二人の『シエラ』
目覚めた時、目の前にはいくつかの躯があった。
躯になりかけている、肉塊のようなものがあった。
それは初老の男のような姿をしていて、息も絶え絶えにわたしに言った。
――世界を滅ぼす、暴食の王を滅すること。それがお前の使命だ。
わたしは名を与えられ、早速その王の元に向かった。疑いなど抱くことは無い。そもそも何を疑えばいい。わたしは『暴食の王を殺す』という目的で、この世界に生れ落ちたのだ。
しかしわたしは、女神ラウシアという名をもつこのわたしは失敗した。
怒り狂う彼を殺すことがどうしても叶わず、封じるだけで精一杯だったのだ。
しかしこのまま放置するわけにはいかないから、わたしは己の魂を人間のそれに偽装することにした。その偽装は驚くほどにうまくいき、わたしは何度も人間としての生を得た。
わたしの魂を持つ人間は決まってわたしによく似た少女に育ち、聖女と呼ばれ王の封印を説き相対する運命を持っていた。暴食の王を殺すには、もってこいの状況だった。
しかし彼はすぐに封じられてしまい、聖女は直後に自害する。いや、最後の『自害』は理にかなったモノだった。そうしなければ世界が狂う、だからやむを得ないことだった。
問題はその前――暴食王の再封印。
どうして、彼女達は王を殺さないのだ。
殺してくれないのだ。
殺してくれ。
早く、その男を殺してくれないか。どうして彼女達は、また『わたし』のところに帰ってきてしまう? 王を殺さず、数多の悲しみを背負い、勝手に死んで帰ってきてしまう?
彼女らが役目を果たさず死すたびに、わたしは何も無い場所で泣きじゃくる。泣くという行為をする理由など何も知らないはずなのに、まるで幼子のように大声でわんわんと。
――■■■■■さま。
そんな響きの名を持つ、誰かもわからない誰か。
おねがいします、わたしを、どうかわたしをたすけてください。
――もう、もうこんなことしたくないの。
■ □ ■
目を閉じて、意識を向けるだけで流れ込んでくる。これは彼女の記憶、思い。ルシアを切り捨ててもなお消えなかった、分厚く、何層にも積み重ねてきたいくつもの光を持った心。
あぁ、そうか。
彼女も苦しかったのか。
女神ラウシアも、悲しかったのか。
ありもしない感情に振り回され続けて、彼女も苦しんできたんだ。性格が悪いな、今はもういない神様は。結局、彼らが全部悪いんじゃないかな、とさえ思ってしまう。
でも、安心して女神様。
動機は不純かもしれないけれど、わたしはあなたの目的を果たすよ。
それが、わたしの願いでもあるから。
「お前に死ぬとか言われた僕が、どれだけ苦しんだと思う」
ぜぃぜぃ、と荒く響くのはシエラリーゼの呼吸。彼女は身体に力が入らないらしく、セシル様の腕の中でぐったりとしている。意識は、失っていないようだけれど。
いつの間にかここに到着していた彼は、心配そうにシエラリーゼを見ている。
そのわりに声は冷たいというか、すねている……のだろうか。
おかげでシエラリーゼは怯えている。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、許さない。絶対にだ」
ぴくん、とシエラリーゼが震える。瞳が見る見るうちに潤んで、涙があふれた。それを指先で少し乱暴気味にぬぐいながら、セシル様は恥ずかしそうに視線をそらしつつ。
「許して欲しいなら、ずっと僕の傍にいろ。聖女なんてさっさとやめて、ただのシエラリーゼにもどって、それから僕のところにくるんだ。死ぬ予定なんて今すぐに破り捨てろ」
「セシル様……」
ぽぽぽ、と音すら聞こえそうなほど真っ赤になる二人。
言われた方も言った方も、まぁ、なんというか。先が思いやられるというか。しかし聖女だの世界だの何だの、といった壁がなくなってやっと向かい合ったのだから、いいことだ。
ちゃんと心が繋がったのだから、もうこの二人はきっと大丈夫。
……でも、少しだけまだまだ不安かもしれない。どっちも素直じゃないというか、自分を後回しに考えてしまうところがあるから、互いに思いあって身を引いたりしかねない気がする。
あぁ、残念が残ってしまった。
未練のようなものが、残ってしまった。
だけど仕方が無い。もう時間も残っていないし。幸いにも二人の周囲には、おせっかいだったりする人が多いから、きっとわたしがいなくても二人を守ってくれるだろう。
「でも、でもわたくしはこれからどうすれば……」
「それなんだけどね」
大丈夫、ということを伝えるよう、立ち上がりながらわたしは笑う。
「わたしとアレクシスさまは、楽園の畔にいくよ」
「え……?」
「そこで二人仲良く、この世界から退場しようと思う」
楽園の畔。その言葉に息を呑むのは、やはりシエラリーゼだけだった。それが聖女というよりもラウシアにとってどういう意味をもつのか、聖女だった彼女はわかっている。
それは、かつてアレクシスという名の古き神とルシアという名の少女が、つつましくも幸せに暮らしていた場所。二人だけの楽園。キレイな湖の傍にある、優しい優しい場所のこと。
これから、わたし達はそこに向かって――そこで、世界を終わらせようと思う。
わたしと彼の世界、神と呼ばれる存在がえらそうに人々を振り回す、ばかばかしいことばかりだった世界を、今度こそ完全に終わらせる。だって、そうしないと世界のバランスというものが崩れてしまって、わたしの大好きな人達が悲しい思いをすることになるかもしれない。
アレクシスさま一人を滅したところで、ラウシアが生まれてくれば意味がなかった。
そう、ラウシアの魂はもはや人間の輪の中にある。
聖女として祭り上げられなくても彼女は、世界のどこかに生れ落ちる。そのたびに世界はバランスを崩される。しかも暴食王がいないから、彼女らはそのための『犠牲』にもならない。
だから、消えるときは二人がいい。
二人一緒に消えるのに、今ほど都合のいいタイミングは無いだろう。
「わたしはこの人と一緒に逝くことを、誰かに譲ったりしない。暴食王は『わたし』のものだからあげないよ。絶対に、この人はあげない。だから、あなたはそっちの、わたしからするとまだまだって感じの王子様と一緒に、誰よりも幸せになればいい。わたしの幸せは――」
ぎゅ、と隣の彼の手を握り。
「ここにあるから」
「だけど、だけど……その先にあるのは!」
鳴きそうな声で叫ぶシエラリーゼ。でもね、わたしはちゃーんと知ってるよ。だからわたしがあなたのすべてを奪うんだよ。この国の憂いを、わたしが全部、持っていくんだよ。
ラウシアを『奪う』という作戦を考えた時、こうなることをわたしは覚悟した。
いや、それを望んだ。
始まりが『ルシア』なら、なおさらわたしが終わらせないと。
もう一度、ぎゅ、とアレクシスさまの手を握ると、ふわりと身体が浮いた。このまま目的地に飛んでいくらしい。つまり、これが別れだ。ゆっくりと二人が、遠ざかっていく。
「まって、まって……っ!」
「危ないシエラっ」
長い髪を振り乱し、彼女が叫んでいた。
走り出そうとするシエラリーゼを、抱きかかえて止めるセシル様。
そう、そうやって捕まえていなきゃ逃げてしまうよ。
姉だから、わかるよ。
……妹でも、あるからね。
「さよなら、もう一人の『シエラ』……わたしの姉妹」
幸せになってね。
かつて、シエラになりそこなったわたしの分まで。
そんな祈りの声が届いたかはわからない、でもきっと届いたのだろう。最後、この場から消える直前に見えた彼女は、さらに表情をくしゃくしゃにして、泣きじゃくっていたから。
なれない、と叫ぶ声が――聞こえた気がしたから。
そんな彼女だからこそ、わたしは思う。
やっぱり彼女は――最後の聖女シエラリーゼは、誰より幸せになるべきだと。
叶えてね、王子様。




