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塔の理由

 ひとまず顔をさっと水で洗って、わたしは台所に戻った。

 正確には、戻ろうとした。でも台所に通じる扉をくぐる前に、その声に気づく。


「ユイリック、君はもう少し相手の裏を読むことをした方がいいな」


 ……カディス様が、来ていた。

 カディス様はそれほど大きな声ではないから、たぶんまだミィ達は気づいていない。

 わたしはそっと台所に、滑り込むように戻った。

「あれ、ラキちゃんどうしたの?」

 慌てて、しかし静かに入ってきたわたしに、ミィが驚いた様子を見せる。わたしはそっと扉を閉じて二人に、上から聞こえてきた物音の様子をそっと伝えた。

「カディス様、もう来てるみたい」

「え?」

「上から声がしたし、時間もいい頃だから食事の準備しよう」

 その声を合図に、ひとまず甘ったるい空気を排除する。

 ラヴィーナが持ってきていた材料を、まずは切ったり刻んだり。その間に鍋に水を入れて火の上へ。塩で漬け込んで干した肉は手で裂いてから、適当な大きさに切りそろえた。

 鍋のお湯は、まだ水のまま。

 そこに香りの強い野菜やハーブなどを薄い布袋に入れて口を縛ったものをいれ、ついでに切った干し肉も入れた。袋は風味をつけたり、干しても残る肉の生々しい風味を飛ばすための家庭の知恵だ。どうしても食べられない野菜の部位などを、そうやって無駄なく使う。

 その間に野菜を油で焼き目がつく程度にいためて、軽くハーブを散らし、塩やこしょうでさっと味をつける。ここの味は控えめに。あとで全部を鍋に入れて、しばらく煮込むから。

「よーし、これでメインは完成ね」

 ラヴィーナは味を見て、少し塩をつまみいれた。

 蓋をして、少し火を弱めているところに鍋を移動させる。

 さて、次は主食作りだ。改めて野菜を切って、今度は塩とコショウ、ハーブ。さらに各種調味料で濃い目に味をつけていく。ミィは昨日の夜に作っておいたパイ生地のの残りを、麺棒で薄く延ばしていた。それを、大き目のパイ型において、押し付けて密着させる。

 そこに野菜を全部ドバっと流し込んで、最後に、あまった生地でそれとなく装飾。

 あとはオーブンに。

 同じオーブン料理だけれど、鳥を丸ごと焼くより火加減は楽。全体がこんがりしたら、それが完成の合図だ。今回は野菜ばかりを使っているので、生地さえ焼ければそれでいい。

 こうして、着々と昼食の準備は整っていく。

 本から選び出したのは、まぁ、お手軽なスープもの。

 具沢山なので、わりとおなかにたまる。たくさん作っておけば、夕食に味付けなどを変えて使うことができるという、庶民らしい庶民料理。……あまり野菜の再利用、ともいう。

 それだけではさすがに足りないので、野菜たっぷりのパイもセット。

 握りこぶしほどの大きさの丸いパンを添えれば、立派な昼食の出来上がり。

 それをひとまず上のリビングに、テキパキと運んでいく。

「ご飯できましたよー」

「あ、わりぃ。オレも手伝うわ」

 チェスの駒とにらみ合っていたユイリックが、慌てて立ち上がった。せっかくなので、一番重い料理――つまりスープの入った鍋を、運んでもらうことにした。器に入れるより、鍋ごと持ってきた方がいろいろと楽だから。こぼれる、とか考えなくてすむし。

 普段、わたし達が使っているよりずっと上等そうな食器を、六人分並べる。

 このリビング、とても広い。そもそも同じ大きさの空間を持つ下の階に、二部屋もの個室を用意できるくらいだ。リビングにはわたし達全員が座ってもまだ余裕のあるソファーに、王さまが日々手を伸ばしている本棚。さらにソファーと同じ数揃っているテーブルと椅子。

 そこに食器を並べ、食事を盛り付け。

「では、頂こうか」

 カディス様の声を合図に、給仕の手を休めてそれぞれ椅子に腰掛けた。

 王さまは、最初こそこうして一緒に食事を取ることを、というより食事そのものに意味がないと拒否していたが、こちらの説得に折れておとなしく席についてくれる。決して、脅迫的な行為をしたわけじゃない。ただ、わたしがこれ見よがしに『もったいないなー、一人分余ってしまったわー』みたいな三文芝居を、目の前でちらちらとやってみただけ。

 王さまは、どうやら何かが無駄になるのがお嫌いのようだ。

 暴食王――王という文字を含む名で呼ばれる人だけど、意外と庶民的らしい。

 それでも、この豪華な部屋に物怖じせず、平然と過ごしていられるのは。やはり彼にはそう呼ばれるに値するだけの何かが、立場や権力などがかつてあったのかもしれないと思った。

 しかし、見れば見るほどこの部屋はやっぱりおかしいと思う。

 こうして五人あるいは六人で、一緒に食事を取るたびにそう思う。

 わたしはずっと、そして今もここは、表に出せない誰かを閉じ込める。そのために作られた場所なのだと思っている。一階から二階に上がる手前にある扉を閉じてしまえば、ここは閉ざされた密室のようなものになってしまうし。仮にそのためのものじゃないなら、上にあるあの豪華な寝室や、この数人は余裕で暮らせるリビング、下の個室はなんなのだろうか。

 誰かを閉じ込めるための、ここはそのために空間のはず。


 だけど、それは『誰』なんだろう。


 噂に聞く王弟の幽閉場所は、城の外。ここじゃない。

 まさか愛人か、と思ったけれど……そんな話は聞かないし。割と数百年程度なら、古い噂話も残っていたりする。もしどこかの代の国王が愛人を作り、それを閉じ込め――いや囲うための部屋としてここを作ったのなら、それなりに噂なりが残っているはずだ。

 召使は、耳年間というか。

 そういう下世話な話が好きな人が、多いから。

 ……最後に残った可能性は、ここはそもそも『暴食王』のための場所、というもの。可能性も何も、おそらくそれが答えなのだろう。いろいろ考えたけど、王さまのために作ったと考えればしっくりする。この多人数用のテーブルやソファーの意味は、よくわからないけど。

 過去にも、いたのかもしれない。

 わたしみたいな変わり者が。

 王さまと一緒に食事を、なんていいだす変なのが。

 まぁ、でも過去のことは考えてもしかたない。ぱくり、と切り分けたパイを一口かじり、わたしはすぐ隣で交わされている、実に甘酸っぱい会話に耳を傾けた。

 そこにはミィがいて、彼女の話し相手はカディス様だ。双子はもくもくと食事をとる。王さまはいうまでもなく、無言だ。ナイフとフォークを使い分け、静かに料理を口に運んでいる。

 よって、しゃべっているのは二人だけ。

 その会話の、何と甘酸っぱいというか甘ったるいことか。

 胸焼けしそうな雰囲気。だけど。

「お、お味はどうでしょう……」

「あぁ、美味しい。私はこれくらいの、あっさりした味付けが好みだから」

 カディス様の言葉に、よかった、と笑みをこぼすミィが。

 羨ましいなと、思った。

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