(7)
「どうして?」
日暮れの闇が迫る中、鞠理はおどろいた顔をしてアムドラルスにそう問うた。
そんな鞠理に対し、アムドラルスは厳しい表情で対峙する。
「『生き急ぐな』って言ったよな?」
「意味わかんないよ」
「お前はあの村のことすべてを背負い込む覚悟はあるのか? よく考えろ」
アムドラルスの手厳しい言葉に鞠理はもらったワンピースを強くにぎりしめた。
土をならしただけの沿道にふたつの長い影が伸びる。それらは一定の距離を、緊張感を持って保っていた。
「お前の力は無限じゃない。使えば使った分だけ疲れる。そしてお前は万能じゃない」
「そんなの、わかってるよ。でも、ちょっとぐらい――」
「その『ちょっと』をいつまで続けるんだ? 一度すれば二度目もあるだろう。三度目、四度目……そうやってずっとお前は村のことを背負って行けるのか?」
鞠理はくちびるを噛んだ。怒りと恥ずかしさのためだ。そんな風に突き放した言い方をしなくてもいいだろうという、子供じみた怒りとそんなことを考えてしまう稚拙な自分への怒り。そしてアムドラルスの話した未来を少しでも予想することなく、軽率な提案をしてしまった恥ずかしさ。それらがないまぜになって鞠理は悔しさに口をつぐむ。
「ひとりができることの領分は決まっている。お前がしようとしたことは、その領分を越えることだ」
アムドラルスは厳然たる視線を鞠理に注いでいたが、ふとそれをゆるめて彼女へと歩を進めた。
鞠理はアムドラルスが近づいてきても顔を上げることができなかった。失敗した。その感情が彼女の心を支配し、頭を重くしてうつむかせる。
アムドラルスがふいに腕を上げたので、鞠理は叱責されるものと思って肩を揺らした。
「おい、そんなに怯えるなよ。……悪いな。ちょいと言いすぎた」
アムドラルスの大きな手は、そのまま鞠理の頭にではなく肩に落とされる。そして軽く二度叩くとアムドラルスは鞠理に向き直った。
鞠理はアムドラルスの言葉におそるおそる顔を上げる。そこにはいつもの気やすい男の顔があった。――と言っても顔の上半分は仮面でおおい隠されているのだが。
「マリーの『だれかを助けたい』っていう気持ちはわかるし、それは悪いことじゃねえ。だけど、自分にできることなのか、それともできない範囲のことなのか、その見極めはきちんとしてくれ。……そうじゃねえと、潰れちまうぞ」
「……それでも」
それでもいい。鞠理はそう言おうとしたが、こちらを見つめるアムドラルスの瞳を見て黙った。その目があまりにも優しくて、温かいものだったから、言葉に詰まってしまったのだ。
だがアムドラルスには鞠理の言わんとしたことは伝わったらしい。彼は困ったような笑みを浮かべて言った。
「あんまおっさんを悲しませるようなこと言うなよ」
鞠理はそれにどう答えることもしなかった。いや、できなかったのだ。
以前の鞠理であれば自分の命をどう扱おうが勝手だと、それくらいは放言していただろう。けれど今の鞠理にはそんなことは言えなかった。その理由を鞠理は理解できなかったが、どうしてものどがつかえたようになって、そんな言葉は吐き出せなかったのである。
「よーし。ひと働きしたし帰って夕食にするとするか」
そんな鞠理にアムドラルスは声をかけることなく背を向けて歩き出す。鞠理はあわててその大きな背中を追った。筋肉がほどよくついた、大人の男の背である。鞠理よりも、ずっとずっと大きな背中だった。
雨粒が窓を叩く音に鞠理はゆるりとまぶたを開ける。夜も深まった時間帯。アムドラルスは階下で、鞠理は与えられた中二階の部屋でその身を横たえていた。
あれからのアムドラルスは平素通りに振るまっていたが、鞠理はどうにもそうすることができない。気持ちの切り替えが上手くできずに落ち込んだままである。
今までに「自分ができること」など鞠理は考えたことがなかった。だれかを助けたこともなかったし、逆にまた助けられたこともなかったからだ。
鞠理はただ漫然と生を享受していた。寝て、起きて、食べて、学校へ行き、家へ帰り、そしてまた寝る。そのルーチンワークを繰り返すだけの人生。それが元の世界での鞠理の姿であった。
「『自分にできること』……」
鞠理はアムドラルスから言われた言葉を反芻するように口にする。なれない音の響きに舌はもつれそうになった。
「そんなの、わかんないよ」
窓を叩く雨音が強くなる中、鞠理はかけ布団を頭まですっぽりとかぶり、闇の中へ身を潜めた。
鞠理のつぶやきは、そんな闇の中へと吸い込まれて消える。今の鞠理の心のようにしるべのない闇の中へと。
四日経ち、アムドラルスは鞠理はふさぎ込んでいることをさすがに気にしはじめた。だから彼女の気分転換になり、ついでに自尊心も回復させようとある提案をしたのである。
「依頼斡旋所?」
雨雲が過ぎ去り雲ひとつない晴天の空が広がる朝、起きぬけに言われた言葉を鞠理は繰り返した。
「そうだ。パータは小さすぎてないが、それなりの町ならどこにでもある施設だ」
「今日はそこに行くの?」
「ああ、しばらく行ってなかったしな。ちょいと顔を出してみようかと思ってね」
「ふーん」
「それで、マリーは着いて行くか?」
期待のこもったまなざしを受けると断りづらい。鞠理は以前に比べて己の力を行使しようと言う意欲を失していたが、しかしアムドラルスのそんな視線を受けてはうなずかざるを得なかった。
最寄りの依頼斡旋所はパータから馬車で半日ほどの町にあると言う。パータの村人たちからの仕事がないときや、畑の休耕期などにはそこへ行って仕事を請け負っていたらしい。
パータに寄った乗り合い馬車に乗車したふたりは、ともに鎖帷子をつけている。鞠理はそこに昨日にもらった礼の品から選んだワンピースを着て、下には元の世界から持ち込んだハーフパンツを履く。アムドラルスも似たような軽装で、しかし鞠理とは違って武器を携帯していた。
馬車の乗客たちは様々である。民間人と思われる非武装の人間から、大荷物を携えた商人らしき男。それからアムドラルスと同じく武装した屈強な男たちがいく人か乗っていた。
「依頼って、どんなの? やっぱり魔獣退治とか?」
朝食を食べてすぐに支度をして出て来たため、そのあたりのことを聞くひまがなかったのだ。馬車に揺られている時間はすることがないので、これ幸いと鞠理はアムドラルスに質問する。
「まあ、そんな感じだな。だけどそれ以外の依頼もあるぞ。掃除をして欲しいだとか荷物を届けて欲しいだとか――」
「要するになんでも屋なんだ」
「そんな感じだな」
「それで、今日はなんの依頼を受けるの? あと馬車で半日かかるって聞いたけど、あっちで泊まるあてってあるの?」
「それはまだ考え中だな。場合によっては野営になるが、依頼によっては斡旋所で野営に必要な道具は貸してくれる。宿屋に泊まるにしても金のことは心配するな」
鞠理はアムドラルスにしては無計画だなと思うと同時に、この遠出が自分のためだということも薄々感づいていた。
あの日から何度も自問を繰り返しているが答えは出ない。「自分にできること」がなんなのか、そして「自分にできる範囲で人を助ける」ことがどういうことなのか、その意味を未だつかみかねていたのだ。
そうして落ち込みが消えない半面、それでも一ヶ月半ぶりの遠出には素直に心がおどった。外出が特別好きと言うわけではないのだが、それでも鬱々とした気分でいるとなんとなく開放感のある外に出たくなってくるものだ。そこに「仕事をする」という目的があればなおのこと、沈んでいたやる気がわき上がって来る。
アムドラルスの手のひらで転がされているような気はするものの、今はそれに乗ってしまおうと鞠理は決めた。
初めて訪れる町はパータとは違い人にあふれた騒々しい場所であった。
三階建て、四階建てのレンガ造りのアパートが並ぶ大通りを過ぎれば依頼斡旋所の入り口が現れる。そこは人の行きかいが多い中でも特に出入りが激しく、絶えず人間が吸い込まれては吐き出されて行く。
そこを通る人間も様々だが、やはり筋骨隆々とした肉体を持ち、武器を携行した男たちの姿が目につく。彼らは鞠理たちと同様に依頼を受けに来た側なのだろう。しかしいずれも粗野な雰囲気はぬぐえず、鞠理は思わず尻ごみしてしまいそうになる。
アムドラルスの陰に隠れながら鞠理は依頼斡旋所の扉をくぐった。そこもまた、大通りと同じく喧騒にまみれている。奥にあるカウンターでは斡旋所の職員が応対をしており、その奥でも忙しく人が動き回っていた。
「さて、どんな依頼があるかなっと」
アムドラルスは迷いのない足取りで室内に設けられた掲示板群へと向かう。そこかしこに立てられた掲示板には、びっしりと紙が留めつけられている。
「これが依頼書、な」
そう言ってアムドラルスが指差した先を見た。文体は様々であるが、どれも鞠理には問題なく読める。
馬車でアムドラルスが説明した通り、掲示板には様々な依頼が並んでいた。家の雑草むしりから、掃除に店の用心棒まで様々だ。
「この辺りは比較的危険度の低い案件」
アムドラルスはきびすを返し、後ろにある掲示板を見やる。
「――で、こっちは魔獣退治とかのわりと危ない依頼」
鞠理もそれにならって振り向く。掲示板には先ほどとは違い、依頼主に個人の名前は少なかった。村や寄り合いといった規模の依頼主の名が多く連ねられている。
内容もアムドラルスの言った通りに魔獣を退治して欲しいという文面ばかりであった。
「わざわざ遠いところから来たんだから、庭の草むしりとかの依頼は受けないよね?」
「そりゃあな。だけど用心棒とかも柄じゃない」
アムドラルスはそう言いながらひとつの依頼書を取った。
「ちょうどここの近くの森の魔獣を退治して欲しいって依頼があるな。これにしよう」
「……『危ない』とか言わないんだね」
アムドラルスはにやりと笑って鞠理の頭を軽くなでる。
「まあ、危ないことに変わりはないが、この魔獣は比較的狩りやすい。それにマリーがいるしな」
その言葉に鞠理の沈んだ心はわかりやすく喜んでしまう。しかしやはり素直な感情を表に出せず「まあね」とそっけない返事をしてしまった。
そんな鞠理を微笑ましく思いアムドラルスは仮面の奥で目を細める。
「じゃあいっちょ行きますか――」
「あのー……」
受付へと向かおうとしたアムドラルスと鞠理の背に声がかかる。ふたりは同時にうしろを向く。そこには剣を携えた頼りなさげな青年と、鞠理とあまり年の変わらぬ少女がその一歩後ろにたたずんでいた。




