【短編】「貸し帽子屋 不思議堂」
よく晴れた初夏の夕暮れ時。河原に作られた野球場では小学生の野球チームが練習を行っていた。まるで、その様子を眺めているかのように一羽の烏がバックネットの上にとまっている。
望月圭は、野球好きの父親の影響で小学一年生のころからこの野球チームに所属していた。圭自身も野球は大好きだった。ただ、残念ながら野球センスというものがあまりないようで、小学六年生の今に至るまで試合に出るという経験はなかった。小柄だと言ことも影響があるのかもしれない。学年が上がるにつれ、そのどうにも埋めようのない差は広がっていくばかりだった。
それでも、圭は毎日地道な努力を続けていた。たとえ、試合に出られないとしても野球が好きだという気持ちは変わらなかったからだ。チームメイトが活躍する姿を見るのも好きだった。試合に出てみたいという気持ちも、もちろんある。だが、圭はチームメイトのみんなも大好きだった。だから、たとえ試合に出られないとしても最後まで一緒に過ごしたいと思っていた。
その日もいつものように練習終わりにみんなが集まって監督の話を聞いていた。
「じゃあ、これから次の試合のスタメンを発表するぞ!」
その監督の掛け声に、みんな気を引き締めたような表情を作った。順当にレギュラーメンバーが呼ばれていく。このチームでは、スタメンになった子供たちに試合用の帽子を渡すことになっている。そして、その帽子も最後の一つとなった。
圭は、いつものことなのでただその帽子を受け取った子供たちの嬉しそうな顔を見て、同じようにニコニコとその様子を眺めていた。
不意に監督がこちらを向いて近づいてきた。そして、その手に持った帽子をポンと圭の頭に乗せた。
「えっ?」
圭は、予想外のこと過ぎて頭が真っ白になりポカンとした表情のまま固まってしまった。しかし、チームメイトたちがそんな圭の周りに集まって次々に声をかけていく。
「やったな、圭!」
「良かったな。絶対に勝とーぜ!」
「僕も嬉しいよ!圭君、ずっと頑張ってたもんね」
そう言ったのは、今回圭がスタメンに入ったことで控えに回ってしまった、一番仲の良いチームメイトの酒井和也だった。
「和也君・・・」
圭は、嬉しいのと申し訳ないのとでどんな表情をすればいいのかわからなくなっていた。
「なんて顔してんの?そんな顔しないで」
和也は、にっこりと笑うと圭の頭に乗せられた帽子を落ちないようにもう一度しっかりとかぶせ直した。
「圭。今度の試合、期待してるからな!」
監督から改めてそう声をかけられて、やっと圭はこれが現実なんだと実感した。圭は、少し涙ぐみながら「はい!」と元気な声で答えた。
「よし!じゃあ、今日は解散!みんな気をつけて帰れよ!」
「はい!お疲れさまでした!!」
子供たちの元気な声が響く。それに驚いたのか、バックネットにとまっていた烏は「カー」と一声なくと飛んで行った。
圭は、その日から毎日遅くまで自主練を欠かさなかった。初めて手にしたスタメンを証明する帽子も毎日持ち歩いていた。
「ふー。明日試合だから、今日はそろそろ帰らないとな」
薄暗くなってきた河原で素振りをしていた圭は、帰り支度を始めた。その時、目も開けていられないような突風が吹いた。ベンチの上に置いておいた帽子が宙に舞う。
「あっ!待って!!」
帽子は風に翻弄されながら飛ばされていく。圭は慌てて追いかけるが追いつくことができない。そうこうするうちに、帽子が川の中へと落ちてしまった。川の流れは思いのほか早く、あっという間に流されていく。
「あぁ。どうしよう・・・」
川に入ることも考えたが、どう考えてもそれは無謀だということはわかった。絶望に打ちのめされて圭はしばらくその場から動けなかった。薄暗かった河原にはすっかり夜の帳が下りていた。
どのくらいたったのかわからないが、「カー」と烏が鳴く声で我に返った圭は重い足取りで家路をたどり始めた。
とぼとぼと歩く圭は、自分がどこを歩いているのかわかっていなかった。ふと視線を上げてみると、まったく見覚えのない場所に来てしまっていた。
そこは高いビルなどはどこにも見えず、木造の家屋が立ち並ぶ地域のようだった。人通りも全くなくて心細さに身震いをする。
「悪いことって、どうして重なるんだろう・・・」
涙で滲む視界の先で、一軒の店の明かりが灯るのが見えた。明かりに照らされた看板には「貸し帽子屋 不思議堂」と書かれていた。書かれている文字は、少し胡散臭くも思えたが、その明かりは、とても暖かいもののように感じ、少しだけ心に光が差したように思えた。だからなのか、圭はその店の扉に手をかけていた。
店の中は、がらんとしていた。カウンターの上に上半身だけの木製のマネキンが置かれていた。その頭には烏羽色の中折れ帽が乗せられている。そして、その横にはなぜか空の鳥かごが置かれていた。
カウンターの中には、黒い和服に身を包んだまだ年若い男性がいた。男性は、安楽椅子に腰を掛け年季の入ったパイプをふかしている。
「あの、こんばんは・・・」
圭が、恐る恐る入り口を少しだけ開いて顔を覗かせた。
「いらっしゃいませ」
男性は、パイプを口から外すと立ち上がり、圭のそばまでやってきた。
「あ、あの・・・」
圭は、何て言えばいいの変わらずもじもじしながらうつむいた。
「私は、この店の店主の二階堂と申します」
見た目に反して、とても深く落ち着いた声が圭に降り注ぐ。そして、二階堂は少し屈みこむと圭と視線を合わせた。
「さあさあ、そんなところにいないで中にお入りください」
少しグレイがかった不思議な瞳の色に魅入られたように、圭は頷くとおずおずと店内へ足を踏み入れていた。
圭は、最初こそ遠慮がちにしていたがすぐに物珍しそうにきょろきょろとあたりを見回していた。二階堂は、その様子を微笑ましそうに見ながらカウンターの中の安楽椅子へと戻っていった。
一通り見て回っていた圭だが、そもそもほとんど見るものがないのですぐにそれも終わってしまった。そして、改めて二階堂へと視線を移した。
「僕、望月圭って言います。あの、ここって帽子を貸してくれるところなんですか?」
「そうですよ」
二階堂は大仰に頷くと少し誇らしげに胸を張った。その様が、圭には子供みたいに無邪気で少し可愛らしいと思えた。急速に緊張が解けていく。
「でも、帽子って・・・」
改めて店内をぐるりと見まわしてみるが、どう考えても帽子と言えるものはカウンターの上のマネキンが被っている中折れ帽しかない。
「これしかないんですか?」
圭は、そのマネキンを指さして尋ねた。
「そうですよ」
何でもないことのように、二階堂はそう答えた。
「そうですか・・・。じゃあ、ダメだ」
圭は、がっくりと肩を落としてしまった。帽子をなくした直後に、「貸し帽子屋」なるものを見つけたので、渡りに船だと思っていたが、そんなに世の中は甘くはない。
「どんな帽子をお望みですか?」
二階堂の問いかけに、圭は少し投げやりに答える。
「野球の帽子です。明日試合なのに、僕、なくしちゃって・・・」
言葉にしたら絶望に押しつぶされそうになって、再び涙が滲む。そんな圭の様子はどこ吹く風で、二階堂はパイプをプカリと吹かす。
「そうですか」
長くたなびく煙をくゆらせながら二階堂はゆっくりと立ち上がると、マネキンから中折れ帽を取り上げた。圭は、ただそんな二階堂の動きをただ目で追うことしかできない。二階堂は、ポンと圭の頭の上に中折れ帽を乗せた。
「では、これでどうですか?」
すると、不思議なことが起こった。中折れ帽がシュルシュルと形を変えて圭の野球チームの野球帽へと変化したのだ。圭は、頭の上で何が起こったのか見えていなかったので、二階堂の言っている意味が分からず、そっと手で帽子に触れてみた。
「えっ?あれ?」
圭の様子を微笑ましく見ていた二階堂は、カウンターの中から手鏡を取り出すと圭に向けた。そこには、なくしたはずの帽子をかぶった圭がいた。
翌日。
圭の初スタメンの試合の日だ。天候は恵まれてまさに野球日和と言えるかもしれない。試合会場には、緊張した面持ちの圭がいた。
「圭君!」
和也が圭の背中を少し強めに叩く。その勢いに押されるように圭の足が数歩進んだ。
「もー、和也君痛いよ」
圭は文句を言いながらも、その顔はどこかホッとしたような表情を浮かべていた。実際、緊張で足が動かなかったところに和也の一撃で強制的に歩を進めたことで、その緊張がほぐれたのを感じたからだ。
「圭君。結果も大事だけど、とにかく楽しむことが大事だからね!」
「うん。ありがとう。僕、頑張るね!」
歩いていく圭の背中を見ながら、和也は複雑そうな顔をしていたがそれを吹っ切るように頭をフルフル振ると青く澄んだ空を見上げた。
「僕も頑張らなくちゃな・・・」
晴れやかな顔でそう呟くと和也も歩き出した。
試合は拮抗していた。点差は一点で、圭たちのチームが負けている。しかし、最終回裏にチャンスが回ってきていた。ツーアウト二三塁で、圭に打席が回ってきた。
緊張でがちがちになっている圭は、ただがむしゃらにバットを振るだけでかすりもしない。あっという間に追い込まれてしまった。
(どうしよう・・・。僕のせいで負けちゃう・・・)
圭は、考えが自分のうちでグルグルと回っていて全く周りが見えていなかった。ベンチや客席からは、圭を応援する声がたくさん響いていることにも全く気付いていない。その時ーーー。
「カー!」
烏が鋭く一声鳴くのが聞こえた。その瞬間、圭の視界が晴れ渡り音が流れ込んできた。
「けーーい!ボールをよく見ろーー!!」
「落ち着けば大丈夫だぞ!」
「練習を思い出せーーー!」
圭は、タイムを取って一呼吸置いた。周りを見渡し、改めて打席に立つ。もう圭は迷いが消えていた。そして、不思議な感覚も覚えていた。
(打てる!)
今まで感じたことがないほどの集中力を発揮し、圭はスムーズな動きでスイングをした。
カキーン!!
鋭い音を響かせて、ボールは高く遠くへと飛んでいく。ボールは右中間へと落ちる。残念ながらホームランにはならなかったが、それでも走者一掃するには十分だった。
「回れ回れ回れ!」
二三塁にいた選手がホームへと戻ってくる。ワッと歓声が上がりベンチにいた選手たちもグランドへと出てくる。その輪の中心には圭がいた。その顔はとても誇らしく、輝きに満ちていた。
夜の帳が下りるころ、店の明かりが灯る。
その店の店主は、常と変わらず安楽椅子に座ってパイプをくゆらせていた。カウンターの上にはマネキンが置かれている。そして、その横には鳥かごがある。今回は空ではなく、中に一羽の烏が入っていた。
カラカラカラと軽快な音をさせて、入り口が開かれた。
「こんばんは」
入ってきたのは、清々しい笑顔を浮かべた圭だった。圭は、軽い足取りでカウンター前まで来ると、大事そうに抱えていた袋から野球帽を取り出した。
「二階堂さん。この帽子、どうもありがとうございました!」
二階堂は、圭から帽子を受け取るとカウンター上のマネキンの頭へと乗せた。すると、それはすぐに形を変えて元の中折れ帽へと戻っていった。圭は、キラキラとした瞳でその様子を見ていたが、すぐにその瞳を二階堂へと移した。
「この帽子のおかげで試合に勝つことができたんです。僕、何てお礼を言ったらいいか・・・。あっ!そうだ、お金!」
圭は、ポケットに手を突っ込むと財布を取り出した。
「えーっと」
子供らしい小さな財布を開いて、中を覗き込んでいた圭だったがその手元に影が落ちるのを見て顔を上げた。すぐそばに二階堂が立っていた。
「お金はいりませんよ」
にこやかな二階堂の顔を見て圭がキョトンとした顔をして首を傾げた。
「それに、もう御代はいただいてます」
その言葉に、圭の顔は更に困惑した表情を浮かべた。
「あの、でも・・・。僕は何も・・・」
「あなたの素敵な笑顔が私の報酬です」
圭の目が見開かれる。そして、すぐに照れくさそうに頬を染めるとはにかんだ笑顔を見せた。
「でも、僕本当に感謝してるんです。この帽子がなかったら僕、ダメだったと思うんです」
二階堂は、屈みこんで圭の頭の上に手を乗せると、優しい手つきでなでる。
「そんなことはないですよ。試合に勝てたのはこの帽子のおかげではなく、君の実力です」
圭は、首を横に振る。
「それこそ、そんなことないです!僕、いつも大事なところで緊張して体が動かなくなっちゃうんだけど今日は違ったんです!」
興奮気味に捲し立てる圭を二階堂はただひたすら穏やかな眼差しで見守っている。
「あの、だから何かお礼がしたくて・・・」
二階堂は、圭の頭の上に乗せていた手を離すと、立ち上がった。そして、カウンターの方へと向かう。
「私は、いつも見ていましたよ。君が頑張っている姿をね」
圭は、無意識に二階堂の動きを目で追っていた。二階堂は、マネキンの横に置かれている鳥かごの扉を開けた。中から烏が飛び出してきて圭の頭の上にとまった。
「うわっ!」
驚いた圭が、手をバタバタさせてどうにか烏を振り払おうとした。烏は、圭の手をかいくぐりすぐにそこから飛び立つと二階堂の肩の上にとまった。
「その帽子はお返ししますよ」
「えっ?」
圭は、二階堂の言葉の意味が分からず動きを止めてポカンとしている。二階堂は、くすくすと笑って、カウンターの中から再び手鏡を取り出した。
鏡の中には、失くしたはずの野球帽を被った圭の姿が映し出されていた。
「当店は頑張っている方を応援しています。ご入用の時はまたいつでもご来店ください」
にっこりと二階堂が微笑むと、肩の上の烏がまるで同調するように「カー」と一声鳴いた。
少年が店から出てくる。
「ありがとうございました!」
礼儀正しいお辞儀をして少年は走り去っていった。
店の明かりが消えた。
そして、店は闇に包まれるように消えていく。店が完全に消えたころには、あたりは一変していた。どこか懐かしい街並みが並んでいた場所には、今は高いビルが乱立している。
バサバサという羽音が聞こえた気がした。
その店を探すなら、どうぞ耳を澄ましてみてください。
~Fin~




