13
アドニス様とルッツ様が勝手に話を進めて、いつの間にか私はこの二人の前で魔道具制作を実演することになっていた。ジェイデン様もジェイデン様で、人目があると気が散るのだがな、と気乗りしない様子だったが、推しの強い二人にはかなわない。仕方がないので私とジェイデン様はルッツ様の用意していたスカーフのような赤い布に、アドニス様から渡された少し紫がかった針を使って魔道具を作ることになった。
「紋様はどうします?」
「別に何でも構わないけど……どうするルッツ? 前に欲しがってたやつ作ってもらう?」
「いいのかぼっちゃん!」
「僕としては性能が分かればいいから」
「じゃあ嬢ちゃん、これを刺繍してもらっていいか?」
そういってルッツ様に一枚のハンカチを渡される。そこには狼に似た動物と、炎が刺繍されていた。
「えっと……これは魔道具になるのですか?」
「ああ、俺ん家の紋章だ。風と炎の魔術の威力を増加する効力があってな」
「騎士の家系では、術式の紋様を組み込んだ紋章を掲げることが多い。どこへ行くにも身に着けるものだからな」
「わかりました。手順はどのようになるのでしょうか?」
「俺はそういったことは疎いからなぁ、ジェイの旦那はわかるか?」
「勿論だ」
ジェイデン様にざっくりとした手順を教わる。普段裁縫をするときと大差なく、ほっと息を吐いた。三人に見つめられながら作業を行わなくてはならないだけでも緊張するのに、更に初見の複雑な紋様だったなら、成功するとも限らない。
「少々時間がかかると思いますが」
「大丈夫、飽きたら勝手に時間を潰させてもらうから」
そういって片目をつぶるアドニス様に促され、ジェイデン様に渡された青い糸を使って凛々しい狼の姿を布に描き始めた。
新しい針は今までのものより更に細く、スカーフのような薄布を縫う分にはすいすいと進むが、これが帆布のような分厚く固いものだったら針が負けてしまうかもしれない。刺繍の途中でこれは試作品のテストだったことを思い出し、布地を観察するが針跡もほとんど目立たず、女性のドレスのような薄く繊細な布に刺繍するのも適しているだろう。今までは材質の都合上なのか、細い針は目の詰まった薄物を縫っていると折れやすい傾向にあったが、魔物の尾羽でできているらしいこの針は極限に細くしても、丈夫さとしなりを兼ね備えている。例え魔道具を作らずとも、自分の刺繍用に一本欲しくなるものだった。
時折ジェイデン様に糸をつないでもらいながら、魔道具が完成したのは2時間と少し経った後だった。複雑な紋章ではあったが、刺繍のサイズが左程大きくなかったため短時間で済んだ。糸が淡く光り黄金色に変わったのを見届けると、ほっと息を吐いて糸の始末をする。パチンと小さなハサミが音を立て糸を切った。顔を上げると、アドニス様とルッツ様が自分が想像していたよりも間近で覗き込んでいたことに驚き体が跳ねる。
「ああ、ごめん。あまりにも見事な手腕だったから、見入ってしまったよ」
「ずっと見てらしたのですか……?」
「俺たちもちょくちょく休憩は入れたさ。それにしてもうまいな、うちの姉貴と比べると雲泥の差だ」
「ルッツのお姉さんは剣しか握ってないんだから、比べちゃかわいそうだよ」
「それもそうだ。うちの姉貴ほど、性別を間違えて生まれてきたと思うやつはどこにもいないわ」
ルッツ様がからからと声を上げて笑っているうちに、ジェイデン様が手配したお茶が運ばれる。私が刺繍をしている間にも数度エリスたちがアドニス様たちの給仕を行ったらしいのだが、まったく気づかなかった。
暖かい紅茶を飲みながら、ほっと一息つく。長時間同じ姿勢で固まってしまった背筋をこっそり伸ばしながらいただく甘い茶菓子は、細かい作業で疲れた私の頭を癒してくれた。
「後で俺が効力を確認しておく。旦那、どこか広い場所を借りていいか?」
「地下に訓練場がある。俺はほとんど使ってないが、おそらく手入れくらいはされているだろう」
「あ、僕も! 僕も確認する!」
「じゃあ坊ちゃん、夕食後の腹ごなしに一戦するか?」
「えー、僕は嫌だよ。ジェイに相手してもらったら?」
「おいおい坊ちゃん、俺はさすがにそこまで命知らずじゃねぇよ」
二人の会話に耳を傾けていると、まるでジェイデン様がお強いみたいな雰囲気だ。おいしいお茶に気が緩んでいた私は二人がいることを忘れて、ついいつものジェイデン様との会話のようなノリで疑問に思ったことを口に出してしまう。
「旦那様ってお強いんですか?」
「結界魔術師は強いというか、堅いんだよね」
「堅い?」
「そもそも嬢ちゃんは、三大魔法属性って知ってるか?」
「いえ、火とかはあるんだろうな、とは思ってますけど」
「三大属性はその名のとおり、火、水、土魔法のことだよ。他にも属性は色々あるけど、魔法の素養がある人間のほとんどがこの属性を使うことになる」
「あれ? 私、風魔法って聞いたことがあるんですけど……」
「風は土魔法の中の一つだね。火魔法に加熱、水魔法に氷や冷却があるみたいに、三大魔法から細分化していくんだ。そしてこの3つは相殺し合う」
「火剋土、土剋水、水剋火。火は土を殺し土は水を殺し水は火を殺す」
「三大属性にもそれぞれ結界を成す魔法はあるんだけど、土の壁ならば火で焼かれ、水の壁ならば土で穿たれ、火の壁なら水で破られる。魔術師の力量にもよるけど、力が均衡しているならそういうルールになってる。ただ、結界魔術師の使う魔法は光という、三大属性には属さない別の秩序に則った魔法なんだ。だから同程度の力を持った魔術師が結界魔術師と争っても、三大属性のどれをぶつけたところでその結界は破ることはできない」
「光を剋する闇魔法は禁忌とされているしな。つまりこの世界に王から任命されるほどの能力を持つ結界魔術師の光魔法を破れる人間は存在しないってことだ」
「なるほど。何となくは、理解しました」
「しかしながら、俺は攻撃を不得手としている。おそらくルッツ相手ならば怪我を負わせることはできんと思うがな」
「消耗戦になるのが目に見えてるさ。だから光魔法相手はしたくねぇんだよ」
やれやれ、といった様子でルッツ様が両手を広げた。
□
その後、アドニス様とルッツ様は5日コールス家に滞在した。ルッツ様の魔道具の性能テストをしたらしい彼らからは連日魔道具の制作を頼まれて、私とジェイデン様はそれにかかりきりになってしまったが彼らと過ごす時間にも慣れてしまい、今ではルッツ様とは軽口を叩くまでの関係になっている。
それに比例して、エリスの機嫌は下降の一途をたどっていた。徐々に打ち解けているエリスの取り巻きの一部からは「色男に囲まれてうらやましいわぁ。ところでアドニス様はどのお菓子がお好みなのかしら」とからかわれながらも彼女たちの噂話の種を提供していたが、エリスにはその懐柔策も効かないようだった。
つい先日も旦那様との魔道具作りが終わった後に廊下を歩いていると、花瓶の水をかけられた。初めての武力行使だ。彼女は平民風情が、調子に乗るな、お前などお情けで雇ってもらっている、など私に対する不満をぶちまけた後立ち去ってしまったので、濡れた服のまま廊下を拭きあげた。
私に当たるのは百歩譲って許すとして、自分のやったことの後始末くらいはきちんとしてほしいものである。エリス風に言うと、コールス家に仕えるメイドとして他の手を煩わせるなど恥ずかしいと思いなさい。リト風に言うと、てめぇのケツはてめぇで拭け、である。
エリスは屋敷で働き始めてから順調に勢力を増やしている。具体的に言うと、貴族の子女であるメイドたちである。彼女たちはコールス家のメイドである前に、貴族の令嬢である。有り体に言うと、そんな感じの意識を持っていた。
エリスの取り巻きの一人が、男爵家令嬢であるこの私が荷物なんて持つわけないじゃない、と平民出身のメイドに仕事を押し付けていることすらある。そもそもメイドである前に貴族の令嬢であるならば、実家に帰ればいいんじゃない? というのが平民出身のメイドの総意である。
もちろん、貴族出身のメイドの中にも穏健派はいる。彼女たちは実家のこともありエリスに従う体を取ってい入るが、家格も高くないので意識は私たち平民と変わらない子もいた。
人が増えれば派閥も生まれる。いつの間にかこの屋敷は、気位の高い貴族出身のメイドを主とするエリス派と、その他のリーコ派という二つの派閥が生まれていた。それともう一つ、貴族派の中に穏健派もこっそり存在している。
私は旗印になったつもりはないが、エリスが頻繁に突っかかるのが私だったため、いつの間にか平民代表のような扱いになっていた。男たちは女の諍いを恐れ首を突っ込もうとはしないし、頼りのロバートさんも穏やかな顔で静観している。
私としては関わらないので関わってほしくない、の一言に尽きる。
日に日に平民派――と、私は呼んでいる――の中で不満が高まりつつあり、そのうち気性の激しいメイドどうして抗争が起きるのではないかと危惧していた矢先、私はエリスをはじめとする貴族過激派の面々に取り囲まれていた。
「忠告したのだけど、その空っぽな頭では理解できないようね」
エリスが腕を組んで私を見下ろす。その後ろでは彼女の取り巻き立ちがにやにやとした顔で笑い合っていた。これが俗にいうリンチってやつか。現実から逃避した私は、心の中で独り言ちた。
貴族過激派の人数は少ないが、苛烈さでは平民派、穏健派を圧倒的にしのいでいる。成人しているのに学校に通うほどの能力もなく、行儀見習いとして他所に出される程度の人間なので性格はお察しの通りだ。その性根を叩き直すために家を出されたはずなのだが、コールス家のメイド長のような穏やかな女性には彼女たちのような偏見と高慢で凝り固まったお貴族様の矯正は難しいらしい。
私が何も言わないことを、怯えていると解釈したのか貴族派の笑いが更に深まる。
「あの……」
「今更謝ったって無駄よ。まあ、平民風情が地に頭をつけたところでわたくしたちには何の価値もないことなのだけれど」
「いえ、そういうことではなく」
「何よ!」
「どうして私がこのことを旦那様に報告しないと思うのですか?」
耳障りな笑い声がぴたりと消えた。
そもそも彼女たちの前提は間違っている。どんな嫌がらせを受けたとしても、私は袖を涙で濡らすだけで何もできないと思っている。例え私が事を公にしようとも、権力を傘にきて私を黙らせることができるとおもっている。しかし、そんなことは彼女たちの妄想でしかない。
「エリスは教育の時間が増えたそうですね」
「よ、呼び捨てなど無礼な!」
「何が無礼なのでしょうか。私たちは同じコールス家のメイドです。そこに上も下もありません」
「私は貴族なのよ! 平民風情から名を呼ばれる謂れはないわ!」
「では、こう呼べば満足でしょうか、エリス様。もう一度聞きますね? エリス様は教育の時間が増えたそうですね。どうしてだと思いますか?」
どうもこうも、私が旦那様に話したからである。旦那様は淑女のかような所業に心を痛めていた。そして私に謝罪した。私の望む処罰を与えるとも言っていたが、それは丁重にお断りしておいた。旦那様が絡むとことが更に厄介になるのは目に見えていたからである。
事態を察したのか、エリスの目が吊り上がる。
「お前、しゃべったのね!」
「いけませんでしたか? 口止めされていなかったもので」
「わたくしを敵に回して、どうなるかわかっているの?」
「さて。どうしてくれるのですか? 指でも折りますか? そうすれば、刺繍はできなくなってしまいますね」
エリスは鬼の形相でむつりと黙り込む。取り巻き立ちはひそひそと、周りの顔色を窺いながら目くばせを交わしていた。
「エリスは何がしたいんですか? 私をこの屋敷から追い出したい? それとも、いじめ抜いて私が死ねば満足なんですか?」
「わ、わたくしは……」
「エリス様は、平民風情がジェイデン様に不必要に近づいることにお怒りよ!」
「そうよ! 平民のくせにジェイデン様の私室に入るなど……!」
「貴族である私たちを差し置いて、不敬ですわ!」
言葉を飲んだエリスの代わりと言わんばかりに、取り巻きたちがキャンキャン吠える。
「ちょっと黙ってもらえます? エリス様はエリス様はって言うけど、それ全部あなたたちの意見ですよね。そもそも、あなたたちは旦那様が仕立て屋を呼んで話をしたところで、その仕立て屋が平民ならば同じことを言うんですか?」
「そんな話はしていないわ!」
「同じことですよ。技術もないのに、自分たちに採寸させろと言うんですか? それで出来上がるものの完成度が下がったとしても、あなたたちは自分が携われたから満足するんですか? ……するんでしょうね」
「私たちは……!」
「黙りなさい」
食い下がろうとした取り巻きたちを制したのは、意外にも顔色を蒼白にしたエリスだった。
「わたくしは、お前がジェイデン様と親しくしているのに腹が立っている」
「ええ、それはよく知っています」
「お前も、優越感を感じているのでしょう? この屋敷のメイドの中で誰よりもジェイデン様に重宝されていることを」
「自分の特技を生かせるのはうれしくはありますがね」
「お前、お前は……」
「あの、勘違いしてもらっちゃ困るんですけど……旦那様は別に私のことを好ましく思うから使っているわけではありませんよ? ただ単に私の出自と、能力があの方の便益だったまでのこと。そこに互いの感情は挟んでいません」
「…………」
「茶菓子を切り分けるにも、剣よりもペティナイフの方が使い勝手がいいでしょう? 旦那様が私を使う理由は、そんな程度のものですよ」
「……そう、そうなの」
もういいわ、そういってエリスは不満げな取り巻きを引き連れて去って行く。
残された私は、怪我しなくてよかった、とほっと息を吐きながら独り言ちたのだった。




