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鞠理が女神リュケネによって与えられた能力、《促進》。それは「もの」の「状態」を文字通り促進させる能力であった。
たとえば植物の種に使えばそれはたちまちのうちに芽を出し、茎と葉を形成して花を咲かせ実をつける。逆に先の魔物のように成長の頂点を迎えた「状態」であれば、老化が《促進》される。
未熟なものであれば成長ないし生長という「状態」へと《促進》し、成熟したものであれば老化へと「状態」が《促進》される。それが鞠理の《能力》であった。
そしてその《能力》をなにか有効活用できないかと知恵をしぼった結果が冒頭の出来事である。
最初のうちは作物の種を《促進》させることで売り物を作っていたのだが、そこでアムドラルスが欲をかいて水薬にも適用できないかと言い出したのである。
《能力》を使う鞠理は直感的にうまく行かないということを悟ったのだが、アムドラルスに言っても聞かないだろうと黙っていた。その結果が毒々しい色の水薬たちである。
そして《能力》に目覚めてから一週間。試行錯誤を繰り返した結果、《促進》の《能力》を使うには体力を消費することがわかった。それは「もの」の「状態」を《促進》させればさせた分だけ消費するという、非常にわかりやすい形で現れた。
要するに《能力》を使いすぎると疲れて眠くなってしまうのである。
鞠理が中二階に与えられた自分のスペースで寝入ってから目覚めると、すでに日が暮れはじめていた。
階下ではアムドラルスが夕食の支度をしている気配がして鞠理はあわてて起き上がる。
その日の夕食の席でアムドラルスはいつものように日雇いの仕事に出ることを鞠理に告げた。
「今度はどんな仕事なの?」
パータの村でのアムドラルスの立ち位置は「気のいいなんでも屋」といったところである。赤銅色の健康的な肌にしっかりと無駄なく筋肉のついた体躯を持つアムドラルスが頼まれるのは、概ね力仕事や害獣退治であった。
今回もそんなところだろうとスープに固いパンをひたしながら鞠理は考えていたが、アムドラルスの答えは予想とは違った。
「魔獣が出たから退治して欲しいんだとよ」
「えっ」
魔獣。その単語に鞠理はパンをスープの中へ取り落とす。それを見たアムドラルスが「なにやってるんだよ」とからかうように笑った。
鞠理はスプーンでパンをすくい上げながら、真剣な様子でアムドラルスへ問う。
「それって危なくないの?」
脳裏をよぎるのは一週間ほど前の魔獣との邂逅。あのときは鞠理の能力で退けることができたが、あれは常人には相手が務まるようなたぐいの生物ではないだろう、というのが彼女の見解であった。
しかしアムドラルスによるとそうでもないらしい。
「昔、傭兵団に入ってたって言っただろ。おっさんはそこで団長を務めてたんだ。そこらの男よかよっぽど腕が立つぜ。それに魔獣を相手にするのは初めてじゃないしな」
「でも、もう辞めたんでしょ? その傭兵団とかいうの」
「ああ、年齢的にキツくなって来たからな」
アムドラルスの言葉に鞠理は不安を募らせる。
そして気がつけば言葉が口から滑り出ていた。
「わたしも連れて行って」
「あ?」
今度はアムドラルスがパンをスープの中に取り落とす番であった。アムドラルスはおどろいた顔をとりつくろうようにスプーンでスープに落ちたパンをすくい上げる。
「ばかなこと言うんじゃねえ。危ないだろうが。今まで通りお前は留守番しておけ」
「やだ」
「やだじゃねーの」
「やだったらやだ。ぜったい着いて行くからね」
「あのなあ……」
鞠理の胸にあるのは「ようやくアムドラルスの役に立てる」という思いひとつである。彼から多大な恩義を受けながらもそれを返せず、また返せる見込みもなく悶々としていた鞠理にとって、今回の仕事はまさに渡りに船であった。
いつになく強い光をその瞳に宿した鞠理を見て、アムドラルスはため息をつく。
「魔獣がどんなものかは知ってるだろ?」
「知ってるよ」
「なら、危ないってのもわかるな」
「うん。だから着いて行きたい」
鞠理は口へと運ぶスプーンの動きを止め、じっとアムドラルスの仮面の奥を見つめた。
「わたし、おっさんの役に立ちたい」
その言葉にアムドラルスはいつになく深いため息をついた。
「マリーは困ったちゃんだな……ったく」
「絶対着いて行くからね」
「それに」と鞠理は言葉を続ける。
「《異界獣》って、そもそもそういうことをするためにいるんじゃないの?」
鞠理はこちらへ来てから常に考えていたことがあった。それは《異界獣》の存在意義である。
異界の自殺志願者に特別な力を与え、それを「贈り物」として女神を信仰する者に与える。その行為の意味するところ。そしてその《異界獣》がくじ引きをするほどまでに欲される理由。それを鞠理は考えながら、ある程度の結論を出していた。
それは労働に従事させるためであろう。「特別な力」と称すからにはそれらの力をこちらの、元からいる住人たちは使えないに違いない。ならばその己たちでは使えない力を持つ《異界獣》を欲するのも納得である。なにかしら《異界獣》はこの世界の住人たちにとって都合のいい能力を持つという法則でもあるのだろう。
現に鞠理の《促進》は作物の種に使えば、あっという間に売り物にできる野菜や果物を手に入れることができる。これは楽して金銭を得たい者からすれば夢のような能力に違いなかった。
「《異界獣》が《能力》を持たされるのって、この世界で生きて行くためのお金みたいなもの……というよりも、この世界の人の役に立つためのものじゃないの?」
「……まあ、たしかにそういう面もある。けどおっさんは別にお前にそういうことは求めちゃいない」
「水薬を促進させて金儲け考えてたじゃん」
鞠理が痛いところを突けばアムドラルスは「ぐっ」と奇妙な声を上げた。しかし持ち直すのは早い。
「それとこれとは違うだろ。それにおっさんは危ないから反対してるんであってだな……」
「危ないのはおっさんも同じでしょ。《能力》の使い方にも慣れて来たからだいじょうぶ。自分の身くらい守れるし、おっさんだって守れるよ」
「だからおねがい」と続ければ、アムドラルスは両手を挙げて降参のポーズを取る。それを見た鞠理は表情の少ない顔を輝かせて喜んだ。
「わかった、わかった。勝手に着いて来られちゃ困るからな」
「やった!」
「……そんなにうれしいかね?」
「うん。だって、おっさんの役に立てるんだよ」
そこまで言ってから鞠理は気恥ずかしくなって頬を赤らめる。
ちょうど思春期に差しかかった年頃の鞠理は、なにかと素直に感情を表現することができない。それは元の世界での経験も関係していた。元の世界では自分の感情を表現する必要も、機会も鞠理にはなかったのだ。だから、どうしても己の感情をさらけ出すことに抵抗を覚えてしまうのである。
アムドラルスは鞠理の過去について問うたことがない。だからその辺りの複雑な事情を承知しているわけではないのだが、それでも鞠理が感情を表に出すことを苦手としていることは知っていた。
だから珍しく喜びをあらわにした鞠理を目にして、彼は情けなく眉を下げてしまうのである。
「そうかそうか、そんなにうれしいか」
からかうような口調でそうは言うものの、アムドラルスも喜んでいることは明らかだ。しかし鞠理にはそのあたりの機微は伝わらないようで、頬をますます朱色に染めるばかりである。
「だけど、そんなに生き急がなくていいんだぞ」
アムドラルスの言葉に鞠理はきょとんとする。
「生き急ぐ?」
「ああ。なーんか、お前、いつもなにかに追い立てられてる感じがするからな。もっと肩の力抜いていいんだぞ? ま、おっさんの気のせいだったらいいんだけどよ」
鞠理は己を振り返ってみても、アムドラルスの言葉に自身が当てはまるとは思えず小首をかしげる。そんな様子を見てアムドラルスは困ったような笑みをこぼすが、鞠理にはやはり理由がよくわからなかった。




