(6)
うっそうと生い茂る森を草木をかき分け入る影がふたつ。
アムドラルスによって鎖帷子を着せられた鞠理は、同じ装備に弓と矢筒を背に両刃剣を腰に下げた彼のあとを追う。
「今度の魔獣はいつもここら辺にいるやつとは違う」
「じゃあ、わたしが前に遭ったやつとは違うの?」
「ああ」
鞠理はその道中に昨晩アムドラルスから教えられた情報を思い出していた。
「魔獣……というか魔物だな」
「どう違うの?」
「魔獣は普通の動物と同じように生殖を繰り返して子孫を作る。魔物はなんらかの突発的な事象によって生み出された生物、ってところか。まあ、みんな面倒くさくて十把一絡げに『魔獣』って呼んでるけどな」
「ふーん。とにかくどっちも危ない感じ?」
「そうだな。危険度で言えば魔物の方が上かもしれないが。なにせ魔獣の縄張りを把握して安全だと思っていたところに現れたりするのが魔物だからな」
アムドラルスの口ぶりでは過去になにかしら魔物に苦い汁でも飲まされたようである。
「今回の魔獣は植物が変化したものらしい。それが森にいて狩りができないんだと。おまけに死ぬ瞬間に確率で種を飛ばして繁殖するらしい」
「じゃあ、そいつをやっつければいいんだ。わたしの《能力》を使えば繁殖する間もなく倒せるし」
「そういうわけだ」
植物が変化した魔獣がどんなものなのか鞠理には予想がつかない。おまけに森の中では周囲は植物だらけである。木を隠すには森の中というが、まさしくかの魔獣たちが身を隠すにはこの森はうってつけであった。
先行するアムドラルスに完全に任せることなく、鞠理は鞠理で周囲の警戒に当たる。しかしそれはなかなか神経を削る作業であった。
草木に囲まれたこの場に、見たことのない植物の魔獣がいる。そしてそれがいつ襲いかかって来るかわからない。村人たちが森で狩りができないと言うのも納得だと鞠理は思った。
魔獣を先に見つけたのはアムドラルスだ。
急に腕を後ろへやってその手のひらを見せたかと思うと、口元に人差し指をあてる仕草をした。次いで視線を獣道から外れた森の奥へとやる。そこには緑色の筒状の魔獣がいた。
魔獣はどことなく食虫植物に似た外見をしている。緑色の筒の下に生えた繊毛で移動するのだろう。上の部分には穴が開いておりそのふちもまつ毛のような繊毛が生えている。そしてふちの一部から太いつるのようなものが伸びていた。あれで攻撃したりするのだろうか。鞠理は無意識のうちにつばを飲みこんでいた。
加えて、魔獣は一体だけではなかった。少し距離を置いて実に五体の魔獣が湖の近くでうごめいていたのである。
「五体か。他にいる可能性もあるが……」
「どうするの? おっさん。わたしはいつでも行けるよ」
「そうだな。どうせなら一気呵成に仕上げちまいたいところだ。……よし」
腰をかがめて様子をうかがっていたアムドラルスが鞠理を見る。いつになく真剣なその瞳に、鞠理も改めて気を引き締めた。
「まずおっさんが先に出る」
「危なくない?」
「こういうことに多少の危険はつきものだ。――で、だ。魔獣と魔物ってのは性質あんまり違いはない。つまり、獲物がいればそっちに向かって行く。だからおっさんが囮になってやつらを一か所に集める。そしたら」
「わたしの《能力》で倒す。んだよね?」
鞠理の答えにアムドラルスはにやりと笑ってその頭をなでた。
「ああ。だからそれまでマリーは隠れてるんだ。いいな?」
「わかった。……無理しないでね、おっさん」
信用していないわけではないが、今までのその目でアムドラルスの仕事ぶりを見て来たわけではないのだ。だからこそ鞠理はつい心配してしまうのである。
そんな鞠理の心中を察してか、アムドラルスは磊落に笑って「おっさんに任しとけ」と言うや、腰に提げた剣を鞘から引き抜くことなく外した。そして植物型の魔獣たちの前へ一歩近づくや、鞘のついた剣を手近な木の幹にぶつけて音を立てる。
「こっちだ!」
アムドラルスの立てた音と声に、魔獣が五体、いっせいに反応を見せる。その動きは鞠理が予想していたよりもずいぶんとのろい。それでも気を抜けばあっという間に追いつかれてしまうだろう。
アムドラルスは俊敏な動作で魔獣と魔獣のあいだを巧みに駆け抜けて行く。途中、魔獣が筒状の体のふちから生やしたつるをアムドラルスめがけて振り下ろしたが、それらはいずれも空を切るか、あるいは彼の剣によって鮮やかに切り落とされてしまう。
魔獣たちを誘導しながらもアムドラルスは軽快に彼らの足元へ踏み込んでは、その体から伸びるつるを果敢にも切り落としてゆく。手慣れた様子で攻撃をいなしながら魔獣たちを的確に一か所へと集めて行くアムドラルスの姿は、さながら舞踏といったところか。
そんな華麗な振る舞いに鞠理は目を奪われた。アムドラルスの自信は実力に裏打ちされたものだったのだ。疑っていたわけではないものの、話に聞くだけと実際に目にするのではずいぶんと印象が変わる。
「……すごい」
だれへ言うでもなく鞠理はごく自然にそう口にしていた。
「マリー!」
アムドラルスの鋭い声に鞠理は我に返った。
目の前には魔獣五体を後ろに従えて走って来るアムドラルスの姿。鞠理はそれを見て両腕を前に突き出す。《能力》にアムドラルスを巻き込まないよう慎重に見極めなければならない。幸いにも有効範囲はこの一週間でほとんど正確につかめていた。
アムドラルスは鞠理がいる場所から直角のしげみへと飛び込む。そうして彼の姿が見えなくなり、代わりにそれを追う五体の魔獣の姿をしかと捉えた鞠理は力を込め高らかに叫ぶ。
「――《促進》!」
体の芯からなにか温かいものが抜けて行くような感覚が走る。その潮流は体の中で少しだけうずまいたあと、両腕へと流れて手のひらへ、指へと向かい手爪先を熱くした。
五体の魔獣は一瞬だけひと回りほど大きくなったかと思えば、次の瞬間は茶色にしおれ、枯葉のようになってその場に崩れ落ちる。
そしてそのまま五体の魔獣は重なり合うようにして完全に沈黙した。
「……やった」
鞠理はそれを見て息を吐く。そして自分の手のひらへと視線を落とし、何度か拳を開いては閉じることを繰り返した。
思ったよりも体力の消費は激しくない。もしかしたら《能力》には「慣れ」というのもあるのかもしれないと鞠理は思った。
草をかき分ける音がしてそちらへ視線を向ければ、隣の藪からアムドラルスが顔を出す。その顔は今の鞠理と同じくゆるく破顔していた。
「やったな」
「うん。やったよおっさん」
藪から出たアムドラルスは鞠理の頭でぽんぽんと手のひらを跳ねさせる。それを甘んじて受け止める鞠理の顔には隠しようのない喜びがあった。
初めてアムドラルスの役に立てた。今の鞠理はそのふわふわとした気持ちでいっぱいだったのだ。
「怪我はないな?」
アムドラルスは素早く鞠理の体に視線をやる。
「ないよ。おっさんは? だいじょうぶだった?」
顔を横に振り、鞠理もアムドラルスの立派な体躯を見やるが、そこには当然のように傷ひとつなかった。
アムドラルスも首肯してそれに答える。
「ああ、おっさんならだいじょうぶだ。それよりも他にもまだ魔獣がいるかもしれん。まだ《能力》は使えるか?」
「うん。まだまだだいじょうぶ」
「よし! それじゃあ行くぞ」
その言葉で鞠理はなんとなくアムドラルスに認められたような気がしてむずがゆい気分になった。
結局、その日は森の中を歩いてまわり合計十九体もの魔獣を倒すこととなった。
「一応、魔獣のつるを持って来たぜ。と言ってもまだ他に徘徊しているかもしれねえから気をつけてな」
パータの村人に囲まれたアムドラルスはそう言って村長らしき老齢の男に枯れたつるを渡す。それを見て村人たちはいぶかしげな顔をした。
「なにか枯れているが……?」
「ああ、それはこいつ……マリーの力だ。マリーのおかげで種を飛ばす前に処理できたんだよ」
生来人懐こい性質ではない鞠理はアムドラルスの後ろに隠れて事の推移を見守っていた。しかしアムドラルスの言葉でぐいと村人たちの前に突き出されてしまい、鞠理は思わずたたらを踏んだ。その醜態を恥ずかしく思う鞠理であったが、村人たちは気にした風でもなくむしろ「こんな小娘が?」というような視線をよこすのみである。
「マリーは《異界獣》なんだよ」
アムドラルスの言葉に村人たちがどよめく。それにおどろいた鞠理はわかりやすく肩を跳ねさせた。しかしその肩にアムドラルスのあの大きくて温かい手が置かれたことで、鞠理はいくらか平静を取り戻すことができた。
「これがあの……」
「リュケネの『贈り物』……」
好奇の視線にさらされたものの、アムドラルスがいると思えば恐怖を感じることはなかった。それらの視線がどちらかと言えば好意的なものであったことも大きい。アムドラルスにあとから説明されたが、女神の「贈り物」ということで《異界獣》を尊ぶ文化がこの国にはあるようなのだ。
村長が一歩鞠理の前に出る。
「わが村のために尽力してくれてありがとう」
「い、いえ……」
鞠理は恥ずかしさのためにうつむいたので、アムドラルスが面白そうなものを見るような目で笑っていたことには気づかなかった。
その後、鞠理とアムドラルスは村人たちからお礼の品をたっぷり持たされた。それらの中には鞠理にとお下がりのワンピースをくれた村人もいた。鞠理の服はこちらへ来たときの服と、アムドラルスが市場で適当に買って来た服とをローテーションして使っていたので、これはうれしいお礼の品であった。
鞠理はだれかに認められ、ほめられることの喜びを知り有頂天になっていた。だから、村人のある言葉が耳に入ったとき、軽率にもある提案をアムドラルスにしてしまったのである。
「それにしても魔獣といいこのところついてないねえ……」
「ねえ……雨も降らないから井戸もそろそろ枯れるんじゃないかね」
「今年は収穫量が減るかもしれんな……」
ふたりが暮らす丸太造りの家へと向かうその帰路で、そんな会話が耳に入り鞠理は思わず足を止めていた。それに気づいたアムドラルスが不思議そうに鞠理を振り返る。
「マリー、どうした。疲れたか?」
「……ねえ、おっさん。この《能力》があればもっと色んな人の役に立てるよね」
「まあ、そうだな」
思えばアムドラルスはこのときには鞠理が言わんとしようとしていることがわかっていたのだろう。彼にしては珍しく歯切れの悪い返事をする。
「それならこの《能力》で村の作物を――」
「それはだめだ」
素早い断言に鞠理は目を丸くした。




