当然の報い
――ここは、セシル王子の執務室。
今日も彼は父王の補佐として、さまざまな書類に立ち向かっていた。普段は側近などが数名ほどいるのだが、今は彼しかいない。他所に必要な書類を、新たに取りに向かっているのだ。
セシルは一番小さい山をみて、これが終わったら一息入れようかと思う。
そこに、やたら乱暴に扉を開ける人影が飛び込んできた。
「お前、わがままもいい加減にしろ」
だぁん、と机の上に書類を叩きつける少年。その衝撃で一部の書類の山が崩れかけ、慌てて何とか元通りに直す。少年は腕を組んで、じとり、とこちらを見下ろしていた。
今日は二人いる側近の片割れ、クリア・フランベルの機嫌が悪い。
誕生日が早いために一つ年が上だが実際は同い年である彼は、親から受け継いだものが違うからなのか逆に少し年上に見える。細身だが長身なのも、それに一躍買っているだろう。
だからこう、見下ろされると何ともいえない迫力が出ている。
もう一人の側近であるカディスの方がさらに身長が高いのだが、彼はそもそもこういう風にセシルに迫ったりはしない。飴と鞭で例えるなら、クリアが鞭でカディスが飴だった。
幼い頃から一緒に育った親友であり、幼馴染であり、数年もしないうちに義兄弟となる相手なのだが、セシルは彼がここまで怒っている理由が掴みきれない。
何かあっただろうか、とセシルは思案する。だが、特に思い当たらない。以前ならともかく最近は真面目に仕事をしているし、カディスなどに迷惑もかけていない。お忍びという名の脱走すらしていない。今も机にかじりつき、書類の山に立ち向かっている真っ最中だ。
このように睨まれて、さらに見下ろされる覚えはないのだが。
「何か……あったのか?」
「……すっとぼけるつもりか、お前」
どうにか返事をすると、クリアは忌々しそうに目を細める。
そして、彼は語った。
二日か三日ほど前になる。ちょうど『ある事柄』について、どうしても数人の手伝いが必要になった。とはいえ人を選ぶものではないので、適当に召使から選べばいいだろう、と思われていた事案だ。セシルも最初は、それで片付けるつもりだった。
王子である彼は忙しく、そんなどうとでもなる事柄に割く時間などなかったからだ。
しかし、彼は土壇場になって強権ともいえる手段を用いた。
どうしても意のままにしたくなったのだ。
もっとも、そう問題のある『わがまま』ではない。
――ただ暴食王にまつわる手伝いを、彼女らにさせただけなのだから。
しかし、問題はこの先だ。すでに決まっていた王の世話係を変更させたのだ。それも例の手伝いをさせた四人組に。もっともらしい、脅迫じみた理由までつけて。
セシルの思惑通り、彼らは暴食王がいる塔で働き始めた。
その結果が、騎士による暴挙――の未遂、である。未遂なので普通なら闇から闇へ葬られるように『なかったこと』にされるところだが、ここで再び王子の一声が響く。
それにより、暴食王の世話係に任命された四人――正確にはそのうちの少女三人を毒牙にかけようとすらした二人の騎士は、すべての権力も名声も栄光も失ってしまったのだ。
これから先の彼らの未来に、闇しかないのは誰の目からも明らかである。しかしそのきっかけとなったのが、ここにいて人々に褒め称えられる王子セシルであることは知られていない。
そして、罪に問われることでもない。
なぜならばセシルは、ただあらましをきいて『感想』と『危惧』を口にしただけ。
処分そのものは騎士団長が、その他数人と話し合ってきめたこと。
「お前、騎士団長に言ったらしいな」
「あぁ……未遂とはいえ、うら若き乙女によからぬ妄想を抱く輩を城に置けば、女神の怒りを買い結界が壊れ、暴食王に与えられる戒めが弱まる、あるいは消え去るかもしれない、と」
「……よくもまぁ、デマカセを」
「実際、連中に夜会に参加した令嬢が傷物にされてからでは遅いじゃないか。召使だから問題ないと思っている段階で、人間は止まらないよ。いずれはどんな相手も毒牙にかける。それがたとえば一国の姫であろうと――あるいは、可憐で愛らしい、聖女であろうとも」
「……それ、は」
「それに騎士団長は、身分と家柄が高いだけで、中身が腐っているクズを叩き出せたと嬉しそうだった。貴族じゃない層から、もっと拾い上げたいとも。まぁ、あの愚かしい連中の言葉を使うなら――代わりはいくらでも用意されている、という感じかな。当然の報いだ」
くすり、と笑ってセシルは書類にペン先を走らせていく。
それを見たクリアが、目を細める。
「……彼女らの、誰が、どうしてお前にそこまでさせる?」
ため息交じりの独り言のようなつぶやき。しかし、それに対する答えを、セシルすら持っていなかった。クリアはソファーに座って、ぐったりと身体を投げ出している。
「お前が何を考えているのか……ボクは、今まで以上にわからないよ」
わからない、といわれても困る。
他ならぬセシル自身が、わからないのだから。