表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/75

願い求めた結末

『彼女の声が聞こえていないわけではないだろう、暴食の君』

 そういって不敵に笑った男の声が、暴食王の脳裏に浮かんでは響いて消える。それはまるでくすくすと現状を笑うかのようで、不快ではあるが、同時に笑われても当然と感じられた。

 何ということをしたのかと、自嘲だけがこみ上げてくる。

 向こうの覇気に押されるような形で、踏み越えないつもりだったラインを超えた。

 彼女が自ら望んだこと、というのは言い訳のようにしか思えない。それが限りなく真実であったとしても。なぜならば拒もうと思えば、いくらでも拒むことができた身の上なのだから。

「……おろかなことを」

 一瞬だけ触れた感触。刹那、彼女が浮かべた嬉しそうな微笑み。

 それに何の意味も無い。ここにいたる行為のどこにも、意味は無い。あえて言うならば傷を残すだけだろう。若く幼い少女の中に、消えることが無いだろう傷を残してしまうだけだ。

 どうして彼女だったのか。

 彼女らが、この役目を仰せつかったのか。

 それすらも女神ラウシアが紡いだ、まるで嫌がらせのような運命だったのか。こちらの心をもてあそぶ、いや翻弄して苦しめるための。自分と同じ痛みを背負え、という主旨の。

 だとすれば相当に性格が悪い。

 少ししか言葉を交わしていないラウシアの、することではない。

「ならば、これは我が定めか……」

 つぶやき、暴食王は自嘲するような笑みをこぼす。

 その腕の中には、気を失って眠るように目を閉じる少女がいた。かつて失った、失い続けた彼女らに面影がよく似ている少女。見た目もそうだし、中身もよく似ていた。

 王さま、という声が脳裏に浮かぶ。

 響きが懐かしく、胸が痛んだ。

 そう呼ばれるたびに、これは手に入れてはいけないものだと教えられるようで。どうせ向こうは有限なのだから手を伸ばせばいいと叫ぶ餓えた心と、有限だからこそあるがままに咲かせておくべきだと自らを戒める心。どちらも彼の本心であるがゆえに、苦しみを産んだ。

 線引きを超えたことを、彼女のせいにはしない。

 この罪を、誰かのせいにはしたくない。

 そうしなければ彼女を、また失ってしまうだろう。彼女は限りなく哀れで、庇護すべき被害者にならなければいけないのだ。そのために、暴食王は悪であり簒奪者でなければならない。

 それを望まぬ彼女は、この悪あがきの結末に涙を流すだろう。

 心に傷を負い、笑顔をなくしてしまうかもしれない。

 だが……きっと大丈夫だ。

 あの少年ならば、きっと彼女の中に生まれる空白を埋められる。そして、少年に生じるだろう空白を、彼女は丁寧に埋めていくだろう。それが、何よりも望ましいことを知っている。


 知っているのに、求めてしまった。

 彼女の中に残ることを、願ってしまった。


 それが『あの少女』にどれほどの重荷になるのか、知らぬ身でもないのに。

 だいぶ、昔のことになる。暴食王と呼ばれる彼に惹かれた、二人の娘がいた。そのうちの一人は彼が暴食王であることを知りながら、それでも彼を求めた変わり者。まるでラキという名の彼女のように。その少女は王女で、同時に女神と同じ名を持つ聖女でもあった。

 同じほど思えたのかは、定かではない。

 なぜ、彼女が暴食王に焦がれたのか、知るすべもない。

 しかし彼女は、王だけを求めた。すでに決まっていた縁談を蹴り、彼女を愛する青年に背を向けて、聖女として生きて死ぬことを誓った。そうすれば、ずっと暴食王のモノだからと。

 なぜそこまでするのか、尋ねても彼女は答えなかった。

 彼が眠って数年で没した彼女は、何も書き残さず、語り継ぐこともしなかった。唯一、彼女の心を知っていた兄王子も、何も言わないままだったのだろう。

 改めて思う。

 自分のせいで何人も、若い少女が悲しみの底に落ちていった。腕の中にいる、この少女も自ら飛び込んできた。愚かなことをすると、そう思いながらも悦びを抱く自分がおぞましい。

 これが最後。

 これが、最期。

 もはやわが身を嘆こうとは思わない。ただ、夢を今だけ見ようと思った。遠い昔、何より願ったものをもう一度、夢の中に浮かべてみようと。それがどれだけ、虚しかろうとも。

「……そろそろ、お前の笑った顔が見たい」

 思い出すたびに泣いている、ここにいない彼女の笑顔を見たい。

 腕の中でじっとしたまま眠っている、幼い寝顔の少女の頬にそっと唇を寄せた。ゆっくりと起こさないよう抱き上げて、彼は自分が普段使っているベッドに少女を横たわらせる。

 このまま、寝かしておこう。適当に理由をつけて。もう少しだけ、この願いを、乞うことを続けていたかった。ぬくもりに触れて、彼女と同じ幻想の中に落ちたままでいたかった。

 できれば――その幻想を、現実に変えたいと、思うが。


 それは無理なこと。

 何より、暴食王自身がそれを望まなかった。



 こうして彼は、また一つ後悔をした。

 自分の中に、そして彼女の中に。

 様子を見に来た黒に近い髪色の少女に事情を伝え、暴食王は適当に理由をつけて彼女との夢を得る。そして扉に鍵をかけて、眠るラキの傍らに横たわった。

 安らかに眠る、華奢な少女を腕に抱く。

 ――あぁ、最期に見る夢がこれであるならば、何も憂うことはない。



   ■  □  ■



 穏やかな日々は、一瞬で終わりを迎えた。

 幸せな目覚め――王さまに抱きしめられていたわたしは、きっと気持ち悪いくらいにやにやと笑ってしまっていただろう。すりすり、と暖かい胸元に頬を寄せ、もう一眠りしてしまいたいくらいだった。でも王さまはすぐに目を覚まして、その日はそこでおしまい。

 王さまは何も変わった様子もなく、わたしを抱き起こすと部屋から送り出してくれた。頭を撫でるとか、頬に触れるとか抱きしめるとか――キスとかも、無かったのは少し残念だった。

 そうして本当に、何事も無かったかのように時間はめぐって。

 食事と入浴と睡眠をはさみ、次の日になって。

 わたし達は同じ部屋、リビングでお茶を楽しんでいた。

 ユイリックは相変わらず、勝てそうに無い勝負を王さまに挑んでいて、カディス様がなぜか面白そうにああでもないこうでもないと指導して。それを王さまが、少しだけ面倒くさそうににらみながらもやっぱり勝って。わたし達三人はお茶を飲みつつ、それを眺めて。

 他愛の無い、ずっと続けばいい時間だった。

 それを――無粋な鉄の音が、叩き壊してしまう。


「全員動くな!」


 聞きなれない男の声。どかどかと入り込む足音。叩き潰さんばかりに扉が開かれ、一斉に十数人の兵士と、立派な身なりをした騎士と思われる中年男性が現れた。

 彼らの中には腰の剣を抜いた人もいて、ミィがおびえてわたしに抱きつく。

「何の御用ですか」

 カディス様が騎士の前に立つ。

 どうやらこの状況、カディス様も知らないことらしい。ぼそぼそと、こちらに聞こえない声で話を聞く、彼の表情が一瞬でこわばった。わなわなと震えているようにも、見える。

 一方、兵士の一部は上や下の階を調べているようだった。

 何かわたし達に、嫌疑がかかったのだろうか。

「どうやらここにいる四名で、全員のようです」

「わかった」

 カディス様と話をしていた騎士は、部下の報告を受けてわたし達を見た。むしろ睨んだといっていいくらいに、その視線は冷たく鋭い。ミィでなくても、あれは震えてしまうだろう。

 わたしだってもし一人だったら、みっともなく震えてしまったと思う。

「お前達は、これよりここを出て行ってもらう」

 告げられたのは、想像していたのとは少し違う言葉だった。てっきり何かの罪に問われたりするのかとと思ったけれど。だ……でも訪れる未来は、どうやらさほど変わらないらしい。

「暴食王は飲食を必要としない身。これからは例年通り、時期が来るまでここに幽閉することが決まったのだ。よってお前達がここで世話などをする理由は無い。即刻退去するように」

「え……で、でも」

 だったら何で、とラヴィーナがつぶやく。

 そう、飲食が必要ないといった主旨のことを、王さまは前に言っていた。

 だけどそれを知っていたなら、どうしてわたし達がここに派遣されたのか。

 だって、ここでの日々でわたし達が散々飲み食いしたものは、普段のわたし達では考えられないほど上等な食材ばかり。不必要としかいえない存在にそれらを飲み食いさせる、理由や意図がわたしには意味不明だった。だってそんなの、どう見ても『無駄』としかいえない。

 見張りなら、それこそ兵士なり騎士なりを宛てればいいのだし。

「これから彼女らはどうなる? まさか……」

「知れたことを。暴食王と『親しく』した輩など、俗世に返せるものか。その身には奴が放つというよからぬ気が入り込んでいるに違いない。それらが貴族ならいざ知らず、平民ごときに聖女のお力を使わせるまでも無かろう。……あぁ、貴殿は安心して浄化を受けられよ」

「ふざけたことを……セシルが、殿下がそんなことを命ずるはずがない!」

「はっ。この程度の処断、わざわざ殿下にたずねるまでも無いであろうが。……おい」

 騎士が片腕を上げ、わたし達に向かって軽く振る。

 がしゃがしゃ、と兵士が一気に迫ってきて、あっという間に拘束された。

「いたっ、痛いじゃないの!」

「離しやがれ!」

 ユイリックとラヴィーナが暴れるが、二人はその分きつく腕をひねり上げられる。

 わたしとミィは、最初から抵抗をしなかった。ミィは不安そうにカディス様をみて、そのカディス様は必死に騎士に食い下がっている。わたしから見ても、無意味そうだったけれど。

 王さまはというと、窓辺にたたずんだまま。自分が抵抗などを示しても、意味がないことをわかっているのだろう。いや、むしろ王さまが抵抗なんてしたら、余計この場がおかしい方向に突っ走る可能性にわたしでも気づく。あの王さまが、それを考えないはずが無い。

 無抵抗しか、ないのだ。

 わたし達にできることは、それだけだ。

 だけど、無抵抗のままだときっとわたし達は殺される。

 それは剣などで行われる物理的なことかもしれないし、どこかに幽閉されるなどして表に出されなくなるだけかもしれない。どちらかというと、わたしは後者の方が嫌だ。そんなの死んでいるのと何も変わらないじゃないか。もしそうだったら一思いに、という思いが巡る。

 じっと動かないでいたら、騎士がわたしを見て顔をしかめた。

 そしてわたしを拘束する兵士に。

「おい、そこの金髪の娘には気をつけろ。暴食王の情人だ」

「ちょっと、変なこといわないでよおっさん! ラキがそんなわけないじゃない!」

「黙れっ!」

 がしゃん、という音に掻き消えるように、ラヴィーナの悲鳴が聞こえる。それと同時にわたしの身体は、硬い床に叩きつけられるように押さえ込まれた。

 その時に変な体制になったせいなのだろう、右足首がずきずきとうずき始める。

 成人していると思われる彼ら数人の、装備を含む体重をかけられ、わたしは呼吸すら難しくなってしまった。息苦しくて、息を吐き出すことしかできなくて、意識が――。


「何をしている」


 だけど、その声を合図に少しだけ身体が楽になった。わたしを見下ろしていた兵士が、視線を上げたことで少し体重のかかり具合がゆるくなったからだ。それでもまだ、重いけれど。

 床に突っ伏したまま、わたしは視線を動かす。

 ひときわ豪奢な服を着た、二人の青年が部屋の中に入ってきたのが見えた。

 一人はクリア様だ。いつか見た素に近い表情と違い、真剣で怖気すら感じるほど鋭い表情を浮かべている。仕事中はどうやら、あのような表情を浮かべていらっしゃるらしい。

 その前に立つもう一人の青年もまた、鋭い視線を騎士に向けていた。

「こ、これは……どうしてこのような場所に」

「余計なことをしている愚か者がいる、と聞いたのでな。これはどういうことだ。彼らになぜ暴力を振るっている。誰がこのような蛮行を命じたのかしらぬが、今すぐ止めさせろ」

 止めさせろ、といいながらも、兵士は騎士の命令を待たず、わたし達を解放した。無理やり押さえつけられたせいか、右足を足をひねったわたしは立ち上がれないけれど。

 ミィが心配そうに寄り添って、二人して周囲を見上げた。

 騎士が青くなって向かい合う青年を見て、わたしは今度こそ息ができなくなる。

 だってそれは、とても見覚えのある人だったからだ。

「彼女はこちらで預かる。他のものは、数日の休暇をとった後、元の職場に戻れ。もし今回の職務で彼らに対し、あれやこれやとしつこく言うものがいればかまわない、クビにしろ。それほどまでに聖女シエラリーゼの力を信じられぬものに、この城での生活は辛かろう、とな」

「そ、それは」

「浄化を行うのは彼女だ。この国は聖女を侮辱し、ないがしろにすることを許さない」

 いい終わり、彼はわたしに近寄ると、そのままひょいっと抱き上げる。

 絵に描いたような『お姫様抱っこ』というやつで、場の空気が違う意味で凍りつくように停止したのが嫌になるくらいにわかった。しんと静まった室内に、彼が歩く音だけが響く。

 彼は――ずっと『イオ様』と呼んできた人は、そのまま塔を出てしまった。クリア様と出入り口で待たせていたらしい見知らぬ騎士数人を連れて、どこかに向かって歩いていく。

 もちろん、わたしは横抱きにされたまま。

「待て、セシル!」

 慌てた様子で追いかけてきたカディス様の言葉で、わたしは自分を抱き上げている彼の正体を知ってしまった。まさか、と思いつつ視線を向けると、肯定するように微笑まれる。



 ――セシル・イオ・エクリュネイル。

 それは紛れも無い、この国の王子の名であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ