異世界のチュートリアル・後
※犯罪に関する描写があります
柏が意識を取り戻したとき、とっくに夜は明けていて、商隊がもうすぐ昼の休憩を取る、というタイミングだった。
「うぅ……」
「起きたかい」
最初に見えたのは、茶色の髪の女性と、その背景に灰色っぽい布?だった。柏はまたも横たわっていた。ただ、今度は地面の上でなく板張りの上で、ガタゴトと揺れている。
そういえば意識を失う直前、商隊とその護衛らしき団体様に助けを求めようとしていた。ということを思い出した柏は、ここは幌馬車の中ではないかと思い至った。
「すびばせん、私……」
思ったように声が出なかった。そういえば、全力マラソンして水分補給もしていなかった。
「水だよ。飲めるかい?」
大きな木のカップを差し出されて、柏はありがたく受け取った。ごくごくと飲み干して、やっと息をつく。生き返った気分だ。
「ありがとう、ございます」
「はは。良い飲みっぷりだ」
「すみません、助けていただいて」
「まあ、あんな時間にあんなとこでぶっ倒れたのを放っておけないからね」
「ほんとすみません。ありがとうございます」
柏は木のカップを返却した。
「あんた、名前は?」
「柏です」
「カシワ?変わった名前だね。あたしはマルベリー商会のイーラだ」
イーラは、マルベリー商会が営む商隊の副長だった。
柏が考えた通りにここは商隊の幌馬車の中で、ザイル峠を越えて野営を一度。今日の夕方前には、次の村に着くという。
「いちおうね、あんたは害がなさそうだったから助けたけど」
「はい」
「なんだって、あんな時間に倒れるハメになったんだい。峠を夜越えするなんて無謀もいいとこだよ。あそこは時々夜盗が出るんだ」
「夜盗……一人、いました」
ちょっと目を剥いたイーラに、柏はなんと言い訳したものか頭を悩ませた。
気がついたら、異世界に来てたんです?
納得してもらえる気がしなかった。
もういっそ開き直って、夜盗退治の依頼を受けた冒険者なんです依頼に失敗して逃げてきたんです、とでも言ったほうが納得してもらえるのだろうか。でも、そもそも冒険者という職業がこの世界にあるのかどうなのか……
柏が眉間にしわを寄せていたのを、イーラは良いように解釈してくれたようだった。
「訳アリなら事情は訊かないよ。夜盗は一人だったんだね?」
「はい」
商隊が大人数の護衛を雇ったため、夜盗も手が出せずに各個に物見に出たのだろう。
イーラは推測を語った。
「この情報で、あんたを助けた分のお代にはなるね」
からからと笑うイーラに、柏は恐縮した。
彼らは商人であり何事も商売だ。無償の善意で助けてくれたと思ってはいけなかった。御礼が要る。
柏はそばにあった鞄を取った。イーラたちは親切にも鞄もちゃんと回収してくれていたらしい。柏の鞄の中には財布がある。
ただ、日本円はここでは意味がないだろう。スマホもダメだ。ハンカチティッシュ、では御礼になりそうにない。柏は鞄に詰めこんでいたコートをどけて、何か御礼になりそうなものはなかったか探し始める。
すると、謎の手触りがした。柏が鞄の中を見てみると、見覚えのない小さな革袋があった。
なんだこれ。
革袋を取り出してみると、中には厚みがあって粗い十円玉が錆びたような硬貨と、同じく厚みがあって粗い百円玉がくすんだような硬貨が入っていた。銅貨と銀貨、かもしれない。
それから、金色の見慣れない硬貨が一枚。柏は凝視する。歴史の参考書や教科書以外で、初めて見た。たぶん、金貨だ。むろん、柏の持ち物ではない。
少し考える。
……さては夜盗、もとい、少女を突き飛ばしたときか!
逃げることに気持ちが急いていて、柏はろくに確認もせず周囲に散らばり落ちていた荷物をかき集めた。だからあり得る。あの場に落ちていれば、誤って一緒に持ってきてしまっていてもおかしくない。
これはもしかして、あの夜盗の全財産。
たぶん、合ってる、気がする。
もちろん、もう確認しに行く気力も、まして、元の場所に返しに行く気力も湧かない。柏は後ろめたさを見て見ぬふりして、一枚だけあった金貨を差し出した。
「イーラさん、心ばかりですが助けていただいた御礼です」
「ああ、なんだか請求したようで悪いね」
と言いつつ、イーラはあっさり受け取った。
「あんた、まだろくに動けないだろう。あたしらは領都に行くけど、好きなだけ乗っていきな」
言われて、なんとなく悟った。払い過ぎたらしい。
そして柏は気がついた。酷い筋肉痛だった。
膝の流血は止まっていたが、靴擦れでかかとのすぐ上はべろりと皮がむけているし、足裏は肉刺がつぶれている。柏は、素直にイーラの言葉に甘えることにした。
三日後。
柏の筋肉痛も靴擦れも肉刺もだいぶ良くなっていた。だから柏はその日、宿営場所である領都近在の街で、商隊から離れても良かった。
でも、できなかった。領の連絡兵がやって来て、情報を落としていったからだ。
イーラ達商隊は立ち寄った村や街ごとに、夜盗のことを簡単に報告していた。街道の峠を使う人への注意情報だ。インターネットもない世界では、口伝ての噂もバカにはできない。
夜盗の情報が伝わったのだろう、領兵が街道の峠の確認に向かったらしい、と聞いたのが前日。
そして先ほど。ちょうど街で行き合った連絡兵は、律儀にも情報元である商隊に領が公式に確認した結果を伝えてくれたのだ。商隊の隊長が応対していたのだが、副長であるイーラのすぐそばの幌馬車内にいた柏も聞いてしまった。
「待たれよ。夜盗の一報はそなたら商隊からか」
「そのとおりでございます」
「情報、感謝する」
「いえ、とんでもないことでございます」
「領で確認したところ、たしかにまた夜盗が出たようだ。旅人が一人、犠牲になっていた」
「我ら商隊は幸いにも誰一人欠けることなく無事でしたが、そうですか。犠牲者が……」
「領内と近隣の住人で、該当しそうな者もおらなかったゆえ、おそらく旅人だと判断したのだがな。殺されていたのは金髪に碧眼の少女だ。気の毒に、凌辱されて酷い有様だったが……商隊で心当たりはあるか?」
「いえ、ございません」
騎兵と商隊の隊長はまだ喋っている。でも聞いてしまったら柏はもう、あとは頭に入ってこなくなった。
金髪碧眼の少女。
思い当たることがありすぎた。柏が【キャラクターメイク】した、あの男。
夜盗はやはり複数人いて、仲間の夜盗に……ということなのだろうか。
柏は口を手で覆った。吐き気なのか悲鳴なのか、とにかく口から何か出てきそうで、手で覆うので精一杯だった。