決意
残り時間を数えるのをやめて、眠りに落ちるのが明け方になって。
わたしは珍しく王さまを起こしに行くこともなく、食事を運ぶこともなく。そう、一度も会わないまま昨日という時間をすごしていた。だから今日の朝は、幾ばくかマシな目覚めを迎えられたと思う。これまでに積もり積もった睡眠不足を、解消するほどではなかったけれど。
でも、こんな都合のいいことが続くわけが無い。
ここには四人しかいないのだ。
彼のお世話をする人間が、たった四人しかいない。
あと数日は確実に存在しているここでの生活、何回かは遭遇するだろう。また、一瞥すらされないいてつくような雰囲気を向けられ、何も言えずに去ることがある。思い出すだけで身体が小さく震えるけど、逃げることなど許されない。そんな無責任なことはしたくない。
それに、もう残り時間は少ないのだから。
それがどれだけ冷たくても、わたしは……覚えていたい。
二度と会えない彼のこと、少しでも覚えていたい。
だけど、これからわたしはどう生きればいいのだろう。どうせ結婚なんてする気は最初から薄いから一人で生きていくだろうけど、イオ様のことが気になって仕方が無い。好きではないと思うけど、やはり『好き』を向けられると気になってしまうものだ。
……もしかすると、王さまがわたしに少し親しくしてくれたのは、そのせいだったのかもしれないと今更思ったりする。誰だって、自分に『好き』の感情を向ける相手を、無碍にすることはできない。その相手をよほど嫌っているならともかく、初対面なら。
あぁ、結局……そうか。
「全部わたしのせい」
雑巾を片手に、わたしはふと手を止めてつぶやいた。磨きかけのガラスに、うつろな目と表情をした自分が映る。同じような色の容姿だった、あの聖女とはやっぱりぜんぜん違う。
口にすれば不謹慎だ不敬罪だ、といわれそうだと思うけど、わたしはあの聖女様につりあうのは王さまだけじゃないか、と思っている。それは逆でも同じ感じで。要するに、どちらも人間離れしたものがあるように感じられたからだ。まぁ、王さまは人間ではないだろうし、聖女様だって女神の力を持つという意味では純粋な人間とはいえないだろう。
ううん、そういうのはそれっぽい理由をつけただけで。
実際のところは、結局美醜だ。
王さまも聖女様も美しい。恐ろしいほどに。
そういう人には、やはりそういう人が『似合い』だと思う。わたしなんて、面と向かって容姿を罵られるようなことはないけど、際立って見目麗しいとは驕りでも思わない。それならまだミィの方がよっぽど、キレイというよりかわいいという方向で際立っていると思う。
わたしは所詮、どこにでもいる程度だ。
見た目も、立場も、有するありとあらゆるものが。
名も知らないどこかの誰かと、いくらでも取替えが利くような。
「ラキー、次、台所お願いねー!」
離れたところから、ラヴィーナの声が響く。
わたしは返事をしてから、軽く道具をまとめて階下へ向かった。
■ □ ■
台所にはミィがいた。
ミィと、カディス様がいた。
いつか目撃した時のように二人は、互いの背に腕を回している。ただ、今回は開く直前に気づくことができなくて、わたしは思いっきり二人の逢瀬の場に乱入してしまった。
「あ……」
真っ赤になったり、青ざめたり、忙しく思考が変わっているらしいミィ。
少しかわいそうになる。
一方のカディス様は特に表情を変えない。こうして目撃されることも覚悟の上、ということなのかもしれなかった。さすがというか、そこは少しくらいうろたえてもいいような。
一応、わたしは二人がそういう仲であると知っている。
知ってはいるけど、それを二人に知られてはいなかった。
さて、どうしょうか。……特に『知ってるよ』とも、『応援するよ』とも、言うつもりとかはなかったし。いざとなったら助けになりたいとは、さすがに思っていたけど。
「あ、あのねラキちゃん、あの」
「うん……」
「わた、私、私ねっ」
「……すまない。私が彼女を諦めきれなかったんだ」
しどろもどろになりつつあるミィに代わり、カディス様が口を開く。
結局のところ、少し前にミィが少しだけ味見しようとした未来を、望んでもあこがれても叶うことは無いもしもの世界を、このカディス様も覗き込んでしまったのだ。ミィが起こした行動が呼び水になって、彼を引きずり込んでしまった。
ミィは憧れをそのままに逃げようとして、でも逃げ切れずに。
……うん、わたしは素直に、この結果を喜んでおきたいと思う。
わたしぐらいは、喜んで祝福してもいいと思う。
ねたましいと思う気持ちは、確かにくすぶっているけれど。だけどわたしは、これから先がどれほど険しいかわかっていても、あえてこの道を選んだ二人の味方になりたい。
だって、わたしは――この二人と同じ道を、進みたがっているのだから。
「あの……それで、これからどうするんですか?」
「これから、か……」
「やっぱりご家族とか、反対するんじゃ」
だろうな、とわたしの言葉に苦笑を返すカディス様。
「父も母も生粋の貴族で、兄は隣国で学者なんぞをしているから。あの家はおそらく私が継ぐことになるだろう。ゆえにそれ相応の家柄の令嬢を、と言われるのはわかっている。仮に兄が後継者に舞い戻ったとしても、今度はどこかの貴族のところに婿に行くことになるだろうな」
「じゃあ、ミィは」
「私はあの二人の人形にはならないさ。彼女以外は、ミィ以外は考えられない」
ぎゅ、とミィを片腕で抱きしめるカディス様。ミィの頬が一気に赤くなっていく。恥ずかしいけど不安だけど、でもうれしい。そんな複雑な表情だ。でも、やっぱりうれしいの色が一番強くみえるかな。当たり前だ、好きな人に思われることは、とてもうれしいに決まっている。
わたしだって王さまに……そう、思うから。
「いずれ、私は彼女を連れてここを出て行くだろう」
淡々と告げられる予定は、もう決まったことを語る声で綴られた。
許されない二人が共に生きるには、ここを離れるしかないことは明らか。ミィはいつかわたしの前からいなくなる。好きな人と一緒にいるために。喜ばしいけど、寂しいとも思う。
きっと、わたし達にも行き先を告げずに消える。
万が一にもわたし達に、何かの咎が及んだりしないように。何も知らなければ、いくら調べても意味はないし。それがわからないほど、この国の偉い人はおろかじゃないはずだ。
「そうなったら、あえないね……」
「……うん」
まだ先になる未来を思うと、少し悲しくなる。
ほんの少し、カディス様への恨みのようなものすら浮かぶほど。
ミィはこんなにいい子なのにどうしてダメなんだって、思ってしまう。それが微塵も通じないのが『貴族』だとわかっていても。カディス様が悪くないと、わかっていても。
「謝罪になるかわからないが、必ず彼女を幸せにしてみせる。私だって迷った。ここで君達と一緒にいる方が彼女は幸福だろうし、人並みの結婚をして家庭を作ることもできる。それはわかっていたんだ。……だが、手を伸ばし触れてしまえば、後はもう底なし沼だ。行く先がわかっていても、もはや止まるなんてことは考えることすら苦痛だ。離れるなんて耐えがたい」
「カディス様……」
「私は、己の意志で彼女をこの沼に引きずり込んだ。彼女は、ついてきてくれるという。私はそれが心苦しいが、同時に幸福でもある。同じ思いでいてくれることが、うれしい」
だが、とカディス様は続けて。
「いくら沼に沈まんとするものに腕をつかまれたとはいえ、望みもしない、要りもしない泥で身を汚すことは無い。……もし君が、彼の手を振り払いたいなら、そうすればいい」
「あ、の」
「アレが行動を起こしたのは、きっと私の覚悟が影響しているからな」
ちょっとしたおせっかいだと笑って、カディス様は目を細める。
それは、イオ様のことなのか。
知っているんだ、彼がわたしに求婚していること。
でも、これこそわたしと彼の問題で、カディス様がそんな気を使うことは無い。当事者が答えを出さなきゃ意味がない。それを思い出させてくれたのは、ありがたいけど。
わたしは――やっぱり、王さまが好きだ。
この心をつかんで離さないのは、あの人だけだ。
恋愛感情じゃなくても、わたしにとっての一番はあの人で、そんな状態で誰かの一番に座ろうだなんて失礼にもほどがある。わたしは、やっぱりイオ様にはふさわしくない。
身分とかいう問題じゃない。
この心が、彼の想いに対して失礼すぎる。
固まった決意を形にするためには、まず向かい合わないといけない人がいた。いつここにくるかわからない彼じゃなく、すぐそこにいる……あの人が。




