つかの間の逢瀬
「あぁ、料理は割りと作るんだ。昔、見習い騎士の頃は寮で自炊していたから。趣味の釣りが高じて魚を捌くのも……まぁ、得意といえば得意ではあると思う」
その一言が合図だった。
無言のまま、視線すら交わさずにわたし達は『準備』をする。もちろん『お膳立て』と少しの『お世辞』も忘れない。そうして始まったのは、カディス様によるお料理講座。
内陸の方に住み、あまり魚を取る習慣がない地方出身のミィのため。お魚の上手な捌き方から調理方法まで、しっかり教えてもらおうという流れだ。内陸で魚をあまり食べないという意味ではわたしも同じようなものだったりするけど、ここはあえて黙っておこう。
そしてわたし達はミィとカディス様を台所に押し込むと、上に戻ったフリをした。
「……なんでボクまで巻き込まれているんだ?」
偶然にもカディス様に逢いに来た、クリア・フランベル様も巻き込んで。
■ □ ■
ことの始まりは、少し前にさかのぼることになる。いつものようにお茶を飲んで、お菓子をつまんで談笑して――ユイリック限定で、王さま相手にチェスを仕掛けて負けて、ミィ限定でカディス様にぽわーんと見とれる。これが半軟禁生活でなければ、実に平穏なお昼前。
そんな中、わたしはぼんやりと室内を眺め、隣に座るラヴィーナは暇つぶしにと前からやっていた、趣味のレース編みをしていた。レースを筆頭とした手芸関係だけは上の侍女や女官にも負けないわ、とは彼女の言葉。そりゃそうだろうと思う、彼女はこっちの道で食べていこうと思っていたと公言するくらいなのだから。……まぁ、でも諦めてしまったそうだけど。
しかしとにかく手先が器用なラヴィーナは、時々簡単なものを作ってはみんなに配ったりしている。ちょっとした繕いものなら、一人でさっさっさっとやってしまったり。わたしはあまり手先が器用とは言いがたいので、そんな彼女が羨ましいと思う。
「ラヴィーナ、今作ってるのは?」
「んーと、これはコースター。今使ってるの、もうだいぶボロけちゃってさぁ……。やっぱ白い色はダメね。糸は安いんだけどちょっと汚れたら目立つから洗って、すぐにボロボロよ」
「そっか」
「ま、実際に買うよりは安いし、ヒマも潰せるからいいのよ」
そういって笑うラヴィーナはきっと、まだ夢を諦めていないのだとわたしは思う。ああやってコースターとか小物を作っては、みんなに配っているし。そうすることで、腕が少しでもなまらないようにしているんじゃないかって。全部、わたしの勝手な想像でしかないけど。
夢は何もかも叶う、なんてことを信じてはいないけど。
小さなものでもいいから、何か叶えばいいと思う。
わたしは――もう、叶ってしまっているし。
そんな感じに、穏やかな時間が流れていた時だった。
「あれ、カディスさん、じゃない、様。料理なんかやるんです?」
チェスの駒を睨んでいたはずのユイリックが、読書中のカディス様を見た。そういえば、さっきから熱心に本を読んでいたけど、どうやら料理について書かれた書物のようだ。
小説とかだと、勝手に思っていたけど……ちょっと、意外。
「あぁ、料理は――」
話を振られたカディス様は、にっこり笑って、そして冒頭に戻る。
こうしてわたし達は、二人っきりの時間を作ることに成功した。
台所に二人を押し込んですぐに偶然やってきたのが、クリア様だった。何か用事があったらしいのだけれど、場の空気に流されて一緒に巻き込まれてくれている。なお、王さまは上で読書を再会したところ、だったと思う。我関せず、といった感じだ。
「君達はほんと、ヒマなんだな」
「ヒマっていうかー、大事な友達のための協力ですぅ」
「っていうかどうしてボクも巻き込まれているんだ。なぜだ」
「はぁ? あれをジャマするとか、ふっざけたことを? やだぁ、空気よめてなーい」
ひそひそと、交わされる言葉。というより、ラヴィーナとクリア様による応酬。わたしが知る限り、この二人はこれが初対面のはずなんだけれど、まるで大昔からの知り合いみたいに言い争っている。どこか、双子の兄妹ケンカを思わせるような、軽いやり取りだ。
お前らうるせぇ、とユイリックがぼやく通り、二人はだいぶうるさい。
せっかく中の二人を二人っきりにしているんだから、ここで覗いているのが気づかれたらマズいってこと、わかっているのだろうか。覗くよう言い出したのは、ラヴィーナだし。
「あぁ、もう黙れお前」
ユイリックがついに、妹の口を手でふさぐ実力行使に出た。そのままずるずると、下へ引っ張っていく。この場にはわたしと、事態が飲み込みきれていない様子のクリア様が残った。
いや、さすがにもうわかっている……と思う。
台所から、楽しそうなミィの声が聞こえてきたのだから。
「……無駄なことを」
ぼそり、とつぶやかれた声。わたしは、双子がいなくてよかったと思う。二人――特にラヴィーナの前でそんなことを言ったら、もう誰が何を言っても止まらないケンカになっていた。
そっと隣を見ると、クリア様の表情はどこか苦しそうに見える。
ミィの身分が低いのに、という意図の言葉では、ないのかもしれない。
「カディス殿は、近々……見合いをする、予定になっている」
「――お見合い?」
あぁ、とクリア様は答えて。
「相手は我がフランベルの分家の令嬢だ。物静かでおとなしい性格で、カディス殿との相性もいいだろう……と、父上が。話そのものは数年前からあって、そろそろ本決まりだろう」
「そうですか」
「……ラキ、といったか。変わっているな。どうにかならないのか、とか言わないのか」
「言いませんよ、わたしは。……それに、どうにもならないことは、ミィもちゃんとわかってます。これは彼女が選んだんです。このままごとみたいな、お芝居みたいな夢をもう少し続けるって。終わってしまうまで。だからわたしは何も言わずに、与えられた役を演じるだけ」
わかっている。
痛々しいほどわかっているから、彼女は今、笑っている。明日にも、こうしてすごす時間が終わってしまう可能性。二度と会わない未来の存在。全部知っていてなお、ミィは笑った。
これは、夢だ。
少し現実に顔を出した、ささやかな夢。
「夢ぐらい、幸せになってもいいじゃないですか」
それくらいはきっと、許されるだろう。
夢ぐらいは、見てもいい。
女神様だってきっと、それくらいは許してくださるだろう。




