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暴食王と世界の終わりに立つ少女  作者: 若桜モドキ
Castle filled with thorns
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希望の後片付けが終わらない

 ただ、重苦しいばかりの空気が満ちていく。

 自分のあれこれなど、もはや気にならないほどの空間が広がっていく。

 いつも通りなのは王さまだけだった。無表情で、本を読みながらお茶を飲む、彼だけがわたしが知っている『いつも』のままで、それ以外は全部が『いつもじゃない』姿を晒す。

 カディス様は、無表情を通り越して氷のような表情で、お茶を静かに飲んだ。

 わたしやラヴィーナ、ユイリックは周囲に戸惑いながらも、いつも通りであろうと黙ってお茶を淹れてソファーに座って、でも無言。とてもじゃないけど、口を開けなかった。


 そして――ミィは、わたしの隣で震えていた。

 怖がっていた。


 いつか、暴食王の話を聞いて倒れた時よりもずっと青白い顔で。

 初めて王さまに逢った時、倒れた時よりも悲壮な様子で。

 むしろ、前二回のあれは全部、些細なことのようにすらわたしには思えた。今のミィは、倒れていないのが逆におかしいという段階にすら、たどり着いてしまっているのではないかと。

 その原因は、カディス様だ。

 あの表情、子供じゃなくても泣きたくなるほど――怖い。

 普段が温和というか、穏やかな人だったから、余計にそう思う。

 もし、これを事情を知らない誰かが見たら、震え上がってしまうかもしれない。事情を何となく察しているわたし達でさえ、叶うならミィを連れてさっさとここを逃げ出したいほど。

 もっとも、逃げるには前述したとおりミィも一緒だし、でも彼女は小さく震えるばかりでとても歩けるような状態じゃない。かといって、カディス様にもっと雰囲気をやわらかくしてくださいなどと言えるような勇気もなく。できることは、そばで手を握ることだけだった。

 しばらくすればカディス様は、何らかの理由をつけて早々に立ち去る。

 最初、王子やその側近を鍛えるためにここにいるといっていたが、それを今はちゃんとできているのかと思うほど。まぁ、でも城の中には時間をつぶすのにちょうどいい場所が、そこかしこに存在した。そういうところを活用すれば、この塔で過ごす分の時間はつぶせるだろう。

 それまでの辛抱と、ミィの手を握る指に力を込めた。

 励ますように、静かに。

 だけど。


「――誰か」


 と、王さまが珍しく声を発する。

 いつもの場所に座っていた王さまが、珍しくこっちを見ているのに気づいた。

「少し疲れた。甘味がもう少しほしいのだが」

「え……あ。はい、わかりました」

「できれば茶も。……急ぐことはない」

 まだ読むものがあるからな、と。

 言い終わった王さまは、また青い瞳を文字へと戻した。

 わたしはひとまずポットの中身を見る。茶葉は開ききっていて、これはもうお茶を淹れるためのものとしては使えない。残りのお湯も冷めているし、お菓子もストックが切れている。

 つまり、全部一から準備しないと。

 そこまで確認し、わたしはラヴィーナとユイリックを見た。二人が小さくうなづき、わたしはそれとなくミィを支えるようにして立たせ、ラヴィーナがポットなどを手に立ち上がった。

 カディス様はこちらを一度、ちらりと見たがすぐに視線をはずす。

「そんじゃ王さま、菓子ができるまで一戦といきましょうか」

「……」

 それは望んでない、という表情を隠しもしない王さまが、ため息をこぼす。だが、勝負を断るつもりはないらしく、ぱたん、と本を閉じる音が聞こえた。そして立ち上がる音も。

 それらを背にわたし達は、逃げるように台所に向かう。

 何とかたどり着き、ミィを椅子に座らせた。

 彼女は俯いたまま一言も発しない。慌ててかまどに火を入れて、数人分のお茶に使う水がお湯になる頃になっても。ゆるく組んだ手元の指を見つめ、ぴくりとも動かなかった。

「とりあえず、お茶だけ上に持ってくわね」

「うん……」

 ラヴィーナが茶器などをトレイにのせて、台所を後にする。

 残った私は、ミィを気にしながらもとりあえず菓子作りを開始した。小麦粉に卵とバターを混ぜ込んで、丁寧に捏ね上げていく。風味付けに甘い香りのする液体を、数滴たらした。

 粉を振った板の上で、薄く延ばして適当な大きさに切る。それをバターを薄く塗った鉄板に丁寧に並べた。あとはオーブンに入れて、こんがりと焼き上げればそれで仕上がる。

 オーブンはかまどで使った薪をそのまま入れてあるので、すでに温まっていた。

 量もそんなには作っていないので、すぐに焼きあがるだろう。

「……ミィ、お茶飲む?」

 声をかけると、小さくうなづくのが見えた。

 やっと落ち着いてきたらしい。

 無駄に何種類か用意されている茶葉から、リラックスできる、と先輩侍女に聞いたことがある銘柄をチョイスした。お湯の残りをポットに注ぐと、ふわりとお茶のいい香りがした。

 カップに注いで、そっとミィに差し出した。

 彼女は、すぐには飲もうとしない。ただ静かに、揺れる水面を見ている。しばらくじっとしていたミィは、ゆっくりとカップを両手で掴んで口元に運んだ。少し息を吹きかけ、飲む。

「……あのね」

 ことん、とテーブルにカップを置き、小さくミィがつぶやく。

 わたしは、うん、と返事をした。

「好きだったの」

「うん」

「ずっと、一緒にいたかったの」

「うん」

「あの人と一緒にいるとね、胸がふわっとあったかくなるの。嬉しいの」

「うん」

「苦しいけど、それが嬉しかったの」

「うん」

「だから……もう一緒にいちゃいけないって。わきまえなきゃって、思って」

「……うん」

「あの人、カディス様は、貴族で。この国に必要な人で。もっと立派な、身分がある人と一緒にならなきゃいけないんだって。わかってるから、ちょっと味見を、したかったの」

「うん」

「一緒にいられた未来の、味見を……少し、しただけ、の、つもり、で」

「……」

 もう言葉が続かない。

 泣きじゃくるミィをわたしは、ぎゅっと抱き締めた。

 肩を震わせて、殺しきれない声を、必死に抑えようとしているミィ。少しでも彼女の願いが叶うように、わたしは自分の胸に彼女の頭を押し付ける。ちょっとでも声が消えればいい。

 ぎゅう、と背中に回されたミィの手が、指が、わたしの服を掴む。

 震えながら、ミィは泣き続けた。

 お菓子がよい香りを放ち、焼きあがったことを伝えるまで――ずっと。


「わがままは、言うもんじゃないよね、ラキちゃん」

 散々泣きはらした赤い目で、ミィはそんなことを言って笑う。

 ――彼女が抱いたものは、わがままじゃない。わがままなんかにしては、いけない。だけどこの世界と、上の上の偉いお方々は。彼女のささやかな願いすら、わがままと罵るだろう。

 たかが侍女には度の過ぎた、不相応な愚考だと哂うのだろう。

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