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暴食王と世界の終わりに立つ少女  作者: 若桜モドキ
Castle filled with thorns
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二人の盤面

 かちり、と音が断続的に響く。

 夕暮れ前の、室内。いるのは青い髪を長く伸ばす男と、赤茶色の髪の騎士だけだ。いや、厳密には騎士というより文官なのだが、実力は騎士の称号を頂いても申し分ない。

 暴食王と呼ばれる青い男は、己を『監視』する相手と――ずっと、チェスをしていた。


 もう数時間にもなる。

 最初、彼の相手をしていた、というより彼が相手をしていた少年はいない。彼や彼の妹を含む召使は、それぞれ仕事に戻っている。たとえばベッドメイキング、あるいは夕食の準備。

 残されたのは二人だけ、そして。

『少し、勝負をしようか』

 先に仕掛けたのは、暴食王の方だった。相手の男――カディスは、最初は不審そうに王を見たが、結局は向かい側に座っている。何だかんだで、彼も暇を持て余していたのだろう。

 最初、ユイリックという召使の少年は、二人の勝負をじっと見ていた。彼はチェスが好きらしく、よく勝負を挑んできていたから、おそらく勝負を見て勉強するつもりだったのだろう。

 だが彼は、妹に呼ばれて仕事に戻っている。それからすでに、だいぶ時が流れた。しかし勝負はゆっくりとした進行で、まだそれほど勝負が深まっているという感じはない。

 むしろ、停滞している……そう言っても、いいだろう。

 仮にかの少年に仕事がなくても、彼はここにいなかった可能性があるほどに。

 動きはなく、覇気もない。

 何もしないよりは、適当に駒を動かす方がまし。そんな感じの勝負――いや、単純な暇つぶしだった。とはいえ二人の一手一手は、真剣そのものといった感じの運びではあるのだが。


「……八つ当たりは、見苦しいな」


 暴食王が、口を開いた。

 かちり、と駒が盤を移動する音が響く。

「何があったか知らぬが、さすがにあの怯えようは目に余る」

「……関係ないだろう、暴食の君」

「確かに。だが先短き時を、あのように重い空気に包まれたまま過ごす趣味はない」

 組んでいた足を、解く。

 カディスは、静かに青い男を見た。

 いや、睨んだといっていい。

「――何を知っている、とでも言いたそうな目だ」

 暴食王は、それを正面から受け止めた。青い目を細めて、カディスを見る。その手に、スペアの駒を取って、指先で弄びながら。どこか余裕すら感じさせる態度に、カディスは思わず舌打ちをもらす。歯軋りすら、しているのかもしれない。普段の彼は、そこにはなかった。

「そう、あなたには関係のない話だ。何も知らぬものが好き勝手を……」

 普段よりは少し荒々しい動きで、駒を躍らせるカディス。

 それを、暴食王はちらりと眺めつつ。

「先ほど聞こえてきた声を、お前は握りつぶせるのか?」

 ただ静かに、問うた。

 先ほど――というのは、まだここに双子の少年少女がいた時間帯だ。この塔の上の出入り口を守る騎士が、カディスを呼んだのだ。そこで彼はリビングを出て、廊下に出たのだが。


 彼は、聞いてしまった。

 階下から聞こえる、泣き声を。

 悲しげな、悲哀に満ちた彼女の『本音』を。


 それは、カディスしか聞いていないはずの声だ。カディスと、もしかするとあの少女と一緒に部屋を出て行って、未だ戻らない彼女も聞いたかもしれない声だ。間違っても、もっとも扉から離れた場所にいる、暴食王が聞こえたはずがない。そんなはずはありえないことだ。

 だが、カディスは同時に思う。

 この暴食王に、知れぬものなどないのだろうと。

 女神すら命をとられる王。遠くのものを見聞きすることなど、きっとたやすい。力のほとんどを封じられていると言われているが、それでも完全には消えていないのなら。

「……」

 関係ないだろう、とは、なぜかいえなかった。

 とっさに声が出なかったのだ。

 代わりに、カディスは立ち上がる。そして、扉の方に向かっていった。その姿に余裕は欠片もなく、偶然通りかかったらしい少女が、悲鳴のようなものを上げてカディスを呼び止めた。

「あ、あのカディス様、どちらに……」

「今日はもう戻る」

 入れ替わるように入ってきたのは、金髪の少女――ラキだ。

 彼女は不思議そうにカディスが去っていった扉を見て、それから暴食王を見る。その目は何があったのかを問うような色をしていたが、王は何も答えず視線をはずした。

「――まったく」

 事情が飲み込めない少女を迎え入れ、再び閉ざされたリビング。

 青い髪の男だけが、勝負がつかなかったチェス盤の前に座っている。勝負は一進一退の均衡状態のまま。ただ、少しだけ王に敗色がにじみそうな気配のある盤面だった。あのまま進めていればもしかすると、暴食王は負けていたかもしれない……と、思わないでもない程度だが。

 おそらく、相手の男は気づいてもいない。あえて言ったところで、気分を害する可能性がずっと高かった。ならば駒をケースに戻しておいて、何もなかったということにしようか。

 あぁ、それにしても、と己のキングを手にした暴食王は。

「誰かと同じで、少々おせっかいが過ぎたか」

 つぶやいて、少しだけ、ほんの少しだけだが笑みを浮かべた。

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