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暴食王と世界の終わりに立つ少女  作者: 若桜モドキ
Castle filled with thorns
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道連れの痛み

 こんこん、と扉をたたく。

 セシルは今日、久しぶりにカディスの元を訪ねていた。彼はいつも塔にいて、こちらに戻ってくることが少なくなっている。それは王子である自分やクリアを含む若手を育成するためなのだろうと、わかっているのだが……それでも、時々は彼の意見を聞きたくなっていた。

 悩みは消えない。

 たとえば、ラキのことだ。やっと彼女との接点が持てたのに、相手はきっとこちらをそういう対象とも見ていない。仕方がないことだ。身分の違いもあるから、線を引かれるのは至極当然のこと。ここで線を引かないような少女ならば、そもそもこんな悩みもなかっただろう。

 脳裏をよぎるのは、親友であるクリアのこと。

 そして彼の妹で、自分とは婚約関係にあるシエラリーゼのことも、悩みの種だ。どれか一つしか選べない、いやどちらかしか選べない。これからもずっと付き合っていく大切であり貴重な友人とその妹か、あるいは少し前にやっと言葉を交わしただけの身分違いの少女か。

 王子としてならば、選ぶべきは一つだけだ。

 優秀な貴族の嫡男を側近に迎え、聖女という立場にある婚約者と結婚する。侍女とのことはそもそも始まってもいないが、始まっていてもなかったことにして諦めて、忘れる。これまでセシルが受けてきた教育から導かれる結論は、それ以外にはありえなかった。

 だが、セシルは王子というだけの存在ではない。

 彼自身が望むのは、たった一人。

 切り捨てなければならないと思うほど、眩く捨てがたい光を帯びていく。

 それは、実際に言葉を交わすようになって、さらに強くなっていった。今更もう、なかったことにはできないほど。もっと、近くにいきたかった。傍にいたくて、いてほしかった。

 だけどセシルは王子だ。

 この国を背負って立たねばならない、たった一人の存在だ。父親である国王に、他に後継者として指名できる子はおらず、弟はいるがセシルが知る限り当てにならない存在だった。

 国王を名乗れるのは自分だけ。

 捨てきれない二つの要素が、身体を引き裂くように戦っていた。

「カディス……いる、だろう?」

 我ながら、実に情けない声が出てくる。今にも泣きそうだ。とても未来の国王が、発するような声ではない。しかし、もう限界だった。誰にも、誰にもいえないから。


 ――しばらくして。


「セシル?」

 扉が開き、カディスが姿を見せた。驚く彼を突き飛ばすように、あるいは何かから逃げるようにセシルは部屋の中に入る。ソファーに座り込み、そのまま息を吐き出した。

 カディスは静かに、扉を閉めて施錠する。何かあった、ということは一目瞭然だろう。見れば彼は休息でもしていたのか、上着類を脱いでラフな格好をしていた。ノックをしてもなかなか出てこなかったのは、執務室の隣にある休憩用の寝室で寝ていたからだろうか。

「……?」

 硬く閉ざされた扉の向こう。

 かすかに、物音のようなものが聞こえた、気がする。

「セシル、どうかしたのか?」

 誰かいるのかと思いつつそちらをじっと見ていると、水差しの中身をコップに注ぎつつ、カディスが向かい側に座った。差し出されたコップを、とりあえず受け取る。

「……誰か、いるのか? ジャマだったか」

「いや。……それで、どうかしたのか。ずいぶんと、疲れているようだが」

「あぁ」

 柑橘類を搾ってあるらしい水は、よい香りを放ちながらのどの奥へ滑り落ちる。その香りと冷たさで、セシルは少しだけ落ち着きを取り戻しつつあった。

 さて、どこから話せばいいのか。

 直球で話したところで、相手は貴族だ。

 そして――以前、ラキに興味を示していることを見抜き、苦言を漏らした相手。身分違いの関係は不幸しかもたらさない、それを他ならぬ王家が示している、とカディスは言ったのだ。

 今でも思い出せる。初めてラキと言葉を交わした日。

 廊下ですれ違ったカディスが、小さな声で告げた『未来』を。

 しかし、他に相談する先もなかった。クリアにこんなことを言えるわけもなく、暴食王のことで手一杯の両親などもってのほか。そうなると、カディスだけが残った。

「僕は……欲しいものが、あるんだ」

「欲しいもの?」

「あぁ。だけど、手に入れることができない。いれてはいけない、と思う。でも、諦めることができないんだ……どうしても、忘れて、なかったことにできないんだ。何かに対してこんなことを思うのは初めて。だからうやむやにしたくない、これだけは妥協をしたくない」

「……」

「それにより、不幸になる人がいるのはわかっているんだ。だけど」

 きっと、彼には何を言いたいのかわかっている。

 何のことを、誰のことを言っているのかも。そして反対することも、わかっていた。それでも紡がれる言葉は止まらずに、最後まで飛び出そうと空気を巻き込み喉を震わせて。


「――あぁ、そうだな。それでも、欲しいのだから仕方がない」


 その前に意外なことを、カディスが口にした。

 諦められない、と続けかけたセシルは、言葉を失う。飛び出しかけた空気を、ぐっと飲み込んで目の前の青年を見た。水を半分ほど飲んでいたカディスは、自嘲気味に笑っている。

「手放せるなら……そもそも、欲しいとも思わない」

「カディス……?」

「いや、何でもない。……で、相談のことだが」

 口元をゆがめたまま、カディスは笑い、言った。

「お前が望むようにすればいい、後悔しないように」

「……あぁ」

 確かな励ましといえる言葉に、セシルの心は軽くなる。



 だけど、彼は最後に綺麗に釘をさしておいた。誰かを裏切るのなら、裏切った分の痛みを受けることになることを忘れるな。それを大切に思う誰かに与えることも、忘れるな――と。

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