29.乱入者
訪問有り難う御座います。
[香鈴!]
何度も思い浮かべた声が聞こえた。
はっと目を開けると、近づく火月を押しやった。
[濫……?]
[……鈴、香鈴!]
それは幻聴などではなかった。丘の下を駆ける影。見間違う筈もない。
[濫!]
[香鈴姫どこへ行く!]
[放して、放して!]
殻はもう作れない。そうなると、もう火月の側にはほんの少しの間でもいたくなかった。
[これは俺のもんだ!誰にも渡さない!]
本当に、火月にとって香鈴は物でしかなかったのだ。
ぞわりと鳥肌が立つ。こんな人と自分は婚儀を上げようとしていたのか。触られていることが苦痛でたまらない。
[放して……下さい!]
火月の腕を振り切ると、香鈴はそのまま駆け出した。愛しい人の元へ――
[濫!]
[香鈴!]
馬に乗ったまま、濫は駈けてきた香鈴を受け止めた。
[私の名は廉国第一王子濫。硫国第一王女香鈴は私の妻となる者だ!既に婚約している]
丘がざわついた。
既に婚約しているとなると、火月がしたことはただの横恋慕。下手をすれば国同士の諍いになる大問題だ。
[そ、そんなことは聞いていない……出鱈目だ!俺からそれを盗ろうと適当を言ってる!]
慌ててそう叫ぶ姿は、あまりにもみっともなかった。
こんな男に香鈴は――
[……っ]
不意に、服の裾を引かれた。下を見ると、小さな手が濫の着物を強く握りしめていた。
そう思うと、止められなかった。
その細い身を掻き抱き、小さな唇に唇を重ねる。甘く優しい香り。どれだけこの香りに身を焦がされただろうか。
優しく大きな手が頬に当てられ、柔らかな口づけが落とされた。強く掻き抱いてくるそれは、火月と異なり全く不快に感じなかった。
丘全体にその雰囲気が伝わったのか、火月の今までの態度もあり、不穏な空気が流れ始めた。皆が火月を攻める目で見ている。
[そ、そんな……]
[火月]
[兄上、ど、どうして……]
遠目で初めて見るが、あれが第一王子だろうか。それが弟に向けるのは冷ややかなものだった。
火月は一国の駒として使われ、今、捨てられようとしていた。
[我が愚弟が勝手なまねをした。これの処分は責任を持ってこちらで行う]
あくまであれの一任というのだろうか。汚い。
[そんな……!兄上、兄上ぇ―!]兵に引きずられていく火月も、この国にとってはただの物でしかなかったのか。
[香鈴……]
香鈴の嫌悪が伝わったのか、優しい声が身を包んでくれた。そっとその光景を隠すように、香鈴の目に手が当てられた。
そして、濫は馬の頭を元来た方へと向けると、
[後は任せた、楼芽]
[御意に]
香鈴と共に姿を消したのだった。
さらっちゃいましたね。
濫には是非ともさらってほしかったんです。
有り難う御座いました。




