かくれんぼ
「ねえ、かくれんぼしようか?」
学校帰りに通りがかった夕方のちょっと大きな公園で、
突然そう言った彼女は、俺の返事も聞かずに笑いながら走り出した。
「百数えたら探してね!」
そう叫んだのを最後に、目の前からチャームポイントの長い黒髪とスカートのプリーツが揺れながら消える。
「……この歳になって、かくれんぼかよ」
肩をがくっと落としながら呟いた俺の抗議は、もう彼女には届かない。
いつだってそうだ。
彼女は俺には思いもつかない突拍子な行動を平気で始める。それに付き合ってやる俺も俺だが、いつか思い知らせてやらないといけない。迷惑だと。
しかしいつかはいつかだ。今ではない。
俺はため息を一つつくと、仕方なくゆっくりと百を数えることにした。
「一、二、三、四…………」
こんなことをやっていると、嫌でも昔を思い出してしまう。
まだ小学生くらいの頃、今と変わらず彼女に振り回されていた幼少時代の一日。
「十、十一、十二、十三…………」
あの暑い夏の時も、俺と彼女はこんな風にかくれんぼをしていた。
女のくせにおてんばで元気人一倍だった彼女は、暑さでだれている俺に鬼を押し付けて走り去っていく。その日焼けした健康的な肌の色と、それを包む白いワンピースのコントラストは今でも目に焼きついている。
そんな彼女は隠れるのが下手だった。
言いだしっぺのクセに、かくれんぼでは大抵すぐ見つかる。
何せまるで俺に見つけて欲しいと言わんばかりに物陰から頭が見えていたり、尻が出ていたりするのだ。
そうやって見つけられるとすぐ拗ねるから理不尽だ。だったらもっとうまくやれと言いたい。
……言いたかったがさらに拗ねるので一度も口にしたことはない。それに大体はすぐころっと忘れるから問題はなかった。
「二十五、二十六、二十七、二十八…………」
しかしあの時は違った。
それなりに広い公園内を精一杯走り回って探したのだが、彼女は一向に見つからなかった。
木の陰、ベンチの下、トイレの裏――彼女の姿はどこにもない。まったく見当たらない。
しまいにはさすがの俺も不安になってきた。
まさか俺を置いて先に帰ってしまったのか。
もしかしたら公園の池にでも落ちたのではないか。
不安は時間が経つうちにますます募り、俺は炎天下の中で汗が流れ落ちる額を拭おうともせず探し続けた。
探して探して探しまくって、ふらふらになった俺がようやく彼女を見つけることができたのは、それから一時間も経った後だった。
見つけたというよりも彼女が自分から姿を現してきたのだ。
一体どこにいたのか。
そう問い詰めると、何と公園内にある見晴らしの良い丘に生えた大きな木の上に登って隠れていたという。
彼女が言うには探し回る俺をずっと上から見ていたらしい。そしていい加減見つけられない俺に飽きて降りてきてしまったと。
まさに灯台下暗し、いや上暗しだった。
「四十三、四十四、四十五、四十六…………」
俺は怒った。
そんなのは反則だと。いんちきだと。
もちろん木の上に登ってはいけないなんてルールはない。いや、いいとも言ってなかったが彼女に落ち度はないだろう。
これはかくれんぼだ。見つからなければ勝ちなのだ。見つけられなかったほうが間抜けなのだ。
それでも怒ったのは自分自身を恥ずかしく思ったからかもしれない。あれだけ心配したにも関わらずオチがこれでは、そりゃ馬鹿馬鹿しいものである。自分なりに真剣だったからなおさらだ。
そうやって俺がわめいていると、彼女は意外にも素直に謝ってきた。
ごめんなさい、と。
あんな殊勝な姿を見せられたのは後にも先にもあの時だけだ。
それだけに、怒っていた俺は何だか戸惑ってしまった。
そんな俺に対し、彼女はさらに言葉を続けた。
……でも、今度は必ず私を見つけてね。絶対だよ?
俺は、それにぎこちなく頷くしかなかった。
ふんとそっぽを向くこともできたが、何だかその時はそうしてはいけない気がした。
しばらく何ともいえない間が生まれ、やがて彼女はいつものようなまぶしい笑顔に戻った。
それにほっとしながらも、俺は幼心に一体何だったのだろうと悩んだものだ。
でも、今ならわかる。
あの時、彼女は――
「六十七、六十八、六十九、七十…………いや、もう十分か」
俺はそこで数えるのをやめた。
どうせ彼女が隠れる場所はわかっている。
最初からこんなのは茶番なのだ。それでもここまで律儀に数えていたのは、曲がりなりにも彼女が言い出したかくれんぼだからという理由に他ならない。
かくれんぼは、相手を見つけなければ成立しないのだ。
あの日の俺はそれができなかった。
今の俺は、それが、できる。
俺はその場からまっすぐ丘へと続く道を歩き、ずっと変わらずそこに在り続ける大きな木の前に立った。
「見つけたよ。今度こそ、な」
「遅いよ……ずっと待ってたんだからね」
あの時と違って、彼女は木の上には登っていなかった。俺の呼びかけに木の反対側からすぐに姿を現してくれた。
何年もの時が過ぎても、内面だけはちっとも変わっていない彼女。
わがままで、悪戯好きで、とにかく俺に対してやたらとでしゃばり、いつも側に付き纏ってくる。
それを煩わしくも思っていた俺は単なる馬鹿だった。彼女の気持ちに気付きながら、それでも信じられない自分がいて、友達以上の関係にただ甘んじていた。
彼女はずっと、それこそあの時も俺をひたすら待っていたというのに。
だから俺は見つけなければいけなかった。見つけて答えなければいけない。
――自分と、何より彼女のために。
「じゃあ、今度は私が鬼だね」
「ああ」
俺は彼女に頷くと、元来た道をゆっくりと歩き始める。
一歩、二歩、三歩……しかし彼女は数を数えない。
そしてさらに歩みを進めていく俺の背中にそっと声がかけられた。
「もういいかい?」
俺はぴたりと足を止めた。明らかに早すぎる。こっちはまだ隠れてすらいない。
それでも彼女にとっては遅すぎたはずだろう。
振り返った俺は、あの時も馬鹿だった俺は、ようやくその言葉を口にすることができた。
「もう、いいよ」
俺達はやっと、このかくれんぼを終えた。