世界のバランス
「だってわたくし、まもなく死ぬ運命なのですから」
いきなりやってきた彼女は、笑顔でそんなことを言った。
指輪をもらって数日後、処刑まであと一日。あれからずっとベッドの上の住民だったわたしを見舞うという名目を携えて、聖女シエラリーゼは共を一人だけ連れてやってきた。
わたしはというと、ようやくベッドから出られたところ。
脱走劇から部屋に戻ってすぐ、わたしはずっと寝込んでいた。
寝込んだまま夢を見続けていて、今朝やっと目を覚ました感じだろうか。ところどころ、食事らしいものを取ったりした記憶が残っているけど、かなり曖昧で定かではない。特におなかがすいているわけではないから、たぶんいわれるままにご飯を食べたりはしていたのだろう。
今日もわたしは、病人用なのかやわらかく煮込まれた野菜が入った粥を食べ、あまり動き回らない生活を送った。そして、そのまま運命の日を迎えるのだろうと……思っていたけど。
ラフな、普段着なのだろうドレスを着て現れた聖女シエラリーゼ。
彼女はなぜか人払いをすると、わたしの真向かいに座った。
サイドの髪を後でゆるく結わえた彼女は、にっこりと笑ってお茶を淹れた。
そこはわたしがしなきゃいけない気がしたけど、とっさに動けずそのままになる。というかいつの間にお茶の準備をしたのだろう。彼女が咲きにこの部屋に入っていて、ベッドにいたわたしは慌てて着替えて出迎えた形なのだけれど、その間にお湯を持ち込んだのだろうか。
程なくして、ふわりとよい香りがする。
注がれたものに手を伸ばし、一口含んで。
「それで、何か御用でしょうか」
「脱走したと聞いて、少し心配になりましたの。しかも体調が悪いのでしょう?」
「……えぇ、まぁ」
だったらどうしてきたんだろう、と思いつつも返事をする。
そもそも、彼女のせいでこうなっているのに。彼女が否の声を発すれば、わたしはこんな目にあわずにすんだ。権力的には違っても、世間一般では聖女の方が王子よりも上だ。王子どころか王族よりも、女神の生まれ変わりでありこの国の生命線を握る彼女は上位に立つ。
その彼女がダメといえば、すべてがダメだ。
黒といえば、それは黒なのだ。
「わたくしを恨んでいる、という表情ですわね」
「……」
「だけど、これは必要なことなのです。わたくしの、最後の足掻きなのですわ。これ以外にわたくしが彼に、セシル様にして差し上げられることなど、ありませんの」
「あなたは聖女です、何だってできるはずです」
「そうですわね……でも、もうこれしかありませんのよ」
と、シエラリーゼはニッコリと笑って。
――冒頭の一言を、発した。
意味が、すぐには受け止められなかった。その言葉と、浮かんだ表情のズレが、気味が悪いほどの落差を生んでいて、真っ先に自分の耳や頭の方を疑ったのだ。
だってそんな、明るくいうことじゃない。
死ぬ運命、という言葉は、そんな笑顔で口にする言葉じゃない。
苦笑ではなかった。満面の笑みだ。明日結婚するの、というような言葉が似合う、思わず見惚れてしまうほどかわいらしい表情だった。だから余計に、言葉を理解できなかった。
「それ、は……どういう」
「あなたには、話してもいいと思いましたの。いいえ、話さないといけないと思って」
「そんなことはどうでもいいです、なぜ死ぬなんて」
「だって、それがこの世界の『答え』ですもの」
「答え……?」
「世界は、常にバランスを求めるのですわ。六人の男神に、六人の女神。一人の男神に、一人の女神。だからこそ、わたくしは死ななければいけないのです。わたくしの――女神ラウシアの対となるのは暴食王、滅びの神。彼がいなくなれば、女神はバランスを乱す異分子となってしまうのです。それは眠りでも同じこと、そして死ぬのならば、わたくしもともに逝きます」
「……それ、王子は」
「知るわけがありませんわ。だって、これは聖女にだけ伝えられてきたもの。わたくしが彼との関係を絶って、あなたを欲する彼の願いを叶えたのは……つまり、こういうことなのです」
にこにこ、といっそ腹が立つほどの笑みで、彼女は語った。
わたしを王子が見初めたこと、わたしと結婚したいと思ったこと、そのためには聖女との関係が邪魔になったこと、何より――わたしと王さまの親密そうな関係に嫉妬したこと。
聖女の立場を守りつつも、わたしと結婚するために暴食王の処刑をきめたこと。さらに聖女の家族に一定の実入りを与えるため、わたしを養女にさせたこと。
それはすべて、王子セシルが望んだことだと彼女は言う。
彼が望み願ったから、シエラリーゼは己の持つ力を使って叶えただけだと。彼女はそれが何よりもすばらしい善行であるかのように、誇るように語ってくれた。それは確かに、善行と数えていいことなのかもしれない。暴食王は消えて、王子は好きな人との純愛を貫くのだから。
王子は暴食王を屠った、栄光ある存在に。
聖女は彼の幸せのために、苦難を乗り越え国を支えた存在として。
きっとこれからも名を残していくのだろうけど。
「ふざ……けないで」
わなわなと震えだす身体を、わたしは止められない。
そう、彼らにとってはいいこと尽くしだ。名誉もあり体裁も保たれる。王子に至っては好きな女と結婚できる。いいことしかない。まさに彼らにとってのハッピーエンド。
でもわたしは――すべての負を背負わされるだけじゃないか。
好きな人と引き裂かれ、彼を思うことすら許されず。
挙句、彼を殺す彼らの願いのための、犠牲になるなんて。
「ふざけないで!」
「ら、ラキさん……?」
「そんなのあなたの勝手じゃない! わたしは、そんなの関係ない! どうしてわたしがあなたのくだらない足掻きに、関係ないのに巻き込まれなきゃいけないのっ」
「だ、だってセシルお兄様が……」
「わたしは王子なんか好きじゃない! わたしはあなたでもない! わたしにあなたの代わりをさせようとしないで! わたしは『シエラ』じゃない! わたしは、わたしは――」
机をはさんで、彼女につかみかかる。
彼女を許せなかった。
王子のためならなんでもしていいのだと言わんばかりの、彼女の態度が。
「……っ」
掴んで、それから次の行動を考えた一瞬。
しびれるような鋭い痛みが、わたしの全身を襲った。息を吸えず、吐けず、悲鳴すら上げることができない。それはどうやら、シエラリーゼも同じだったらしい。彼女は目を見開いてわたしをじっと見て、きっと人々にバラ色などといわれるだろう唇を震わせていた。
世界が、周囲が遠ざかる。
わたし達が小さくなったかのような、不思議な感覚を味わう。
そして――見えた。
騎士のような格好をした、どこかで見たことがある金髪の美しい女性が、金色の光る一つの丸い塊を抱きかかえ、何かをつぶやいているのが。彼女はその塊をそっと宙へ投げると、すばやく抜いた剣で真っ二つにした。半分になった塊は、そのまま再び丸い塊へと変わっていく。
『これで、わたしはわたしとして機能できる――』
彼女が何かをつぶやくと同時に、その姿が消えた。いや、同じような金色の丸い塊へと姿を変えて、二つに分けられた塊の片方にくっつき一つになったというべきか。
一回り大きくなった塊も、小さいままの塊も。
ふっとろうそくを吹き消すように、一瞬のうちに消える。
同時に、周囲の世界が元通りになった。
「今の……」
ぼんやりとソファーにすわり、シエラリーゼがつぶやく。どうやらわたしと同じく、何かが見えていたらしい。そして同じように、それが何なのか彼女にもわからなかったようだ。
互いに相手と、自分の手やひざを見て口を開けない。
ぱたぱたと、いつの間にか倒れたカップが床に赤茶色のしみを広げるだけ。
「――! 姫様!」
そこに、駆け込んできた女官がわたしを抱えて引き剥がす。
姫様、というのはわたしのことじゃない。シエラリーゼのことだ。見た目からは想像もできないほどの力で彼女はわたしを引き剥がして、とっさに暴れてもたやすくその動きを封じる。
「ご無事ですか、姫様」
「え、えぇ……その、彼女を放して、サリーシャ」
「ですが」
「いいの。わたくしは、別にケガも何もないもの……それに、殿下が知ったら」
シエラリーゼの言葉に、女官――サリーシャの拘束がじわじわと緩む。完全にはずしきらないのは、まだ警戒しているからなのだろう。わたしが彼女に、害を与えるのでは、と。
一瞬頭に血が上ったけれど、今は落ち着いている。またあんなことを無神経に言われでもしない限りは、わたしは彼女に掴み掛かったりなどしない。そして、それがわからないほど愚かではないはずだ、この聖女を名乗る少女は。わたしが何に激昂したのか、わかっている。
「……ごめんなさい。でもわたくしにはもうこれしかないの」
シエラリーゼはうつむき、つぶやく。
「わたくしには時間がないの。彼にしてあげられることも、ないの。わたくしの代わりになれとはいいません。でもどうか彼を、孤独になる彼の心を、支えてあげてください」
そして彼女は去っていった。
申し訳なさそうに、まぶたを震わせながら。




