すれ違いの連鎖
「まるで、少し前のミィみたいね」
ラヴィーナの冗談に、わたしが心底震えたことをきっと誰もしらない。
彼女はいつも通りにニコニコ笑っていて、わたしもニコニコと笑顔を浮かべた。感情を隠すことは不本意ながら割りと慣れている。だから、やりたくないけど、その力を利用してこの場を切り抜けることにした。イオ様のことを彼女は知らないし、知られたくもない。
それは悪意ではなく、わたしの心の平穏のため。
巻き込みたくない、というのが正直な感情。
ただでさえ苦労は無いけど不便なことが多いここでの、残り少ない日々を、わたしのことなんかで悩ませたくない。それに、知られたところでわたしの答えは、一つだけだ。
ごめんなさい。
あなたの、その思いには答えられません。
たったその一言を、伝えなければ。なのにイオ様は、まるで時間が経つほどわたしの心が乱れることを知っているかのように、ここに姿を見せなくなってしまっていた。
イオ様の、再度の求婚からもう数日が過ぎている。残り少ないこの特別な仕事、王さまとの時間。だけどわたしは何も選べないまま、ただ無為に時間を過ごしていた。以前のわたしだったら思いあまって手が出ていたかもしれないくらいに、情けなく、腹立たしい姿だろう。
わかっていて、何もしていない。
できない。
怖くて動けなかった。
イオ様は自分を選んでくれさえすれば良いと、そういってくれている。まるでわたしが逃げたがっていることを知っていて、それすら利用してわたしを手に入れようとするように。
逃げたい、と何度思ったかわからない。
結局取れなかったあの手を、握り返したら……きっと、いや確実に楽になれる。
何もかも忘れたように幸せになれる、そう思う自分が確かにいるのに。
そのたびに青い影がちらついて、わたしを動けなくする。決して答えてくれないし、答えたところで幸せにはなれない彼の存在が、ずっと抱えていたものが、わたしの身体を固めた。
あれから、イオ様が来ないことだけがわたしの救い。否の返事をしなければと思い、でもその声がわたしを呼ばないことが、なぜかこの上なく安心できた。
もし今度あのように心が沈んでいる時に、イオ様にまた同じことをされたら。
わたしはもう、抗えなかったかもしれないから。
■ □ ■
階段を上る、その足が重くて仕方が無い。
小さい頃、浅い川で遊んだことがわたしにはあった。そのときの足取りと、今の重みはどこか似ているように思う。そう流れのきつくない川だったけど、それでも逆らうように上流へ足を進めれば、それ相応の負荷――『重さ』を、感じることができていた。
まるで、見えない水が上から下へ、流れているよう。
息も苦しい。
この先に、行きたくない。
だけど――全部『秘密』だから。
わたしの思いも、何もかもが秘密だから。わたしはいつも通り、みんなの前ではいつも通りにしていなきゃいけない。心配をかける、迷惑もかける。そんなのは、嫌だから。
「王さま」
扉をノックし、声をかける。
沈黙が、息苦しさを強めてきた。
しばらく待って、わたしは扉を開く。王さまは、椅子に座って読書をしていた。前は一瞬でもこちらを見てくれたけど、もう一瞥することさえしてくれない。
元凶はわたしだ。
わたしが、悪いのだ。
「食事ができたので……」
ぼそぼそ、と用件を伝える。王さまは反応しない。でも聞いているから、このまましばらくすると下へと降りてきてくれるはずだ。わたしは何事もなかったように、一緒に食事をとって笑みを浮かべて、それからそそくさと片付けに向かうだけ。
どうにかしたいけど、わたしから何かいうことはできない。まるで、返事を催促しているみたいだし、王さまだってそんな風にせかされたらどんな答えでも言いにくいだろうし。
それに――きっと、あいまいなままの方が、いいと思う。
拒否されたならわたしはここでの生活がつらくなるだろうし、受け入れられたところで未来なんて微塵もなくて。だったら可もなく不可もなく、そんなあいまいな世界のままがいい。
大丈夫、そのうち慣れる。
いつも通りに、慣れていくはず。
「それじゃあ、失礼します」
ぺこり、と頭を下げて部屋を出る。
逃げるように階段を駆け下りていって、扉の前で息を整えた。中からはかすかな物音。ミィが残って調理の続きをしているから。ユイリックとラヴィーナは、上で食器の準備。
息が整ったところで、わたしは扉を開いた。
ごめん、ミィ。遅くなって。
そう言いかけた。言いかけたけれど、言葉がのどから飛び出すことはなく。わたしは音もなくかすかに開いた扉の、その隙間の向こうに広がる光景にわが目を疑ってしまった。
ありえない、と思うそれは――カディス様に抱きしめられた彼女の姿。
いつの間にカディス様は、この塔に来られたのだろう。
どうしてミィを抱きしめて、やさしく頭を撫でているのだろう。
無意味な問いかけだった。そんなもの、答えなんてひとつしかないのだから。つまり二人はそういう仲になっていたということだ。わたしも、双子も知らない間に、そうなっていた。
別にそれが悪いこととは思わない。どうして教えてくれなかった、と思わないことはないけれどそれは寂しさのようなもので、怒りとか妬みなんかじゃない。絶対にそうじゃない。
何もいわず抱き合う二人、その光景からわたしはそっと目を離した。
扉を閉めて、逃げるように一階へ。
物陰に隠れるように身を潜め、胸の奥から息を吐き出す。
どうすればいいのか、わからない。
このままじゃいけないことしか、もうわたしにはわからない。
ただひとつ、わかっていた。
絶対にこのことを、誰にも伝えてはいけないということ。わたしの『夢』の終わりに巻き添えにしてしまえともう一人のわたしが囁く声を、今すぐにでもとめること。
わたしは、ミィの夢を叩き壊すようなことは絶対にしない。
そんな行為に意味なんて、何一つとしてないと、わかっているのだから。
だけど泣いているわたしが、一人はいやだとダダをこねるから。もう少しだけ、ここで彼女をなだめておこう。その涙が乾いて眠るまで、静かに目を閉じていよう。




