小さな世界
小さな世界
世界。広大で、可能性にあふれている時空間のこと。
社会。人が織りなす秩序のもとに成り立つ世界のこと。
社会と言えば、「年功序列」「責任問題」「横の関係」・・・。
欲望、願望、嫉妬、憤怒、畏敬、恋慕、が入り混じった、息苦しい世界だ。
たとえば、ありきたりな会社の職場環境を想像してみよう。
ありきたりな営業部署があって、課長、部長、平社員がいて。
平社員がお客様に対してあるミスを犯す。お客様はカンカンで、会社に抗議をする。
上司から怒られた課長は、平社員を呼び出し、怒りをぶつけようとする。
平社員の呼び出しについてきた部長が、課長の怒りを鎮めようと、自分の教育不足だ、自分が悪いと言い出す。
課長は、怒りをぶつけることもままならず、部長がうるさいために、さらに怒る。
一方で、平社員は、怒られているふりをして気にしてないことが、態度に出ている。
まぁ、こんなことが現実にあったとしたら、その平社員は確実に首になるだろうが。
この事態は、課長の憤怒、部長の焦燥、平社員の無責任、無配慮が作用して起こったものだ。
逆に言えば、憤怒、焦燥、無責任あるいは無配慮さえあれば、このような事態が起こりうる。そう。別に、会社の某部署じゃなくても起こりうるのだ。
たとえば。そう、たとえば、だ。
姑、嫁、娘が織りなす憤怒、焦燥、無配慮、を考えてみよう。
姑が娘に用事を頼んだところ、娘は適当にあしらって済ましてしまった。
姑は娘に対し、躾をしようと娘を呼び戻し、お説教を始める。
この騒ぎを聞いた嫁は、娘をかばい、姑の怒りの矛先を自分に向けようと、自分が悪いのだ、と言い出す始末。
娘は不本意ながらに怒られているために、返事もおざなりで、タイミングもあっていない。
姑は、理由もないのに謝り始める嫁に怒りを感じ、娘にさらに怒鳴る。
社会の縮図を家族に見出す瞬間とは、この時を言うのではないだろうか。
社会と家族の「世界」は、規模が異なるはずだ。
しかしながら、時折「縮図」と言いたくなる現象が両者で起こる。
世界とは、なんて、小さいのだろうか。