4.硫国
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硫国の城はどこの国よりも高い塀で囲まれ、巨大な門は十人以上の兵によって護られている。庭に兵はいないものの、庭を出れば城の中は兵でいっぱいだ。
中庭の花檀前にしゃがみこんでいる短髪の少女は一人ぼんやりと花を眺めていた。
[濫……どうしてるかな]
[香鈴様、お茶の時間です]
香鈴と呼ばれた少女は勿論、8ヶ月前に森に家出していた香だ。香鈴が何度も断っているのに、しつこく求婚され続け最近では気がつくと勝手に婚約していることになっていた。それが嫌になって、香鈴という身分から逃げ出していたのだ。
[何度も言ってるけど、様はつけなくていいって]
[そのような無礼なことは出来ません]
[あとさ、白ってさ落ち着かないんだよね]
今日は八ヶ月前とは違って、真っ白な膝丈の着物を着ていた。
[黒の着物持ってきてよ]
侍女の言うことになど耳も傾けず、既に香鈴は純白の着物を脱ごうとしていた。
[ここで脱がないで下さい。白の着物で譲歩しているのですから黒だなんて。本当は白髪を美しく腰まで伸ばし、私どもはもっと飾りのついた物を来て貰いたいんですよ]
[俺は姫だ。俺の言うことは絶対だろう、美魅]
[それとこれは別物です]
美魅と呼ばれた侍女は聞く耳を持たず、ふいと顔を背けた。
[本当はもっと色の付いた物も来ていただきたいんですよ]
[あまり派手なのもちょっと……]
美魅は目を輝かせながら話を続けた。
[香鈴様は足が細くて綺麗だから、もっと短い物も来ていただきたいわ]
[でも引きずるほど長い物もいいかも]
こうして独り言を熱く呟く様は、少し恐ろしかった。
俺は地味な服でいいんだよ……。
最近は城を忍び出ているのを知られ、全く外に出してもらえていなかった。なので、この機会を生かして、香鈴はゆっくりと城の外へと出て行くのだった。
森に行く前の準備として、まず初めに寄ったのは風呂屋だった。雪が積もっているであろう所へ行くのだから、体を暖めてから行きたい。
表通りの店の裏にある、小さな扉を押し開き、香鈴は中に入った。
[今日は、宵幾いる?]
[いらっしゃい……って坊主か]
出迎えてくれたのは、大柄で髭を生やした強面の男だった。
[何だよその言い種は。これでも俺は一国の姫だぞ]
[それがよく、城下の風呂屋に遊びに来る奴のせりふか]
[……仕方ない。城には屋外の風呂がないんだからな]
[あなた、お客さん?あら、香鈴ちゃん]
奥から現れたのは、身重の宵幾の妻だった。
[今日もお湯に浸かりに来たの?]
[あ、麻依さん。今日はちょっと森に行く用事があってさ。体暖めようと思って]
[小僧は美容に効くって噂の自分の湯の方がいいんじゃないか?]
宵幾がそうやってにやにやと笑いながらそんな事を言ってくるのも、長年の信頼関係があってこそだ。
[は、本当にそんな効果があれば、今頃他国の王子から沢山求婚されて、奔の第一王子と婚約してるよ]
[違いない。あはははは!!]
失礼なことを言われているのに、宵幾の豪快な笑いを見ていると嫌な気はしなかった。
[あら、でも噂では奔の第三王子と婚約したとか]
何で知ってるんだ!?
思わずぎくりと肩が上がる。
[勝手にやられたんだよ。んで、今は破棄してる]
[いいの?破棄なんかしちゃって。国同士のそういうことって結構難しい話しでしょう]
麻依は前国の統治者であり、香鈴の母であった人の乳姉妹だった。頭脳明晰な女性で、政治事にも詳しく、現在、香鈴が国を治めていられるのもこの女性のおかげだった。
[大丈夫]
そして、こうして政治者へと香鈴を育ててくれたのも麻依だ。
[奔は中立国だし、大きな動きは出来ないよ。それにどうせ第三だしね]
[坊主……一生結婚できないな]
しみじみと髭面の男に言われるとさすがに頭にきた。
[宵幾で結婚できるんだ。俺だって簡単に出来るに決まってる。こんな髭面に麻依はもったいないよ。どこがよかったんだろうねぇ]
[この――]
[じゃ、湯借りるね]
さっさと風呂場に駆け込むと、後ろで宵幾の叫び声が聞こえた。きっと側では麻依がなだめているのだろう。
母が亡くなってから悲しみに暮れていた麻依を側で支えてくれた人。
いい夫婦だな……。しみじみそう思った。
有り難う御座いました