衝動
朝、目が覚めると街は大騒ぎだった。
数百年ぶりの、暴食王のお目覚めだから仕方ない。けれど、街がどうであろうと、わたし達の仕事はなんの代わり映えもなかった。せいぜい、話題が少し変わる程度。毎朝同じ時間に目を覚まして仕事をして、ご飯を食べて休憩してから仕事をして、それを夜まで続けて眠る。
そんな、当たり前の日常が来ると思っていたのに。
「そこの四人、こちらへ」
いつもより早く朝の仕事が終わって、四人で食事に向かっていた時。
できれば二度と会いたくない、執事長がわたし達を呼び止めた。隣には侍従長や侍女長といったわたし達の上司がいて、その表情はどこか険しく――微かに哀れみのようなものがある。
何かしたっけ、と囁くラヴィーナに首を横にふって、とりあえず彼らの前に立った。
さすがにこの三人を前にすると、異常なほどの緊張感に襲われる。しかし、どうして執事長までもが、ここに、食堂に通じる廊下なんかにいるのだろう。食堂は基本的に召使が使用するためのものだけれども、執事や女官といった上の方になると別のところで食事を取る。
要するに、上には上の方々専用の食堂のようなものがあり、執事長ともなれば当然そこを利用するわけで……間違いなく、ここにくるわけがないのだ。来賓の方々が通される玄関は待った区別のところだし、そもそも執事長が出迎えなければならない誰かが来るという話もない。
つまり、この状況のためにこの人は、ここにいることになる。
……わたし達、やっぱり何かやらかしただろうか。
思い当たるのは昨日の手伝いだけど、滞りなく作業は終わらせたはずだ。全部終わってからチェックしてもらったけど、特に文句も言われなかったし。だから安心していたのに。
もしかして、蝋燭の配置を間違えたのか。
端とかが欠けているものが後から見つかった、とか。
いろいろ考えてみるけれど、今更思い出したところで意味はないだろう。
「昨日はご苦労だった」
侍従長のねぎらいの言葉は、どこか震えていた。
まぁ、傍らに自分の首を左右する存在がいたなら、誰だって緊張もする。その威圧感は、王族すらも黙らせるという噂だ。さすが城の使用人の頂点に立つ人物、恐ろしい。普段はそんなに好きな方ではない侍従長だけど、あまりの怯えっぷりに同情の念を抱かざるを得なかった。
その様子に焦れたのか、執事長が淡々と。
「君達には、特別な仕事を任せたい」
いつか聞いた言葉と、同じような説明をしてきた。
しぃん、と静まり返った場も気にならないのか、執事長はさらに説明を重ねていく。
曰く、わたし達には暴食王の『呪』とやらがかかっているという。それはあの蝋燭立ての仕事のせいで、このままでは女神の加護を失ったままろくな未来もないらしい。そして『呪』を受けた人間と関わるのは、よくない。幸いにも城の中にいる限りは構築された結界などのおかげで特に何もないらしいが、逆に言えば城から出れば何があるかわからないということで。
しかも。
「時間が経つと『呪』は人々の負の感情をエサに大きく膨れ上がり、最終的にはこの城の中にいても影響が出てくるだろう。そうなれば、いくら金を積み清めても無意味になる」
「……そ、そんな」
ミィはもう顔面が蒼白で、今にも倒れそうな様子だ。そりゃそうだ。人間の負の感情がこれでもかと集まるのが、この城という特殊な空間。たとえば今の王子は聖女という婚約者がいるから平穏だけど、現国王が王子だった頃なんかは王妃の座を求め恐ろしい争いがあったとか。
そんなものに巻き込まれたら、ただの侍女など一瞬でこの世からさようなら。
だから玉の輿なんて狙うなよという脅しもかねて新人の頃に聞かされた話を、ミィは幼い頃から聞いて育っているはずだ。嫉妬に狂う女が、どれだけ恐ろしいのかも知っているはず。
そしてその嫉妬は、たとえ水の中でも勝手に燃え上がってしまうもの。
悲しいことに、このままだとわたし達に未来はない。
なぜならその『未来』は、有料なのだから。
基本的に『呪』は、清めの儀というものを行えば比較的簡単に払えるもの。それは執事長が告げた通り。問題があるとするなら、それにはそれ相応の『お金』が必要なことだろう。
ただの悪霊でも割と取られてしまうというし、暴食王が相手ならいくら取られてしまうのかと考えると気が遠くなる。四人の全財産を出しても、一人文になるかどうか怪しいものだ。
もはや、ミィに限らずいつ誰が現実逃避として意識を手放してもおかしくない状況。
追い詰められたわたし達を、じろり、と見回し執事長は言った。
――この特別仕事を請け負えば、何とかしようと。
「な、何とかって……どういうことですか?」
「言葉の通りだ。儀式の代金はとらずに、受けさせよう。しかも巻き込んでしまったことを心配していらっしゃる聖女様のご意思により、彼女自らが儀式を執り行うそうだ」
つまり更なる仕事を受け入れて身も心も綺麗になるか、面倒を拒否しておそらく短くなるだろう一生をそれでも馬車馬のように働いて疲れ果てて終わらせるか。
まさに生きるか死ぬかの、選択肢でもない選択肢。
今まで通りの平穏な生活を送る、そのためには必要不可欠である『清めの儀』を無料で受けたいならば、命ぜられるままに『特別な仕事』をしろと仰せなわけだ。
この、こちらを道具か何かとしか思っていないだろう、生粋の執事様は。
だからか、とわたしは今更ながら考える。
四人に割り振られるには量が多い方だった、昨日の仕事。あれはわたし達四人しか動かせる人間がいなかったからじゃなく、必要最低限が四人だったからなのだろう。おそらく侍従長あたりから、わたし達が親しい友人関係にあることも聞いて、その上の判断に違いない。
もし誰か一人でも関係ない、と首を振れば、そこで話は終わってしまう。
清めの儀に限らず、何らかの儀式にはそれなりの資金がいる。専用の道具などを揃えるお金はこっちが用意しなければならず、つまりお金がなければ呪われっぱなしというわけだ。だから親しい関係を築いていて、抜け駆けするだけのお金がない下っ端が選ばれた、ということ。
わたし達に、拒否を告げられるだけの強さはなかった。
「……よろしい。ではさっそく来ていただく。荷物は要らない。城内にある所定の場所に住み込んで、そこにいるある人物の世話をしてほしいのだ。主に食事などの用意になるが」
「はい……」
消え入りそうな声で返事をして、わたし達は歩き出す執事長についていった。どこへ連れて行かれるんだろう、誰の世話をすればいいんだろう。そんな質問をする気力すらない。
じろじろ、と注がれる周囲の視線が、気力などを根こそぎ奪う。見るからに『下』の召使四人を引き連れる、圧倒的に『上』の執事長、という一行はさぞや奇異なものだろう。
あぁ、面倒なことになった。
よほど女神様は、わたしが嫌いらしい。
挙句、友人まで巻き込んで……これからどうしよう。
無言のまま歩き続け、気づいたら普段は立ち入らない五階にたどり着いていた。立ち入らないとはいえある程度の間取りなどは知っていて、記憶が正しければこの先にあるのは確か城のはずれにあり、湖がよく見える塔の一つではなかっただろうか。他にあるのは細々とした備品を納めている倉庫ぐらいだけれど、さすがにそこにお世話が必要な存在がいるはずがない。
案の定、並ぶ倉庫の前を通り過ぎて、中庭と湖が左右に広がる渡り廊下を進む。
この先が塔だ。普段は中庭から見上げるだけだった場所の入り口には、それなりに身なりのいい騎士と思われる二人の青年に守られていて、彼らはゆっくりと重そうな扉を開いた。
「中に入れば、仕事が終わるまでまず外には出られないと思うように。中には必要最低限の設備が整っている。簡易だが、厨房の類も。何かあればそこの二人に頼むように」
わたし達を塔の中に押し込むようにして、執事長は扉を閉めさせた。
最悪、とラヴィーナが低い声でつぶやくのと、がちゃり、と鍵が閉められる音が響いたのはほぼ同時。さすがのわたしも、がっくりとうなだれて、ため息こぼした。
しかしわが身のためにも、仕事はちゃんとやらなきゃいけない。わたしはこのまま、城に閉じこもっているわけにはいかない。時々とはいえ、外に出てやらなきゃいけないことがある。
意を決して、一番近い扉を押し開く。入り口前の短い廊下の左右には上や下への階段があったけど、それは後で見よう。まずはここがどうなっているのか、ちゃんと調べないと。
少し硬い扉を何とか開き終えて、中を見たわたし達は言葉を失った。
窓際のソファーに腰掛け、分厚い書物を読んでいる青年。長い髪は黒く、光が当たったところは水面のように煌く青を宿す。年齢は二十代半ばといった感じで、若く体格もよさそうだ。
黒いローブに身を包む彼はわたし達を一瞥もせず、静かに読書を続けている。
「……あれが、世話をしなきゃいけない相手、か?」
「た、たぶん?」
双子がひそひそと小声で会話をしつつ、倒れそうなミィを支える中。わたしは全身を細かく震わせて、目を見開いていた。何か言いたいことがあるのに、どうしても言葉にできない。
ただ、衝動があった。
泣きそうなほど、何かが胸の内側にこみ上げてくる。家族も故郷も捨てるように、たった一人で聖都に来たことも。紛い物とわかっていながら、必死に前へと転がしてきた一生も。
今、この瞬間を得るために必要な行為。
わたしはずっと――この人に、逢いたかった。