強行突破未遂
思い立ったら、ということで、わたしはユイリックと一緒に出入り口に向かう。確か執事長は何かあれば、この向こうに立っている人に言えと告げていた。だから彼らに頼もうと思う。
「あの」
こんこん、と扉を叩く。
がたんがたん、と音がして。
「……何か?」
どっちかわからないけど、とりあえず返事は来た。最悪の場合として無視されることを覚悟していたので、少しほっとする。もっとも、こんなのはまだまだ入り口なわけだけど。
ひとまず、わたしは事情を説明した。
水が明らかに足りないが、どうすればいいのかと。それに水は『生もの』。水瓶に満たされているあの水だって、数日も放っておけば床掃除に使うのも躊躇うほど腐ってしまう。
とにもかくにも、水は重要なもの。それが明らかに足りていないのだから、何とかしてもらわないと仕事もままならない。それがただの建前だとしても、わたし達は仕事でここにいる。
だが、向こうから返されたのは。
「なぜ我々がそのようなことをしなければならない」
という拒否の言葉だった。
わなわな、と隣にいるユイリックが震えていた。ここに彼の妹が、ラヴィーナがいなくてよかった双子は揃うと、とにかく騒がしい。今ごろ扉を蹴りつけ、怒鳴り散らしているだろう。
「お前らのせいで、我々は選ばれた高貴たる騎士であるにもかかわらず、このような仕事を押し付けられた。さっさと死ぬなり何なりしてしまえ。なんなら手伝ってやってもいいぞ」
「おぉ、そうだな。三人も女がいるのだから。子供だが少しは楽しめるだろう。男を知らないままというのは哀れだからな、我らがしばしかわいがってやってもいいが、どうだ?」
「それはいい。我らのように高貴な身分を相手にすれば、箔がつくというものだ」
扉の向こうから響く下卑た声に、さすがのわたしも後ろによった。
この人は、人達は本当に騎士なのか。兵士の上に立つ、選ばれた存在。国を守る象徴として人々にあがめられている、あの『騎士』と同じものなのだろうか。
確かにたいていの貴族は下を嘲り見下しているし、そんな階級出身者が大半を占めるのが騎士という身分。それとなく愛人になるよう、誘われた先輩も少なくないと聞く。
とはいえ、こうも露骨に気持ち悪いことを言われたのは初めてだ。こんなのは品も何もあったもんじゃない。貴族というより、場末の酒場で飲んだぐれている酔っ払い以下だ。
「ふっざけんな! てめぇらそれでも騎士か!」
がっつん、と扉をユイリックが蹴り飛ばすも、もちろんびくともしなかった。見るからに丈夫そうだったから、よほどのことをしないと破ることもできないだろう。面倒なことだ。
いつもなら、ここで彼を止めるのがわたしの仕事。
だけど今日はむしろ、火に油を注ごうと思う。
「……火、つけようか」
「は?」
「燃やしちゃおうか、これ」
ジャマだし、とつぶやくと、シーンと静まり返った。でも仕方がない。扉が開かないとわたし達は死んでしまう。こんな面倒な仕事を請け負う程度には、みんな死にたくないはずだし。
こっちだって命がかかっているんだから、なりふり構っていられない。
油の類はあるだろうし、かまどでつかう薪もある。扉は木製だから、そう時間をかけずとも火が燃え移って灰になるに違いない。さて、準備をしてこよう、と階段に向かうと。
「き、貴様らっ。そんなことをすればただでは済まさんぞ!」
「切り捨てられてもよいのかっ」
その足音を聞いて、扉の向こうが騒がしくなった。
さすがに燃やされると困るらしく、何とか思いとどまらせようと叫んでいる。
それを聞いたユイリックが扉を蹴り、大声で怒鳴り返した。
「はっ、扉も開けねぇのに何が切り捨てるだ! こっちは命かかってんだよっ! 偉そうに突っ立ってりゃそれで給料貰っておしまいなてめぇらと、一緒にすんじゃねぇ! つか子供子供いいながらそれに手ぇだそうとか、どこの下種い変態だ! 聞いてて鳥肌ものだっつーの!」
「貴様らぁ……」
低い声で威圧するも、残念ながら相手の姿が見えないのでぜんぜん怖くない。
がっつんがっつん、とユイリックはなおも乱暴に扉を蹴る。そのたびに扉からものすごい音がして、石造りの廊下に響いている。扉の向こうが、だんだんうろたえるのがわかった。いくらすぐ向こうに渡り廊下があるとはいえ、大騒ぎすれば少しは音が城の方に届くだろうし。
そして。
「何の騒ぎですか、騒々しい」
かつんかつん、と音を響かせて近寄る、誰かが現れた。
「こんなところで何をしているのです」
「フランベル殿……」
ずいぶんと情けない声がした。
どうやらそれが、声の主の名前らしい。
フランベル――確か、かなりの有力貴族の一つだったはず。
常に国王の傍で補佐する、宰相や側近の一族だと聞いたことがある。もっとも、今はそれ以上にあの聖女シエラリーゼの出身一族としての方が、庶民の間では有名かもしれない。
城にいるということは働いているのだろうけど、それにしては声が若い。わたし達と同年代という感じだ。どういう立場なのかは知らないけれど、厄介な相手じゃなければいいな。
わたしは淡々と、さっき彼らに言われたことを伝えた。主に後半の部分を、ねっちりとしつこいぐらいに。でも間違ったことは言っていないので、扉の向こうから反論は特になかった。
それどころじゃ、なかっただけかもしれないけど。
フランベルと呼ばれていたその人は、しばらく考え込んで。
「執事長と騎士団長を呼んできなさい」
「フランベル殿、あのような下働きの下男や下女の言うことを信じるのですか!」
「そもそも罪人でしょう! そのようなものの言うことを、どうしてっ」
「彼らは罪人ではありませんよ。仕事をしているのです。その意味がわからないほど低俗な脳しか持っていないなら、この城には必要ない。殿下はそういう輩を、嫌われますのでね」
「……っ」
「それと、この向こうには暴食王がいます。彼らはその世話係。この任務の内容を騎士団長はちゃんと話をしたと思いますけれど、忘れていたようですね。……愚かで、バカなことを」
失望しました、とフランベル様は告げる。
その言葉に二人の騎士は、もう何も言わなかった。
暴食王を押し込んである場所の警護。これはある意味で、王族の警護に匹敵する重要な任務であろうことは明らかだ。それを任されるなら、あの二人は立派な騎士だったのだろう。
それを話もろくに聞かないでいて、やさぐれて。出世も職も捨ててしまった。後日知ったことだけれど、二人ともがこの後に騎士の称号を剥奪されて城から追放。さらに決まっていた縁談も破棄されてしまい、実家に引きこもったのだという。言われた内容が内容なのでかわいそうとか同情とかはしないし思わないけど、絵に描いたような没落っぷりだとわたしは思った。
フランベル様の命令で、一階の扉が開かれたのは騒動からすぐのこと。その向こうには小ぢんまりとした庭が広がっていて、そこは馴染みがあるというか見覚えがある場所だった。
ここは食堂の厨房から出られる、通称『裏庭』。
それが塔の一階に繋がった場所だった。
昔、食堂も中庭も込み合っていて入れなくて、というか先輩がちょっと怖くて、ミィと昼食をとっていたことがある。同じ理由で逃げてきた双子とであった、思い出のある場所だ。
こんなところに繋がっていたんだ、と思う。
食堂に入れるようになって、出入りしなくなっていたから忘れていた。
これでひとまず、水の問題はなくなった。この裏庭には水路が引かれていて、そこにはたっぷりと新鮮な水が流れているから。一応『呪』がかかっている身の上、あまり外に出るのはよくないと思うけど、万が一、突然の病気など何かあった時にもこれで何とかなるだろう。
「ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げると、フランベル様は少し照れくさそうにする。
上の方の『偉い人』にもちゃんと、『いい人』はいるんだと少し安心した。