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0.はじめに

 多くの日本人、あるいは日本語話者たちが好んで読むファンタジー、すなわち和製ファンタジーにおいて、欠かすことのできない重要な要素の一つに「魔法」がある。

しかしこの「魔法」という代物は、残念ながら現実には存在しない、ある意味では純粋に書き手の構想力に委ねられる存在であった。


 実際に魔法を和製ファンタジー世界に登場させる際に、書き手はどのようなことに注意し、また登場した「魔法」はどのような体系にしたがって運用されるのか。――前回の作品『和製ファンタジーにおける“魔法”の設定について(http://ncode.syosetu.com/n0976bz/)』は、こうした問題について筆者の独断と偏見に基づき考察を進めた結果である。幸いこの作品は、書いた労力に比してもそれなりに実りあるフィードバックを読み手の方々から頂くことに成功し、個人的には「読んで得るものがある作品と見なされたのではないか」とこっそり自負しちゃったりなんかしちゃったりしている。


 さて、この作品を完結させてからしばらく後の某日、私が某大手匿名短文投稿ソーシャルネットワーキングサービスで、匿名であることにつけこんで思う存分暴れまくっていたところ、Econopunk氏(@spritzer_)から興味ぶかいご返事を頂いた。


 『和製ファンタジーにおける“魔法”の設定について』の第一章、その冒頭において、私は「魔法大国」という表現が設定上危険であるということを主張した。またこの主張の中で私は、「もし魔法大国という表記を使いたいのなら、魔力は人間の要素としてではなく、術式の要素にならなければならない」という旨のことを意見したのだが、Econopunk氏はこのことについて指摘し、「魔法大国は、たとえ魔力の持ち主が人間であっても、実現可能であるのではないか」という興味深い議論を私に提示してくれたのである。


 Econopunk氏の主張によれば、


  ①魔法に反対する勢力が存在し

  ②魔力保有者が全人口に比して相対的に少なく

  ③魔法大国を志向するある国に、世界的人材確保が可能であり

  ④魔法が国の内部において奨励されている環境である


 ならば、魔力の持ち主が人間であっても、「魔法大国」は実現可能であるという。


 このテキストでは、「魔法大国」の問題について、とりわけ人間に魔力が宿るという前提のもと、「魔法大国」が実現可能か否かについてを検証することを主眼とする。


 そのためにEconopunk氏の仮説が本当に過不足のない「条件」として成立しうるのか、また条件が成立したときに、本当に「魔法大国」が実現可能なのか、また「魔法大国」が成立したあかつきには、どのような国家体制が成立しうるのかなどについて考察を進めてゆくつもりである。


 なお、前作『和製ファンタジーにおける“魔法”の設定について』では「です・ます」調で話を進めたが、今回は「だ・である」調で話をすすめてゆく。これは前作における読み手側の反応がよかったために、筆者がおごりたかぶって不遜になったというわけでは断じてない。元来、筆者当人にサービス精神が決定的に不足しているために、「です・ます」調を使って前作は変に空回りしてしまったからである。「だ・である」調に文体を変更したことにより、むしろ読み手のみなさまが悪文に振り回される可能性が極力減るであるだろうということをここにお約束申し上げたい。


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