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定められた関係

 シエラリーゼ・フランベルは、人生で最高の場所に立っていた。

 そう、最高としか言いようのない舞台。

 大聖堂の奥にある、特定の人物しか立ち入る湯とが許されていない部屋。かわいらしいが格調も高い内装の中、白を基調とした衣服を纏う若い少女が髪を丁寧に整えられていた。

 金色の髪を長く長く伸ばす、彼女こそが当代の聖女シエラリーゼ。ゆるく波打つ癖のついた髪は敬愛する兄と同じで、彼女が自分の中で特に気に入っている部位でもある。その兄ももうじきここに来てくれるのだが、できればそこに『彼』もいてくれたら、と彼女は願った。

 彼、というのは王子で、兄が側近として仕えている相手だ。

 何よりも、シエラリーゼにとっては兄のような存在で、婚約者でもある。


 ――セシル・イオ・エクリュネイル。


 十七歳の兄より一つ年上で、十四歳のシエラリーゼからみると、とても大人であるように思える年齢差だ。あまりそれを感じないのは、彼の側近のカティスがさらに上だからだろうか。

 ともかく、めったに城を出ることができないセシル王子は、今日、シエラリーゼの元を久方ぶりに尋ねてくれる。仕事で、というのが悲しいところではあったが、それでも兄を介したもどかしい手紙のやり取りに比べれば、飛び跳ねて喜んで見せたいところだった。

 もちろん、そんなことはしない。

 貴族令嬢として生まれ、王子の婚約者として育ち。

 今は聖女だ。

 そんなはしたなくみっともないマネは、もうしない。だけど、それくらい嬉しいことを口で伝えることは許されるだろうか。それくらい、自分が彼と会いたかったことを伝えることは。

 髪を丁寧に梳かれる中、シエラリーゼはうっとりと目を閉じる。

 久方ぶりのセシルは、大胆にも彼女を抱き締める。会いたかったと囁き、頬に軽く口付けをしてくれる。それから会わない間のいろんなことを聞かせてくれて、周囲に怒られてしまうまでついつい時間を忘れてしまう。早く結婚をしたい、と意味ありげに言われ、頬を赤く染め。

 ――今すぐ攫ってくださいまし。

 などと言い返し、見つめあい。貪るように唇を重ねる。

 ほぅ……と、悩ましい吐息を漏らし、シエラリーゼは目を開いた。いつも、彼が尋ねる前にしてしまう『妄想』なのだが、いつか叶うことなのだとシエラリーゼは信じている。

「ねぇ、サリーシャ。そうなったらステキだと思わない?」

「はい姫様」

 何を、と言ったわけでもないが、サリーシャは笑顔で是を返す。

 彼女はいつもそうだ。このサリーシャ・シルミアという妙齢の侍女――いずれは女官となるのだが、彼女はシエラリーゼが何を言ってもその答えに是を使う。聖女に対する盲目的な信奉者が多い中、その中でも際立つほどの妄信っぷりだ。もはや病気といってもいいだろう。

 しかし、サリーシャの返答に、幼い聖女はにっこりと笑った。

 言葉が足りないことに気づくこともなく、ただ、是の答えが返ったことが嬉しいのだ。

 そう、自分と王子は誰よりもお似合いの関係なのだから。いつか、セシルは同じように自分のことを奪ってくれる。シエラリーゼは、胸に手を当てて再び目を閉じた。


 余談だが、彼女はかなりの読書家である。

 大聖堂などの読書スペースで読書に興ずる姿は、信徒のため息を読んだ。あぁ、我らが麗しの聖女はかくも聡明でいらっしゃる、というのはとある年老いた司祭の言葉である。熱心に本を読み耽る姿を受けて、大聖堂に来る子供らが勉学に励むようになり、親は泣いて喜んだ。

 読んでいる本が、絵空事に甘味料を片っ端から混ぜ込んだような、よくある少女向けの恋愛小説であることをのぞけば、読書家であることはおそらく褒められるべき要素だろう。


 そんな愛読書達の影響もあってか、シエラリーゼの『夢』は止まらない。

 だが。

「失礼する……シエラ、いるか?」

 その声に、彼女はびくんと身体をふるわせた。わたわた、とすでに整っている己の身支度をきょろきょろと確認し、それからサリーシャに扉を開けて迎え入れるように命ずる。

 すぅ、はぁ、と呼吸を何度か深く繰り返し。

「こんにちはお兄様っ」

 自分より幾ばくか母に似ている実兄、クリア・フランベルに抱きついていった。王子の側近として働いているクリアは、同時に護衛役としての役目も担っている。ゆえにそれなりに身体は鍛えているし、かつて騎士団長を務めた祖父より受け継いだ由緒ある剣も携えていた。

 なのでこうして抱きついても、彼はあまりよろめかない。

「ったく、いきなり飛び掛るなと何度言えばわかるんだ」

「だって」

「セシルには、飛び掛るなよ」

「そんなことしません」

 むぅ、と唇を尖らせるシエラリーゼ。

 どうだかな、とクリアはつぶやき、さらに妹をふくれっ面にさせた。兄にとっては、妹とはいつまで経っても子供なのだろう。確かに大人になったとは自分でも思っていないシエラリーゼだったが、いい加減、少しぐらいは大人に近づいたところを認めてくれてもいいと思った。

 そんな調子に、二人でじゃれていたのだが。

「兄妹、仲がいいのは結構だけど」

 再び少女の身体が、ぴくりと震える瞬間が来る。

 こつり、こつり、と靴音を響かせ現れたのは。

 目もくらむほどに麗しい見目の、彼女が一番会いたい青年だった。

「あ……」

 すぐに言葉が出てこず、シエラリーゼは口をぱくぱくさせる。

 だが、彼がすぐ傍までやってくると。

「セシルお兄様っ」

 飛び上がるように、首の後ろに腕を回して抱きついた。よろり、と兄と違ってわずかに身体を揺らしたセシルだったが、さすがに倒れない。苦笑交じりのため息が、かすかに聞こえた。

「まったく。君はいつまでもおてんばだな」

「だって、お久しぶりなんですもの。あのねセシルお兄様、わたくし――」

「すまないが、時間がもうない。後にしよう」

 言われ、シエラリーゼはしゅんとする。だが、すぐにぱっと顔をあげた。

「では、参りましょう、セシルお兄様……いえ、殿下」

「あぁ」

 すっと歩き出す彼の後ろを、兄が続く。そしてシエラリーゼが続いて、最後にサリーシャと他の侍女がついてきた。カディスはどうやら別のところで仕事をしているらしく、合流はしないらしい。一行は、ただただまっすぐに大聖堂の――深い場所、地の底へと向かっていく。


 ――お慕い申し上げています、セシル様。


 少し前を行くその背を見て、聖女は目元をわずかに細めた。兄と並んで歩き、あっという間に成長していった、彼女がまだ普通の少女であった頃から恋をしていた唯一無二の相手。

 だからこそ、シエラリーゼは心に硬く誓う。

 彼のためだけの花になる。

 いずれ国を背負う、彼のために咲く花となる。いかなる運命も、彼が望み、彼の益となるのならば喜んで享受しよう。そのためだけに自分は存在しているのだと、彼女は信じていた。

 愛されなくとも、その『予定』に変更はない。




 たとえ、その目が違う金色に向けられていたとしても。

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