日常の始まり
朝が来た。
わたしはそそくさと起きて、部屋を出る。まだみんな眠っているのか、かすかに寝息のようなものが聞こえた。どうやらいつもより、少しばかり早い時間に起きてしまったらしい。
そういえば、外の騎士様はどうしているのだろう。冬の時期よりはマシとはいえ朝晩は肌寒いから、ずっと外にいるというのは心配だ。風邪など引かなければいいけれど……。
一応、彼らもあの扉の鍵を持っているので、何か差し入れでもしようかな。
そんなことを思いつつ、わたしは一度一階まで降りる。
外に出て、適当な桶に水を汲んだ。食堂の厨房にはもう明かりがついていて、かすかに人が動く音が聞こえてくる。きっと、朝食の仕込などをしているのだろう。こんな時間からやっているとは思わず、少し驚く。でもあの量の料理を揃えるなら、当然の早起きかもしれない。
「ごくろうさまでーす……」
いずれ直接伝えたい感謝を口にしつつ、ジャマにならないように塔に戻る。
水はとりあえず一度台所まで運んで、適当なところに置いた。朝食用にと考えたけど、メニューをまだ決めかねているから。改めて、パンはすごいものだと思う。特に迷う必要がない。
――と、上の方で何かが落ちるような音がした。だいぶ上なので、王さまが目を覚ましたのかもしれない。というか、やっぱりここは彼の好みに合わせて、メニューを調整していくべきなんじゃないかと思う。召使的に。決して思いつかないから、というわけじゃない。
まだミィも双子も起きていないので、そっと階段を上っていく。
わたし達が寝泊りする部屋のものより立派な扉を、数回ノックした。
「あの、王さま? 起きてらっしゃいますか?」
返事はない。
でも動いている音がしているから、たぶんもう起きていらっしゃる。
「入りますね?」
一応宣言して少し間を空けて、わたしは扉を開いた。
ぎぃい、と雰囲気抜群の音が鳴る。
王さまはベッドの傍にあるソファーにすわり、何か本を読んでいた。何の本なのか表紙からはわからないけど、たぶん難しいものなんだろうなぁ、と思う。分厚いし、固そうだし。
わたしはそれなりに本を読む、と思う。城の二階に図書スペースがあって、そこから時々本を借りてきたりする程度に。主に小説類だけど、料理のレシピ本なんかも借りたりも。今のところその知識を発揮する機会は、あまりないだろうけど。ミィの方が上手だし。
「あの、王さま」
話しかけて見るも、王さまは一瞥もしてくれない。
いや、それはもう昨日の反応でわかっていたからショックはない。
わたしの衝動はわたしだけのことだから、どうして答えてくれないの、なんてことを口にはしないし思いもしない。そんなの、小説によくある頭の弱い登場人物みたいだ。
出逢えたことだけを感謝し、わたしは息を吸いなおして続ける。
「朝ごはんは、どうしましょう。何かほしいものはありますか?」
あくまでも世話係のラインから出ないように。おびえたりしない時点で、自分がおかしいことは自覚しているから、これが普段の仕事振りです、といった感じに演技を続ける。
しばらく待ってみると、王さまはやっとわたしをちらりと見た。
「……好きにすればいい」
それが一番困るんだけどなぁ、と思いつつも、顔には笑顔。
仕方ない、ミィを起こして一緒にメニューを考えるか。
「じゃあ、できたらお持ちしますので。……紅茶、とかは?」
「……必要ない。そもそも、我は飲食などしなくても、何の不便もないからな。人間と同じ生活を送る必要はない。あえて言うならば、こういう娯楽が時間つぶしに必要になるだけだ」
起きている間だけだがな、と。王さまはつぶやいた。
ぺらり、とページをめくる乾いた音がする。
暗に、だからここに来る必要もない、と言われたような気がした。
はいそうですか、と聞くわけにはいかなかった。王さま――暴食王の世話をするのがわたし達の仕事で、いくら何もしなくてよくても、遊んで時間をつぶすなんてことは許されない。
わたし個人に限って言えば、こうして逢えるだけで幸せだ。
どんな形でもいい、少しでも傍にいたい。手っ取り早いのがお仕事をすること。食事を運んだりとかやっていれば、自然とそれなりに彼の近くにいることが可能だから。
みんなにとっては仕事をちゃんとしないと、呪われっぱなしのまま。清めの儀をしてもらわないと、いろいろと生活するうえで不便が生じる。そのためにはお仕事をしなきゃいけない。
つまり、仕事をしなければならない理由がこちらにはある。
「そういうわけには行きません。お世話をするのは、わたし達の仕事ですから」
「……」
「とりあえず、何でも召し上がる、ということでよろしいですね。できたらお持ちいたしますので。飲み物もこちらで適当にチョイスします。何かあれば、そのつど申しつけください」
にっこり、としっかりと作った笑みを浮かべて、言い切ってみた。王さまはここでおとなしくしていればそれでいいけど、こっちはそうもいかないんですよ、という気合で。
王さまはまたこっちをちらりと見て、目をかすかに細めてため息をつく。好きにしろ、ということだろうと勝手に受け取って、さっそく勝手に朝食を作って運ぶ準備に向かおうとして。
「朝食をとるなら、早めにした方がいい」
そんな言葉を、背中にかけられた。
振り返ると、王さまはもうこっちを見ていない。
視線はぶ厚い本の、紙の上に描かれた文字を追いかけている。
「えっと、それはどうして……」
「聖女が来る」
だから忙しくなるぞ、と王さまは言う。
「いつものことだ。何度眠り、何度目覚めても聖女は我を訪ねる。我に施された封印の具合を見に来る、という名目だが……我のことなど放っておけばよいというのに、物好きなことだ」
「え、えっと。あの」
「その間、世話係は監視がつく。……それとも、人に見られながら食事を取るのが趣味か?」
笑みを含んだ声に、無意識に跳ね上がる心。それは怯えか何かのように見えたらしく、王さまはどこか呆れたように、だから早く行け、とだけ告げる。
これ以上は、何も答えてくれないだろうと思い、わたしは一礼すると部屋を出た。
下からはがさがさと音がしていて、どうやら誰か起きてきたらしい。聖女様がここに来るらしいという話をするかしないか迷いながら、わたしはすごすごと階段を下りていった。