(3)
アムドラルスの家はパータという名の村から少し離れた場所にあった。丸太造りの家は鞠理の世界で言うところのログハウスを少しだけ粗末にしたような感じである。
家の入口をぐるりと回れば庭にあたる部分にはそう大きくない畑が広がっていた。どうやらこの畑である程度の自給自足を行っているらしい。
「貯蓄はあるんだけどな。いつ動けなくなるかわかんねーからこうして節約してるってわけよ」
「おっさんってなんの仕事してるの?」
馬車でたっぷり寝た鞠理は冴えきった目でアムドラルスの家を眺める。
起きたときにまたあの干し草と汗の入り混じったにおいがしたとき、鞠理は心底安心した。さきほどまでの出来事は夢ではないのだと。自分を必要としてくれる人間が降ってわいた――アムドラルスからすれば突然わいて出たのは鞠理の方だが――都合の良い状況が泡と消えなくて良かったと、心の底から思ったのである。
パータの村の前で馬車を降りたときには尾骨のあたりが相当痛んだが、これからの生活に対するわずかな期待がそれを吹き飛ばす。
感じ入った様子でアムドラルスの家を眺める鞠理の様子がまんざらでもないらしく、彼は上機嫌で彼女の質問に答える。
「前までは傭兵団に入ってたんだけどな。この年になるときつくなってきてな」
「そういえばおっさんていくつなの?」
「三十九」
顔の上半分が隠れていることもあって「おっさん」と呼びつつも正確な年齢を把握できないでいた鞠理は、「おっさん」が本当に「おっさん」であることに少しだけおどろいた。
「マリーはいくつだ? 十か? それよりもっと下か?」
「はずれ。今年で十三だよ」
「十三? もっと下に見えるぞ」
アムドラルスの言葉に鞠理はむっとした。
「そんなに子供っぽくない」
そんな鞠理が面白いのかアムドラルスは磊落に笑って彼女をなだめすかしにかかる。
「なんだ、女なら下に見られたのを喜んどけよ」
「子供に見られても嬉しくない」
その感覚がまさしく子供なのだとアムドラルスは思ったが、それを口にするほど彼はうかつではなかった。
「まーそんなことより家に入ろうぜ」
鞠理はまだむくれながらもアムドラルスについて丸太造りの家に足を踏み入れた。
内装は外装と同じく丸太が剥き出しの壁に木造りの簡素な家具が配置されている。木のぬくもりを感じさせると言えば聞こえはいいが、どちらかと言えばこの光景に鞠理はそっけなさを覚えた。端的に言うと生活感が薄いのである。越して来てからまだ日が経っていないのかもしれない。
が、しかしその質問をするのは控える。いかに命を投げ打つような真似をして神経が図太くなっている鞠理とて、そこまで詮索するようなまねをするほど無粋ではなかった。
玄関先で留まる鞠理に対し、アムドラルスは家主らしく堂々たる様子で中に入ってゆく。そしてぐるりと家中を見回し、やけにほこりっぽい中二階へと視線を留めた。
「マリー、やっぱ部屋って欲しいよなあ」
「……部屋なんてないじゃん」
アムドラルスの丸太造りの家は広いワンルームといった体である。キッチンですらダイニングルームにあたるであろう部分と区切られておらず、それどころかベッドも部屋の奥に雑に置かれている始末だ。この場のどこに部屋があるというのか。その意味も込めて鞠理はアムドラルスを見る。
しかしそうしてるあいだにアムドラルスは思案する仕草をしたのち、ぱんと両手を叩いてなにかを決めたらしかった。
「よし、決めた。あそこをマリーの部屋にしよう」
「……どう見ても物置きになってるんだけど」
アムドラルスの指差す先にはなにかが詰まった布袋が乱雑に積まれた中二階。たしかにスペースはそこそこありそうではあるが、いかに小さいと言えども鞠理が入る隙間はないに等しい。
「そこはあれだ。……これから片づける」
それからその日はほこりっぽい中二階の掃除に夜まで費やされた。
「ここらへんにしよう」そんなアムドラルスのひとことでふたりは掃除を切りあげて遅い夕食にありつくことになる。食事を用意するのはもちろんアムドラルスだ。
「……わたしもなにか手伝いたい」
鞠理は勇気を振り絞って控えめにそう言ったが、その言葉は早々にアムドラルスによって下げられてしまう。
「今日は馬車に乗って掃除して疲れただろ?」
「そうだけど……」
事実なので否定はしない。相変わらず尾骨と尻の肉はじんじんと痛むし、家に来てすぐ掃除に駆り出されたのだから鞠理の体はくたくたであった。
しかし。しかしだ。それでも鞠理はこれからこの家で世話になる……居候となる身なのである。なにかを手伝いたいと思うのは人として当然の感情の発露とも言えた。
そこには一種の後ろめたさもある。
神殿で神官が説明したことが本当であれば、アムドラルスは鞠理が「死を望んでいた」という事実を知っているのだ。それがなんだか恥ずかしいような、奇妙なやましさを鞠理に抱かせた。それを払しょくするために、あるいは誤魔化すために鞠理は手伝いを申し出ずにはいられなかったのである。
そんな鞠理の頭をアムドラルスは軽くなでた。
「気持ちは受け取っとくぜ」
「でも……」
「今日は来たばかりで物の場所もわからねえだろう? なんだったらそばで見といてくれ」
「……わかった」
これ以上食いさがるのも迷惑になるだろうと鞠理はそこで折れる。そして言われた通りにイスを一脚キッチンのそばまで引いて来るとそこに腰を下ろし、器用な手つきで野菜を刻んで行くアムドラルスを食い入るように見つめた。
「マリーは料理できるのか?」
アムドラルスのなにげないひとことに鞠理は言葉を詰まらせる。
手伝いを申し出たはいいものの、実のところ鞠理は日常的に料理をするような人間ではない。家で口にするものは常に出来合いの総菜ばかりであったし、当然ながら親のどちらかがキッチンに立つ姿を見たこともなかった。
「ちょっとくらいなら、できる」
それでも家庭科の調理実習でしたくらいのことはできる。だから「ちょっとくらいなら」と少しだけ見栄を張った。
しかしそれらの体裁はアムドラルスにはお見通しのようである。だが彼は鞠理の精一杯のかっこうつけを暴くようなことはしなかった。ただちょっと口の端に笑みを浮かべてこう言っただけである。
「じゃあこれから手伝ってもらうかな」
「……うん」
鞠理にもそれはわかっていた。だからアムドラルスの優しげな声におとなしくうなずいた。
出来上がった夕食は固いパンに野菜と獣肉の干物をスープにした、鞠理のいた場所からすれば非常に簡素なものであった。それでも鞠理にはそれがとてもおいしく感じられた。胃の腑がじんわりと温かくなる感覚は初めてで、鞠理は少しだけ戸惑う。
「口にあったか?」
「うん。おいしい」
「そりゃよかった」
そうしてその日から、ふたりのささやかな生活が始まったのである。




