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暴食王と世界の終わりに立つ少女  作者: 若桜モドキ
Castle filled with thorns
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淀んでいく空気

 あれからひとまず部屋に戻って、わたしはベッドにもぐりこんだ。ふわふわの上掛けに頭まですっぽりと埋もれて、眠りこそなかったけれどまどろみのような物を得た、と思う。

 あぁ、でもやっぱり寝てしまったのかもしれない。

 少し寝坊してしまったというか、意識がはっきりするまでに時間がかかって、わたしはラヴィーナに叩き起こしてもらったわけだから。うん、やっぱり寝てた、寝すぎてしまった。

「ごめん……」

「いいっていいって。だいぶ疲れが溜まってきたんじゃない? あんた、人一倍はりきってたからさぁ。慣れない場所で、慣れない人の相手をして、あれだけがんばればね」

「……そう、かも」

 がしゅがしゅ、と使った食器を洗いながら、ラヴィーナに笑われる。

 確かに、わたしは疲れていると思う。考えることに。悩むことに疲れた。こんなの、今までは感じたこともなく、そういうこともあるという知識程度だったけど……結構、くるものだ。

 あまり、顔に出ていないらしいことだけが、救いだった。

 わたしはミィとは違った意味で、そういうところのごまかしがヘタだ。

 そもそもごまかさなきゃいけないようなものを、飲み込んだ回数も少なく。ほとんどが顔色に出ないような、実に小さいものだった。例の衝動がもっとも大きい要素だけれど、あれはもはやわたしの一部。隠す隠さない以前の問題で、それを悟られることはきっと永遠にない。

 いつも通りを、必死に思い出す。

 大丈夫、と笑ってごまかさなければいけない。

 でも、この場はそれで収まっても、王さまの前でもちゃんとできるのだろうか。未だ頬に触れた冷たさを、わたしはありありと回想することができる。それを与えた本人を前にして、何事もなかったかのような態度を保てるのか。そして――わたしは、またため息を。


「……重症ね」


 つぶやかれるラヴィーナの声も、あまり頭に入ってこない。

 何か言い返さないと、返事をしないと。そう思うけど、心が『たぶんそうだね』と乾いた笑いを浮かべるだけで、もう精一杯。ヘタに何かしようとすると、またため息が漏れそうだ。

 変わりに、わたしはとりあえず笑っておいた。

 引きつっていようと、笑ってみた。

 そして少し生まれた余裕を使い、答える。

「大丈夫」

 言い聞かせるように、告げた。

 ならいいけど、とラヴィーナが答える。どこか諦めたような声に、わたしは少し申し訳ないような気持ちになった。心配してくれているのに、それに答えられないことが苦しい。

 でも、言うことはできなかった。

 言えば余計に、心配をかけてしまうことはわかっているから。

「さ、早く片付けてお茶にしよう。ミィとユイリックも誘って」

「王さまも、でしょ?」

「……うん」

 返事を、ちゃんとできた。

 そうきっと大丈夫、触れられたりしなければ、きっと。

 洗い終わった食器を綺麗に片付けて、昨日作っておいたお菓子を引っ張り出し、五人分のお茶を用意する。お湯を小さいやかんに移して、ポットにお茶の葉を入れた。

 お湯は上で、飲む前に注ぐ。お茶はやっぱり、淹れたてが一番美味しいから。

 トレイに必要なものを乗せて、リビングに向かった。

 二人で大丈夫かな、と少し不安になったけど何とか運べそう。

「兄貴はまだチェスやってるのかしら」

「かもね。ユイリック、負けず嫌いだから」

「そうそう。時々王さまが明らかに手を抜いてるのが、余計に気に入らないみたい」

 全力でぶつかればいいのにねぇ、と苦笑するラヴィーナ。

 あんまり負かせても、と思ってなのか、王さまは時々ワザと負けている。らしい。わたしはよくわからないけど、ユイリックはそう思っているようだ。で、余計にムキになっている。

 どうせ今日もそうだろうなと、リビングに入ろうとしたところで。


「……あ」


 ラヴィーナが、足を止めた。

 どうしたの、と横から中を覗き込むと、想像通りチェス盤を睨むユイリックと、待つ間に読書を始めたらしい王さま。そして、そう大きくない窓の向こうを、ぼんやり見つめるミィ。

 どうも、ラヴィーナが目を向けているのは兄や王さまではなくミィのようだ。

 うつろな目をしているのだろうミィを見て、ラヴィーナがかすかにため息をつくように肩を上下させたのが見える。無理もない。ここしばらく、ずっとミィはあの調子だった。何もすることがなければぼんやりと、窓の向こうを見ているだけで時間をすごす。何かすることがあってもその動きは緩慢で、時々ハっとしたように身体を震わせきょろきょろしたり。あれは完全に心ここに在らずといった感じで、ほとんど命令を聞くだけの道具みたいな感じだろう。

 それでも失敗がないのは、そろそろ奇跡といっていいのかもしれない。

「あれは、完全に……カディス様が原因、よねぇ」

 ラヴィーナのつぶやきに、わたしはうなづくことで是を返す。

 わたしも大概重症気味ではあるけど、ミィのそれは重症どころではない。末期、あるいは瀕死といった感じだ。痛々しいなんて段階は過ぎ去り、血を流しながら動いているようなもの。

 自分で決めてしまったがゆえに、追い込まれているのだろうと思う。

 わたしには、わかる。

 誰かに押し付けられた決断なら、その誰かに八つ当たりをすればいい。それがどれだけ無意味な行為でも、相手の主張がどれだけ正しくとも。怒りは、時に何にも勝る力だから。

 わたしは、ある意味それに近い。自覚しているわけじゃないけど、きっと、心の片隅には世界への憎悪がある。聖女や、大聖堂や、女神や、人々への怨嗟がある。彼らがいなければわたしは、ううん王さまはきっと、自由に生きられるはずなんだって。何の迷いもなく、わたしはすべてを受け入れて、その先がどうであれ何もかもを告げることができるだろうって。

 だけど、ミィはそのはけ口がなかった。

 自分で決めて、終わらせたから。

 いっそ、きっかけになったクリア様辺りを、憎むなりすればいいのに。彼女は優しいからそんなことはできないのだろう。八つ当たりする先があっても、きっと何もしなかっただろう。


「おいミィ、お前もちょっと遊んでみるか?」

 王さまに完敗したユイリックが、窓辺に立つミィに声をかける。

 ミィは振り返って、そしてわたし達にも気づいた。

「あ、ごめんね。お茶するんだよね――」

 申し訳なさそうに声を綴った、彼女の表情が凍りつく。

 その視線の先にいるのはわたしとラヴィーナだけど、わたしや彼女を見てはいない。恐る恐る振り返った先には、ちょうど入ってきたばかりらしい、カディス様が立っていた。

「お茶か……私も頂こう」

 カディス様は、カディス様なのかと疑いたくなるほど、冷たい声を発する。

 ぴくり、とミィの肩が小さく震えた。おびえるようにこわばった表情に、逃げるようにそらされた視線に、場の空気が一瞬でいてつく冬のような温度へと急落していくのを。

 わたしは、ありありと肌に感じた。

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