見上げた窓に
振り返った先に、予想しない相手がいると、頭の動きが止まる。
人間は驚くととっさに何もできず、石のようになるというけど……本当だ。
いつの間に、どうしてここに。そんな言葉が渦巻く。言葉しか渦巻いてくれない。浮かんでは消えていく言葉は音になることはなく、わたしの中でただただ浮き沈みを繰り返すだけ。
正直なところ、ぽかん、としたまま動けないのが現状だ。
何か、言わなきゃいけない……のに。
「お……お久しぶり、です」
凍りついたように固まった頭で、必死に出したのはそんな一言。
お久しぶりというほど、そんな長い時間合わなかったわけでもないのに……。
でもイオ様はにっこりとしたまま、特に何も言わなかった。そういうのは余計いたたまれない気持ちになるのだと、彼は知らないのだろうか。まぁ、全部わたしが悪いから仕方ない。
あぁ、でもびっくりした。
まさかまた、イオ様に会うことになるなんて。
またくる、と前に言っていたけれど、本当にくるとも思わなかった。忙しいお方だろうとわかっていたから、正直に言えば再会の期待はまったくしていない。こっちから一方的に見かけるくらいはあるだろう、とか思っていた。だからこそ、あんなに頭が凍ったわけで。
そもそも、この人はどうしてここにくるのだろう。
以前も抱いた疑問を、改めて思う。
イオ様の格好は、今日も凛々しく高価そうで、実に立派なものだった。まさに貴族のお坊ちゃんという感じでもあり、けれど服に似合う雰囲気もある。ただ、それっぽいもので身を包んでいるだけじゃない。カディス様にも感じた、堂々とした雰囲気……というものだろうか。
やっぱり、この人は普通じゃないんだろうなと思う。
カディス様と同じような感じだから、彼もセシル王子の側近だろうか。
「毎日、大変そうだね。いろいろと」
「そうでもないですよ? わたしより、イオ様の方が大変だと思いますけど」
「え?」
「だってイオ様……王子の側近、とか、ですよね?」
お若いですし、と告げると、イオ様は少し驚いた様子を見せた。
わたしも、根拠なしに彼が王子の側近かもしれない、と思ったわけじゃない。ただ、王族に直接仕える存在――側近などと呼ばれるような人は同年代が多いと聞くし、騎士というにはちょっとイオ様は細いというか鍛え方が足りてない感じがした。もし騎士なら見習いだろうか。
しかし見習いとつく人が、こんなところで遊んでいるわけはない。いくら貴族とはいえ、騎士ともなるとそこら辺は容赦がない。偉かろうが何だろうが、あの世界だけは実力主義だし。
そうなると、一番の可能性は王子の側近。
……まぁ、それでもどうしてこんなところに、という疑問は出てくるんだけども。
「側近……か。まぁ、そんなところだね」
何か含みのある言い方をするイオ様。おや、もしや騎士様だったのだろうか。だとしたら失礼なことを言ったのかもしれない。勝手に決め付けた手前、どう言い出せばいいのか迷う。
「ここは静かだから、息抜きにちょうどいいんだ」
だがその前に、イオ様は話題を変えた。
間違っていたというより、触れられたくない……のだろうか。急な変化は、きっとそういう意図があるのだろう。わたしは彼の素性についての疑問を、思考の隅、さらに底に沈めた。
確かに、ここは静かでこっそり休息をとるのには充分だった。中庭の方が何かと便利ではあるけれども、あそこは一人になることはできない。時間帯にもよるけど、基本的に誰かいる。
わたしはその騒がしさも、キライではないので中庭の方が好き。でもやっぱり球形ぐらい静かなところで、と思う人もいるだろうと思う。イオ様も、そんな一人かもしれない。
「――君はよく中庭で寝てるよね」
「え?」
歩き出したイオ様は、外に向かう。
わたしも、自然とそれについて歩いた。外は思ったよりも明るく、洗濯物を干したらよく乾きそうないい天気。お昼寝するのにも最適な、ぽかぽかした暖かさがあった。
「中庭の木陰。通路側の木の下で」
「……」
あたり、だ。
そこは程よく風が入る場所で、知る人ぞ知る絶好のポイントだった。物陰にはいるのであまり人に見られることもなくて、だからわたし以外にもあの場所で寝ている人は結構いる。
でも、まさかイオ様に見られているとは思わなかった。そりゃ、目立たないってことはないと思うけど、こうもピンポイントで知り合った人に見られているというのは恥ずかしい。
「見てた……んですか?」
「うん。時々」
「そ、そうです、か……」
思わず声が小さくなり、俯いてしまう。そういえば完全に見えないわけじゃないから、とラヴィーナによく言われたっけ。あそこで一人で昼寝をするのはやめろって。今度から控えようかなと思いつつも、あの心地よさを身体と心が忘れてくれそうにないのが悲しいところ。
しかし、実際に見られていると知らされると、さすがに羞恥心が……。
「……あれは」
と、イオ様がふと上を見た。わたしも釣られて視線を上へ。
その先にあったのは、当にある小さな窓の一つ。
青い影が、目が、こちらを見ていた。
「王さま……?」
わたしがそうつぶやいたものが、聞こえるわけがないのに。王さまは、声を合図にしたかのようにすっと窓から消えて、見えなくなってしまった。おそらく、わたしを見ていたのだろうと思うのだけれど。王さまはよく窓辺にいるけど、外を見ていることはなかったように思う。
わたしがいたから――なんて、まさかそんなことはないか。
きっと、他愛のない理由で外を見たら、わたしを見かけただけだろう。だからすっと、窓から離れていってしまった。他意なんてないんだと、そう思うと、何だか少し寂しく感じた。
「暴食王、か。君は『王さま』なんて名称で呼んでいるんだったな」
「えっと……名前、教えてくれませんでしたし」
「名前か。そうだな、確かに誰も知らない。知る必要性も、なさそうだが」
そうだろう、と同意を求められ、わたしは無言しか返せない。わたし個人は知りたいと今も思っているけれど、王さまは答えてくれないし。そして、誰もが名前なんてどうでもいいと思っている。王さまは王さま。暴食王は、名前なんてものの以前に、その存在がすべて。
それでも――わたしは、やっぱり。
名前を知りたいと、思う。
「さて、そろそろ戻らないとクリアに怒られる」
「クリア……あ、フランベル様ですね」
「そう。あいつはすぐに怒る。本当は、ここに来るのも禁じられているんだ。呪いなど、無意味なものだというのに。気にしすぎなんだアイツは。あぁ……でも」
と、イオ様がこちらに手を伸ばす。
指先が、わたしの頬に触れた。
「その存在のおかげで、君が近くに来てくれたのだから。そこは感謝しようかな」
「……」
「それじゃ、カディス――さんに、よろしく」
イオ様はそう言うとわたしの頬を軽く指先で撫でるようにする。そして意味深な笑みだけを残して、そのまま背を向けてスタスタとどこかに去っていってしまった。
えっと、今のはこう、口説きのようなものの軽いヤツをされた
そんな認識で、いいのだろうか。
あぁ、今のわたしにはミィの気持ちが、わかるかもしれない。
少しドキドキする。なんだろう、恥ずかしいようで、違うような感じだ。頬に熱が集まっていくのが、自分でもよくわかる。どうしよう、なんだろうこれは。いたたまれないというか。
わたしはぶんぶんと頭を振って、何かから逃れようとする。
……結局、逃げられなかったけれど。




