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君恋う  作者: 氷室 愁
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7.硫国 湯屋

訪問有り難う御座います!

時間の流れが早いですがーー温かい目で見守って下さい

城内で、一つの名が飛び交っている。皆が必死になってその人物を捜しているようだ。

[香鈴様!]

そんな中、ひとつ悲鳴に近い声が上がった。それは沢山の花が咲き誇る庭からだった。

[あぁ〜!そんな所に上がらないで下さい。降りて、取り敢えず降りて下さい]

[煩いなぁ]

[いいから木から下りて下さい。頼みますから]

既に泣き声に近くなっている。

[なら美魅があそこ、木の上にいる猫を下ろしてくれるのか?そしたら俺は下りるけど]

[……それは無理ですけど]

[だろ。なら――]

そう言うと香鈴はさらに上の枝へと手を伸ばした。

[……でも、別に私や香鈴様がやらなくても、衛兵にでも頼めばいいですよね?]

[……何だ?今、ちょうど聞こえなかった]

[分かりやすい嘘を吐かないで下さい。それと、そんな格好で高いところまで上がるなんて……]

香鈴の膝丈の服のことを言っているのか、香鈴が次の枝に足をかけようと上げると、慌てて目を反らした。

[え、でも下にズボン履いてるぞ]

[あぁ!!裾をめくらないで下さい]

[だからズボン――]

[関係ありません!]

遠くが少し騒がしくなってきた。急いで猫を下ろさないと本当に兵が入ってくることになりそうだ。

[香鈴様、兵に頼みましょう!]

[……美魅、本気でそれを言っているのだったら俺は怒るぞ。俺のこの庭にだけは兵を入れるな……!!]

それは自分でも驚くほど冷たい叱責だった。

[申し訳御座いません……]

肩を震わせ、真っ青な顔で美魅が頭を下げた。

[……ってことで俺が救出させてもらおう]

木に腰掛けたまま、ぱっと両手を離してそう言うと――見事な美魅の悲鳴が上がった。


猫は無事に救出され、美魅の悲鳴に驚いて駆けつけた兵が庭に入る前に、外へと出された。

その後城の兵士は香鈴によって城内に離された猫を追いかけるのに駆り出されることとなった。

[痛い]

頬を触った瞬間、走った痛みに思わず小さく悲鳴を上げる。

美魅に気付かれる前でよかった。

よくよく見ると、今の格好はひどい物だった。白の着物は葉の汁が着いて、所々茶色くなっているし、擦り傷も沢山ある。

[城下に下りて、薬湯にでも浸かりに行くか。そういえば、香木を切らしていた気がする…]

棚を覗くと、やはり数種類のものが切れていたり、残りの量が少なくなっていたりする。

[伽羅と……]

必要な物を用紙に書き留めると、すぐさま着替え、香鈴は街へと忍び出たのだった。


国の外は雪が降っているというのに、硫の城下町はまるで春のように暖かかった。

[これで全部そろったな。日暮れまでもう少しあるし、よし、宵幾の店に行こう]

小さな紙袋片手にぶら下げると、香鈴は店と店の隙間を縫うように、奥へと足を進めた。

[いらっしゃい……って坊主か]

[それ、前の時も言った。今日は傷に効く、薬湯よろしく]

[湯に入れる薬は持ってきたのか?]

[一応庭でいくつか採って調合したのを持ってきた]

着物の内側から薬を入れた小袋を取り出し、宵幾に渡す。袋から香るそれは、薬特有のきつい臭いだった。

[香鈴ちゃん?]

奥から現れたのは、以前よりも更にお腹を大きくした麻依だった。

[おい!!ゆっくりしていろと言っただろ]

慌てた様子で麻依に椅子を出す宵幾の姿が、なんだかおかしかった。

[何言ってるの、生まれるのはまだまだ先って言ったでしょ]

そう言って笑う麻依もどこか嬉しそうだった。

[そ、そうか]とどもりながら、宵幾は湯浴みの準備をするため、奥に上がった。

[今日は薬湯?まだあの庭あるのね……]

あの庭とは、香鈴が母から譲り受けた庭だ。美魅以外誰一人入れようとしない庭。今朝は猫が迷い込んでしまったけれど。

[勿論。今はあのころとは違って色々、花も植えてるけどね]

[まぁ、その方がいいわね。あの子の作った庭は……少し異様だったもの]

母が手を入れていたあの頃の庭は、毒にもなる薬草が沢山生えているだけの危険な庭だったのだ。

[あ、そうだ。今日はこれも渡そうと思ってたんだ]

[あら、お香?まだ前に貰ったのがあるわよ]

いいから、と言って渡すと何かに気がついたのか、麻依の目が見開かれる。

[いつものと違う?]

[この間会ったとき、匂いがあまりしなかったんだ。だから、身重になってから苦手になったかな…と思って]

今まで好きだった匂いが苦手になる場合がよくあるのだ。この間ここを訪れたのは、その確認の為もあった。

[どう?]

[……全然嫌じゃない。久しぶりに落ち着いた感じだわ]

それはお世辞でなく、心から言っている微笑みだった。

心が安らぎ、母子ともに健康だと嬉しい。

[よかった]

[おぉい、坊主!もう入ってもいいぞ]

丁度声がかかったので、麻依に渡された手拭い片手に、香鈴は脱衣場へと向かった。


ここ宵幾の湯は、湯浴み場の周りが1人分ずつ竹で囲まれているので誰のことも気にせずにのんびりとできる。それに、香鈴が湯浴みの最中は、誰一人竹向こうの湯に入れないでいてくれた。一応、一国の姫としての安全を計ってくれているのだ。

[ふわぁぁぁ。気持ちいい]

じわじわと傷に湯が染みたのは始めだけで、すぐに心までも解してくれる湯に気持ちよく浸かれるようになった。

[国の外はまだ冬……。森へ行っても、濫には会えないよな]

空を見上げると、少し雪が降ってきた。それでも硫は暖かいので、下に落ちるまでには雫になっている。

[城…帰らないとな]


[小僧、もう帰るのか?]

[あぁ、うん]

頭に手拭いを巻いて上がると、そろそろ店を開けようと、宵幾が準備をしているところだった。

[だったら、うちのかみさんもつれていけ]

[は?]

香鈴が驚くのと同時に、既に出る支度をした麻依が奥から現れた。

[少しの間、ちょっと城に用事があるから、よろしくね]

[いや、別にいいけど]

麻依が城に来ることは稀にだがあることにはあった。政治について相談に乗って貰ったり、家臣の教育などいろいろ助けて貰っていた。

[それじゃあ、あなた、行ってきます]


城に帰ると、何やら兵が忙しそうに駆け回っていた。

麻依とは城門をくぐるとすぐに分かれた。寄るところがあったらしい。

[どうした?何かあったのか]

[こ、香鈴様!]

[いえ、大したことではありませんので]

すると、兵の足取りは普段通り堂々とした歩きに戻った。しかし、香鈴が通り過ぎたとたん、再び焦りながら歩き出した。

[本当に、何もないのか?]

[はいぃ!!]

振り向くと、直立不動。

あまりにも怪しい行動だった。

[そういえば見ない顔だな]

[はい、自分達はこの間城内の配属に決まったので]

[……そうか]

ふと、男の手に目が留まった。少し浅黒く、豆が幾度も潰れて固くなった手。しかし、気になるのはそこではなかった。

[何だ、それは]

[それとは……?]

[その痣だ]

[こ、これは……]

その手の甲には、明らかに偶然出来た痣ではないものがあった。どう見ても、誰かが故意で付けたものだ。

[もしかして……隊でそのようなことがされているのか?]

男のその傷は醜くひきつれ、同じことを何度もそこで繰り返されていることが分かった。

[いえ、違います!!隊内でこんなことはされていませんよ。これは、ここへ来る以前のものです。今は……よくしていただいています]

[……そう]

男のその笑顔は本当に幸せそうだった。

[あぁ、そうだ。丁度、今日の残りがあった……]

[え?]

[はい]

香鈴が取り出したのは、宵幾に渡した薬の残りだった。

[量が少ないから、風呂には入れられないけど、桶の湯に入れて、手を浸けるぐらいはできると思うから]

[あ、有り難う御座います]

男は深く頭を下げた。

しかし、目が合わない男だ。余程人と話すのが苦手なのか。

その時はそれ以上特に気にすることもなく香鈴は城へと向かった。


有り難う御座いました

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