、ジェムズの村も犠牲になることはなかっただろう。結界という便利な魔術に依存し、堕落してしまった。備えることを怠った。これはすべて、俺たちの責任だ」
「ジェイデン様……」
「幸い、逃げ延びた者もいるらしい。しかしそこから、不安が広まる。人々は魔物を恐れ、国を疑うだろう。心が荒むと生活も荒む、治安も悪化するかもしれない。そんなとき、俺は民に言えるのだろうか。国を、魔術師を……俺を信じろと」
「……私は」
憂いを帯びた碧眼を見つめ、言葉を絞り出す。
「私は、信じます。私はこの世界に落ちてから3年も経つのに、魔物を見たことがありません。それは、あなたたち魔術師がこの町を守っていてくれていたからです」
「これからも、そうである保証はない」
「何を言っているんですか! 結界魔術師であるあなたが、そんな弱気になってどうするんですか!」
「だが……」
「あのですね、前代未聞だってことはわかってます。どうして結界が破られたのだとか、誰がやったのかとか、私には全く予測できませんし、理解もできないと思います! でもジェイデン様言いましたよね、王国は私たちを守ってくれるって。あれは嘘なんですか? 滅んだ村をぼーっと指をくわえて眺めているだけなんですか?」
「……原因はおおよそ見当がついている」
「じゃあそれは、ジェイデン様にはどうしようもないことなんですか? ジェムズの村のように、あなたの結界も破壊されてしまうものなんですか?」
「原因も、対処法も……解明は進んでいる。しかし、俺は……」
「言ってくださいよ、俺を信じろって。私は、王様なんて顔も知りません。だけど、あなたが……他でもないジェイデン様だから信じられるんです! 私を、安心させてよ……っ!」
視界がにじむ。
私は魔物の脅威なんて知らない。だけど、小さいとはいえ村ひとつが簡単になくなってしまうほどの相手なのだ。何の力もない私は、ただの人間にだって殺せる。身を守る術を持たない女が、結界以外の何にすがればいいと言うのだ。
今にも泣きだしそうな私に、ジェイデン様は珍しく狼狽えたような顔でそっと肩を包み、あやす。
「リーコ」
「……ジェイ、デン様」
「すまない、君を不安にさせた」
「別に、こんな状況誰だって不安にもなります」
「君が……いや、情けない姿を見せたな」
「弱音は……別にいいんです。ジェイデン様だって人間なんですから、不安に思うことだってもちろんあります。あなたは魔術師という立場上、愚痴だって碌に吐けないでしょう。だから、私にこぼしてくれたっていいんです。あなたの肩の荷が下りるのなら」
「……」
「私はジェイデン様を信じています。だけど、弱音を吐いて吐いて吐ききったら、自信たっぷりな王宮魔術師様に戻ってください。自分を信じられなかったら、足下が揺らいでしまうでしょう?」
「信じる、か」
「ジェイデン様、言ってください。大丈夫だって」
「…………ああ。俺が、守ってみせる」
「絶対ですよ?」
「必ず守る。俺は王宮魔術師なのだからな」
そういってジェイデン様は、ようやくいつもどおり穏やかな笑みを浮かべた。




