視線の主
王さまはいろんなことを知っていた。
いつも、こうしてどこかしらに閉じ込められているらしいけれど、そのたびに本を読んだりして知識を蓄えて、たくさんのことを見知っていた。わたし達のような平民は名前も知らない大昔の国王が、どういう人だったのかとか。――歴代の聖女が、どういう感じだったのかも。
とにかく、王さまは博識な人だった。
もしこの話を知ったら、相手があの暴食王と知っていても逢いたいという学者さんは、結構いるんじゃないかとわたしは思う。だって、彼しか知らないような話だって、きっとそれなりに存在しているに違いない。それを必死に探している人なら、泣いて喜ぶと思うし。
最初はぎこちなかった三人も、だいぶ打ち解けてきているようだ。
王さまは……普段どおり、というかずっとあの調子。
しばらく、適度に話題に混ざりながら見ていたけれど、自主的にあれこれ話してくれるつもりはないようだ。まぁ、無理強いしているようなものなのだから、仕方がないか。
それに、たぶんそうやって話をすることが、苦手――不慣れなのかな、とわたしは思う。
一つ一つ丁寧に、言葉を選んでいるような感じだった。
そこが、三人――とくにミィの緊張を、やわらげてくれたのだと思う。傍目には、彼は落ち着いた青年でしかなく、暴食王という言葉からくる恐ろしさは微塵も感じないのだから。
そんな彼が、今語っているのは数代前にいた、とある聖女の話。
誰もが知る――偶然にもラウシアと名づけられた、この国の王女だった。
それは見事な金髪の持ち主で、遠い異国からも求婚者がくるほど美しくて。なのに短い一生を大聖堂の奥にこもって過ごしたという、とても謎の多い女性でもある。
女神と同じ名を持つ彼女を、王さまはやけに詳しく覚えていた。
他は――特に聖女はどこか曖昧というか、だったはずだとか、そうだったと思うとかいう言葉が目立つのに。でも、相手が聖女ラウシアなら、たぶんみんなそうだと思う。
女神と同じ名を持った王女様。
そして聖女様。
忘れろっていう方が難しい話だ。
ましてや、暴食王封印からわずか数年で、いろんな制度を作り終えたのを見計らったように病魔に冒されて、そのまま亡くなってしまうなんて。誰も思いもしなかったから。
男尊女卑とまでは行かないながらも、歴史に名を残す女性は限られているこの国で、数少ないその一人になってしまった。それもダントツに若い人。彼女以外に名を残した人のほとんどが医者や学者、あるいは聖職者だったりして、みんなが『おばあさん』と呼べる年齢だ。
美しく気高く、そして成すべきことを成した聖女。
今の聖女であるシエラリーゼ様を含め、彼女以降の聖女や王女といった身分ある女性は、みんなあれを基準にされているらしい。話に聞くだけでも遥か高い位置にいる人を基準にされるなんて、大変な世界だ。シエラリーゼ様はしっかりこなせているんじゃないかと、なんとなく見た感じはおもったけれど、それはあの人が幼い頃から受けているだろう教育のおかげ。
仮に聖女にならなくったって、あの人はそれに等しい立場に立つ。すなわち、未来の国王であるセシル王子の妻として、王妃という名を持つ。内容はまったく想像つかないけれど、きっとそれに似合うだけの人間に育つよう、徹底的に教育しているに違いない。
音楽家になるために、三つかそこらから楽器を教わらせたり。
芸術家にするためだけに、いろんなものを与えたり。
学者に、政治家に、はたまた貴族の奥方に。下働きと言えど、城にいるとそういう禍々しいまでのいろんなものを見聞きする。特に三番目の理由はかなりすごい。わたし達よりずっと年上の先輩には、玉の輿狙いがいるわけだし。見てるとぞくっとする、悪寒で。
やっぱりわたしは、今の気楽な場所がいいと改めて思う。
ぎゅうぎゅうにコルセットなんて巻きたくないし、自分を隠すこともしたくない。そうしなければ得られないなら、わたしは過度な権力も財力も要らないと思う。
普通が一番だ。
何事も。
「……ラキちゃん、ほんと変わってるよね」
ぽつり、とミィがつぶやく。
「そうよねぇ。なんか聖女様みたい。そりゃ、露骨に玉の輿を狙えとは言わないけどねぇ」
「そう……かな? わがままなぐらいだと思ってるけど」
「欲がなさ過ぎるだろ。夢くらいみろ。どこの聖職者だっての」
子供らしくねぇ、とユイリックが笑った。そういわれても、もう『お姫様になるの』って感じの夢を見る年齢じゃないし、広義の意味ではわたしもみんなも立派に『大人』だし。
成人こそまだだけど、外に出て就職できる子は基本的に大人だ。
一人で生きていくに当たって、子供の頃に抱いたような夢はジャマだと思う。少なくともそれを夢のメインディッシュにすることは、往々にしてわが身を滅ぼすと。
「……あの先輩みてると、ね」
「あぁ……なるほど」
国王陛下の手をつくのを夢見て、未だ追いかけているというある先輩侍女を、きっと全員が思い浮かべたと思う。わからないのは王さまだけだろうけど、きっとわたし達の反応でどういう人なのか伝わったと信じる。正直、思い出すだけでも億劫で説明とか勘弁してほしい。
城の全使用人の心は一つ。
――彼女が、若く未来のある王子に標的変更しなくてよかった。
これにつきる。
嫌なことを自ら思い出してしまったわたしは、ふとテーブルを眺めそれに気づく。それなりに下から持ってきていた茶菓子が、ついに一つ残らず消えていた。
「お菓子、追加で持ってくるね。お茶は?」
「あたしはパス。まだあるし」
「オレはいる。ミィは?」
「あ、じゃあ私もおかわりほしいな……」
そして、全員の視線が王さまに向かった。彼は無言のまま小さく首を横に。要らない、ということらしい。つまりユイリックとミィ、それからわたしの分のお茶を用意しつつ、お菓子も盛ってくればいいわけだ。お湯から沸かさないといけないし、となると水を汲んでこないと。
ちょっと待っててね、と言い残し、わたしは空になったカップなどをトレイに載せる。
再び始まったおしゃべりを背に、リビングを出た。まずは荷物を台所に置き、代わりにやかんを手に下へ。お茶をする分だけなら、この小さいやかんで充分。
特に意味はないけど人がいないのを確認して外に出ると、ざぶんと水を汲んだ。
――さて、戻って火を起こさなきゃ。
塔に戻ろうとしたわたしの耳に、かさり、という音が届く。さく、さく、と草を踏みしめているようなリズム。近づく音に、誰かが『歩いてくる』のだと振り返らずともわかった。
とはいえ無視することも、ちょっとしにくい。
もしかすると、カディス様かもしれないわけだし。あるいはクリア様かもしれない。さすがにないとは思うけれど、賊と呼ばれる類だったら大変だ。なんたって塔は、城の内部――それも上層階に直接繋がっているわけなのだから。もちろんその出入り口を守っている騎士様は弱くはないと思うけど、彼らにたどり着くその前にわたしやミィ達がどうなるやら、だ。
「何か、御用ですか?」
ちょうど、わたしの背後で足を止めたのだろう、誰かに声をかける。
かけつつゆっくり、身構えながら振り返る。
「……君が、暴食王の世話係、かな」
そう声をかけてきたのは、いつか大聖堂で見かけた人だった。いつか、大聖堂で見かけた人だったと思う。姿はあまり覚えていないけど、視線はしっかりと覚えている。
その射抜くような視線が――至近距離で、わたしを捉えていた。




