大事な友達
洗濯場を出て、召使の控え室の一つで申し訳程度に身なりを整える。
別に誰かに会うわけではないけど、まぁ、女の子だから多少は身なりをよくしたい。元が可もなく不可もなくといった、罵られはしないけど褒められもしない程度だけど。
「よし……」
さっと乱れた髪を整え、わたしは控え室の奥にある扉を開く。
これが、召使用に作られた専用の通路。仕事の時は、基本的にわたし達はこの通路を使うことが決められている。表の廊下を歩くなと言われているわけではないけど、これを使った方が各所に行きやすかった。隠し通路というよりも、近道のようなものかもしれない。
わたしは食堂近くの控え室を目指し、決して明るくはない通路を駆け抜ける。城の中に張り巡らされたこの通路は、各所にある召使用の控え室などと繋がっている。二、三人ほどが横一列に並べる程度の広さがあって、ランプが設置されているのでそれなりに明るい。
――そういえば、この通路の主だったルートを覚えるのが、最初の仕事だったっけ。
今からだいたい三年ほど前。
故郷を離れ聖都にやってきたわたしは、運良くこの城の求人を掴むことができた。そこまではよかったのだけれど、実際の仕事内容は想像以上に大変で、子供ながらに抱えていたなけなしの覚悟もあっという間に磨り減っていった。覚えることが多すぎて、てんてこ舞いだった。
特に苦労したのが、この隠し通路の把握。
唯一の幸いは、各階で全部同じ構造をしていること、だと思う。それは城の中がどの階も同じような作りであるおかげなのだけれど、とにかく、おかげでとても楽になった。
ある程度、この通路がどういう作りなのかを覚えられれば、簡単。
どの階のどの位置に、何があるのか。
特定の場所に向かうには、どこを通ったら早いのか。
構造さえ何とか把握できたなら、そこから先の理解は早かったと思う。もちろん、それができないでやめていった同僚や後輩も少なくない。十人入れば、半分は半月で辞めてしまう。
わたしは、単純に運がよかっただけなんだろうと思った。
よい同僚――友人や、先輩に恵まれて。
あとは、半分が初期で脱落し、残りも数年でいなくなってしまう職場ゆえの、慢性的な人手不足をどうにかしてほしいところ。おかげでまとまった休みが貰えず、毎日が過重労働というほどじゃないけど忙しくて、せっかくの休みでもわざわざ外に出る気力も無い。
――せっかく貰っているお給料も、あんまり使わないし。
などと考えつつ、右へ左へ、そして上へ。誰も通らない通路を、ひたすらかつんかつんと音を鳴らして進んでいく。ここに自分しかいないということが、とても恐ろしく思えた。
実は食堂は、次の食事の準備をするので特定のの時間が来ると、たとえ誰かが食事をしにこようと容赦なく閉めてしまう。少し前に八つの鐘がなっていたけど、間に合うのだろうか。
確か、九の鐘がなる頃に閉まっていたと、思うけど。
不安になりながら、ようやくたどり着いた目的地の扉をくぐると。
「あ、おかえりー」
控え室のソファーに座って、わたしに手を振る少女――ミィがいた。
彼女はわたしより年下で、一年ほど先輩にあたる。街道で繋がっているだけの、遠方にある地方都市からきたわたしとは違って、祖父母の代から王城に勤めている生粋の召使だ。
「遅かったねー」
にこにこしながら立ち上がり、ミィは服をぱんぱんとはたいた。
わたしのと比べると色あせて見える服が、彼女のキャリアの長さを語る。
わたし達の服装は、基本的に同じものだった。暗い灰色の長袖で、丈も長いワンピースに白いエプロン。これという装飾の類は無く、それらを加えることは禁じられている。
許されているのは髪留めの類。
それすら無地であるように、などと定められている。
なのでわたしに限らず、結わずにすむ長さに切っている侍女は少なくない。もっとも、同じ侍女でも貴族の子女や富豪の娘など、一部の特権階級出身者は割と自由にしているけれど。
ミィはわたしより長く伸ばしていて、ふわりとした癖のある薄茶色の髪を、左右の高い位置で淡い桃色のリボンで結っている。年齢以上に小柄なこともあって、とてもかわいらしい。
しかし、ミィが控え室にいることに、わたしは苦笑を浮かべてしまう。
城中を動き回っていたわたしと違って、彼女はもっと早く仕事が終わっていたはず。
どうやら、わざわざわたしが仕事を終えるのを待っていたらしい。もしかしたら二人仲良く朝食を食べ損ねる、という最悪の事態になる可能性が少なからずあったというのに、だ。
それでも彼女は待ってくれるのだろう。
そう思うと感謝すればいいのか、怒ればいいのか。
「お腹すいたから、早く食堂にいこう」
今日のメニューは何かなぁ、とミィはご機嫌だ。
子供みたいに、はしゃいでいる。
城に住み込んで、一緒の部屋で暮らし始めてもう三年。ミィの明るさや、その屈託のない笑顔にどれだけ、ささくれそうな心が癒されただろう。どれだけ、彼女が支えになっただろう。
ここでの生活は、順風満帆だったとは言わない。イジメはなかったけど、細々とした失敗なら数え切れないほどある。そのたびに先輩などに叱られて、へこんで、また立ち上がって。
それができたのは、ミィが傍にいてくれたからだとわたしは思う。
いつまで一緒にいられるか、わからない。
明日、離れ離れになるかもしれない。
わたしは少し前を行く、その背中を見て自問した。
――少しは、ミィの助けに、わたしはなれているのだろうか、と。