あれからの話
暴食王がいなくなって、女神の力は人の身から消えた。
二度と女神の力を有する聖女は生まれず、最後の聖女となったシエラリーゼは、大聖堂から実家に戻って、すべての権力を放棄することを宣言した。それは聖女として生きてきた人生を捨てるに等しいことで、そこまでしなくても、という声は半月たった今も根強い。
こうして彼女は、フランベル家令嬢シエラリーゼという、どこにもでもいる一人の貴族令嬢へと戻った。もっとも経歴が経歴なので、おそらく死ぬまで普通の令嬢には戻れないが。
王子の婚約者、という立場もすでにない彼女は、実家に引きこもっていた。
夜会への招待は、それこそ山のように届くがすべて断っている。どこにもいきたくない、というよりも『何もしたくない』感じだ。いや、何かをしてはいけない、というべきか。
暴食王を滅することが、自分の使命のひとつだった。
そのためだけに、シエラリーゼはここにいた。
だから女神ラウシアは己の力が半減することを承知で、魂を割ったのだ。その結果、聖女となるはずの魂がうまく身体になじまず、誕生が遅れてしまっても。ならば彼女はこの結果に満足しているのだろうか。切り捨てた『ルシア』が、暴食王を殺したことに。
でも、それは本当はシエラリーゼがするはずだったこと。
どうして、自分はここに生き残っているのか。
女神となる運命を背負い生まれてきた自分が生き長らえ、その道に邪魔だと切り捨てられた彼女が王と旅立って。力も無い自分に舞い込むのは、不相応な誘いばかり。
「姫様……その、セシル殿下から」
「燃やしてちょうだい」
「ですが」
「お願い」
外との取次ぎを任せているサリーシャが、シンプルな封筒を手に入ってくる。それを一瞥したシエラリーゼは、すぐに処分するように命ずる。これが彼女の日課だ。
あの手紙はセシルからのもの。
城に来て欲しい、話がしたいというものだ。
「あの方は悔いているのです。お義姉さまを犠牲にしたこと、わたくしから結果的に何もかもうばいとってしまったことを後悔して、責任を感じて、謝罪したいだけなのです」
その証として差し出そう、とまで彼は言う。
――唯一無二の、彼の『妻』の座を。
王子が望んだ、暴食王の処刑。そこから始まった一連の流れを、彼は気に病んでいるに違いないのだ。シエラリーゼの大好きなあの人は、そういう、王に向かない優しいひとだから。
うらんでなどいないのに。
そんなことで、かれのとなりにたちたくなんてないのに。
「お兄様にも言っておいて。もう、わたくしにかかわらないように――殿下に、そうしっかりと言い聞かせるように。迷惑とか何とか、とにかくいろいろ言ってしまってかまわないから」
嫌われても、かまわないから。
シエラリーゼはつぶやき、窓の外を見た。
このやり取りも、すでに何度目か。
何度となく繰り返した日々に、ひとつの変化が訪れたのは数日後。シルミア家の縁者、確かサリーシャの部下である少女が血相を変えて、最寄だったからとこの屋敷に飛び込んできた。
彼女が細腕で必死に抱えていたのは、ぐったりとした茶髪の少女。
それは、とても見覚えのある少女だった。
■ □ ■
ミィが運ばれてきて数日、外傷も無い彼女はすっかり元気になっていた。だが、その表情は沈みこんだままで、原因がわかっているのに何もできないことが悔しくなる。
彼女との再会に前後して、ある話が社交界に広がった。
それはリーヴィリクム家の長男が戻ったことと、結婚すること。そして優秀な後継者だと言われていた次男が、悪名高いある貴族のところへ婿養子に出されてしまうことだった。
なにせその悪名の高さはすさまじいもので、そういう話が基本的に耳に入らないはずのシエラリーゼですら知っていたほどだ。どの家の次男三男も、あの家への婿入りは嫌がって、あの家に出すくらいなら身分が多少違っても普通の嫁を、という貴族は多いという。
だが、相手はそれなりの財力を持つ家柄だ。
つながりが欲しい貴族は、決して少なくは無い。
それを察したか、知ってしまったか。カディスは恋人であるミィを連れて逃げようとしたらしい。らしい、というのは未だミィが何も言ってくれないからだ。しかし路上に倒れていたという彼女を見つけた者の話からしておそらく、そうなのだろうとされている。
ミィの命が奪われていないのが、むしろ奇跡のようにすら思えた。
奪うほどでもない、と思ったのか。
あるいは別に事情があったのか。
「おそらく、ミィ様がミリアン様のご息女だからではないかと」
「ミリアン……というと、あの?」
「はい。この国でも有名な商家の方で、ミリアン様とのつながりのある貴族は多いです。我がシルミアはもちろんのこと、フランベル家とも懇意だと聞いております」
「だから……ということね」
方々と縁のあるミリアン家の関係者だとなれば、手を出せないのも無理は無い。いかにリーヴィリクム家とはいえ、他国の王族とすら面識があるというかの家、いや彼女の父の怒りは買いたくないだろう。妙に勘ぐられたら、せっかくまとまった縁談がぶち壊されてしまう。
しかしミィは城で侍女をしていた。それも下の方の。あのミリアン家の娘なら、もっと上で侍女として働くこともできた。行儀見習い、という理由だったとしても、疑問が残る。
「やはり、それは関係ないのではないかしら。彼女、城で下働きをしていたわ」
「ではカディス様さえ手に入れば、ということなのでしょうね」
どうでもよいことですが、とサリーシャは言葉を切った。
確かに。命が助かったなら、その理由はわざわざ考えるほどのことでもない。今はこの現状をどうやって解決するか、が最優先事項。サリーシャが集めた情報によると、カディスは休職というよりも退職してしまっていて、おそらく復職はないという。結婚式が終わり次第、婿入り先の領地へと旅立ち、そこで婿というよりも秘書のようにこき使われる。
まさかそんな、とシエラリーゼは思ったが、むしろ彼らはそうやって使える婿を探していたのだそうだ。いくら金を出してでも、自分達に楽をさせる使い勝手のいい道具が欲しい、と。
「カディス様……そんな」
「愚かしいことです」
シエラリーゼは、言葉を失った。
政治などには一切興味がなく――いや、意識して持たないようにし、ゆえに知識に乏しい彼女でも、兄にとって、そして王子セシルにとって、カディスがどれだけ必要な存在かはわかっているつもりだ。彼の損失は、これからのこの国にとって見逃しがたいものだろう。
それを、よりにもよってそんな使い方をして、失われるなど。
挙句に彼は、ずっと苦しみ続けるのだ。自分のせいで最愛の人が、傷つけられてしまったかもしれないと後悔して。自分が望まなければ何も無かったと、悔やみ続けて。
あるいは、これだけのことをした連中だ。ありもしない人質として振りかざし、彼を縛り付けて行くかもしれない。そんなことをする可能性を思い浮かべる、己に恐怖すら感じた。
――これでは、誰も幸せになれない。
「ねぇ、手紙は来ている?」
「は……はい。夜会の招待状がいくつか。でもそれが」
「リーヴィリクム家からのものがあるなら、出席すると返事を出してちょうだい」
「姫様……」
「知ってしまったからには、放ってはおけないもの」
助けられる、とは言い切れない。どうにかなるとは思えない。
だけど。
――何もしないよりはいい。そうですわよね、セシル様。
二度と会わないと誓った相手に語りかけ、シエラリーゼは己の決断を支えた。




