特別な仕事
「はあああああ?」
昼食をとって間もないお昼過ぎ、廊下に響いたのはラヴィーナの声。
……それと、ハーモニーを奏でたユイリックの声だった。
一緒にいたわたしやミィは、ぽかん、と言われた内容をどうにかこうにか受け止めるだけで精一杯。とても反応なんてできるほどの余裕は、どこからも引っ張り出せなかった。
「何度も同じことを言わせるな」
その一方で、わたし達の前に立つ男性は、実に冷たい目でこっちを見ている。わたし達の反応が気に入らないというか、何か文句でもあるのか、と問いたそうな様子だ。問えるものならば問いたいと思うけれど、おそらくまともに答えてはもらえない。
わたし達のような召使には、その程度の学もないと思っているのだろうし。
「お前達はこれから大聖堂に向かい、そこで手伝いをしてくるのだ。よいな」
この言葉からも、こちらに選択権がないことは明らかだった。
おそらく断ったところで、わたし達にメリットはない。クビは確定だし、次に住むところを探すまもなく叩き出されるに決まっている。だから、文句を言いつつも受け入れるしかない。
それがわかっている男性は、早くするように、と言い残して去っていった。
立派な身なりが、この上なく憎く思えたのはこれで何度目だろう。
わたし達に、この『特別な仕事』を言い渡したのは執事長。貴族ではないけれどそれなりの名家の生まれで、代々城で執事を務めている一族の出身。確か十代目、だっただろうか。
この人、身分がある上の召使にはごく普通の対応を見せるけど、わたし達のように身分があってないような平民クラスだと、この上なく高圧的になるからあまり好きじゃない。それは彼に限ったことではないし、態度がそういう感じなだけで特に理不尽な扱いをされたということはないけど……わたしはやっぱり、この人だけはどうにも好きにはなれそうになかった。
しかし、洗練されたその立ち振る舞いは、上の人には魅力的らしい。
わたしからすると高圧的で、性格の悪そうな態度も、彼らには高貴で気高く凛とした姿なのだとか。前に、控え室の傍で休憩していた、夜会に来ていた令嬢方が言っていたのを聞いた。
夢見がちだなぁ、と思う。
もうすぐ三十も半ばを過ぎるという年齢なのに、未だに未婚であるというのがおかしいとは思わないのだろうか。高給取りで、貴族に引けをとらない優良な物件であるというのに。
まぁ、いいや。
人のことはどうでもいい。問題はわたし達四人の運命だ。
結局、執事長が直々に伝えてきたこの話。
内容は一つ――大聖堂に向かって、そこで『手伝え』ということだ。
「手伝えって、なにさ……わっけわかんないわ」
ぶつぶつぼやくラヴィーナの言葉は、わたしの疑問の言葉でもある。大聖堂にはここの召使よりも多くの人が在籍している。それに、司祭様などが声をかければそこらの通行人でも、喜んで手伝ってくれるだろう。わざわざ、城に助けを求める必要なんてどこにもない。
そもそもどうして、わたし達四人だけなのだろう。なんらかで人手が足りないというのであるならば、もっと大勢の召使が呼ばれるはずだ。たった四人の助力なんて、無いに等しい。
疑問や疑念は、次から次へと溢れてきた。
「まぁ……悩んでも、仕方ねぇよなぁ」
と、ユイリックがつぶやく。
頭をがりがりとかいて、心底めんどくさそうな様子だ。
「念のために上に話をして、それから出発だ。……次の鐘がなるまでに、門のとこな」
「ん……わーかった。そんじゃ、あたしらはあっち担当だから」
「うん。また後で。いこう、ミィ」
テキパキと予定を作ってくれる双子に感謝しつつ、わたしはミィと一緒にひとまず二人から離れた。午後からはそれぞれバラバラで、ミィはわたし以上に自体が飲み込めていないから一人にするとたぶん話をされた相手が混乱すると思う。その様子からも、これがどれだけ異常なことなのかがよくわかった。なにせ、年季だけならミィは侍女でもかなり長いのだから。
そんな彼女が混乱するということは、きっとこれまでこんな話はなかったのだろう。
上は上、下は下。
それがこの城の中の決まり。
上の仕事が回ってくることはない。下働きの召使は、所詮使い捨てなのだから。それにうっかり無駄に見目のいい侍女がいて、それがやんごとなき身分の方の『お手つき』になったら大問題だ。確実に侍女長のクビは飛んでいくだろうし、物語みたいなハッピーエンドもない。
だからわたし達は、裏でこそこそするのが『お仕事』なのだ。
それが――どうしていきなり、大聖堂の何かに借り出されるのやら。
「ミィ、こんな話聞いたことある?」
「……ない、ないよ。でも大聖堂から人手を貸してほしいって話は、年に何回かはあったみたいなの。お祭りの時とかね。だけど、それは上の人の仕事だからって、お母さんが」
「そっか……」
「わ、私怖いよ、ラキちゃん」
ふにゃり、と今にも泣きそうな声でミィがいった。
「ラヴィちゃんがいってたでしょ? もうすぐ暴食王が目覚めるの。きっと、大聖堂に何かあったんだよ。地の底の怖い人が起きちゃったんだ。怖い、私すごく怖いよ……っ」
「大丈夫だよ、ミィ。わたしやユイリックや、ラヴィーナも一緒だよ? それに聖女様がいるじゃない。聖女様が要るから何も怖くない。暴食王も、また眠りに落ちていくよ」
抱き締めて背中を撫でると、ミィは泣きじゃくり始める。
彼女は昔から、暴食王の話が嫌いだった。無理も無いと思う。今度もちゃんと暴食王を封印することができるのかなんて、どこの誰にも誰にもわからないのだから。
怖い、怖い、と泣きじゃくるミィは、しばらくすると落ち着いた。どうしても無理なら残ってもいいと言ったら、ゆっくり首を横に振って『ううん、ちゃんと行くよ』と答える。
目は真っ赤だし、声も震えたまま。だけど本人ががんばると言っているのを、無理に止める権限をわたしは持たない。わたしにできることは、そっと傍で支えてあげることだけだ。
そしてわたし達は門のところで落ち合って、そのまま大聖堂に向かった。
いつも通りの召使の仕事着のまま、場違いなほど厳かな世界。そこでわたし達が知らされてしまったのは仕事の内容と、知りたくなかったこれからの『予定』についてのあれこれ。
なぜかそこにいた『王子セシルの側近』は、わたし達に。
「今夜、聖女は女神の力を解放する。暴食王の目覚めと引き換えに」
なんて、言ってくれたのだ。
ミィが倒れたのは、仕方が無いことかもしれない。
心の便りだった聖女は、実は力をほとんど持っていない状態で。その力を得るには、暴食王を一度目覚めさせなければならないなんて。そんな、意味不明な『仕組み』の存在なんて。
わたしだって……倒れられるなら、倒れて何もかも忘れたかった。