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明君、暗君


 それは柏が礼拝堂に匿われて半年以上が過ぎ、じきに王太子妃様の御子も生まれる、そんなときだった。


 深夜。

 何か音がした気がして、柏は目を覚ました。

 礼拝堂の柏の自室、寝台の上で柏は身体を起こした。暗い。目をこする。

 少しそのままでいたが、とくに音はしない。柏は気のせいだったかなと思い、朝まで二度寝しようと決めたところで名前を呼ばれて飛び上がった。


「カシワ」


 すぐ隣の部屋で休んでいるはずのルキがいた。


「ぅあっ!」

「静かに」

「ルキさん……?」

「様子がおかしい。ここを離れましょう」


 ルキに寝間着の上からマントを巻きつけられ、柏は寝台から引っ張り出された。


「ぇ?……」

「早く。急いで」


 柏は全然状況を把握できない。どうにか靴を突っ掛けて、急ぐルキに従った。部屋を抜けて廊下に出る。


「なに?なにが……」

「走って!」

「え」


 寝起きの頭で聞き返したところに、はっきりと聞こえた。悲鳴だ。女性の。それも回廊の向こうから。

 柏はハッとして走り出した。表扉は回廊につながっている。


「裏から外に!」


 ルキの指示に、裏の扉に駆け寄ろうとしたそのとき、扉が開いた。

 柏が近衛兵の姿を見たのは一瞬だった。抜剣したルキが柏の前に飛び出していた。

 金属が咬み合う音が響く。


「窓!……くっ!」


 表も裏もダメだ。

 柏はルキの声の通りに窓を目指すが、


「いっ!」


 突然、背後から髪を掴まれた。いつの間にか、表からも近衛兵が侵入していたようだ。対峙していた一人を斬り捨てて、柏の悲鳴にルキが振り向く。


「カシワ!」


 しかしそこまでだった。体に強い衝撃を受けて、意識が暗転する。

 柏が最後に見たルキは、胸から剣が生えていた。


「カシワ……逃…げ……」

「ルキさん!!!」




 何が起きたのかわからなかった。

 柏は気がついたら、知らない部屋にいた。


「……ルキさん!」


 柏は跳ね起きた。急いで助けなければ。

 いや、あれは夢……?


 そのまま部屋から飛び出そうと扉に向かって、そして途中で何かに足を引っ張られて転びかけた。

 片足首に枷がついていて、枷から鎖が延びている。

 血の気が引いた。

 周囲をよく見てみると、床に固定された長椅子に窓は鉄格子。豪華な造りだが、まるで、


「刑務所……?」


 何か得られる情報はないかと、柏は窓に駆け寄った。

 景色が足元より下にある。この部屋は高いところにあるようだ。いくつかの屋根の向こうに、見慣れた庭園が一部見えた。位置的に礼拝堂は見えない。

 ここは王城の中らしい。


「ルキさん……そうだ、王太子妃様……」


 回廊の向こうからも悲鳴が聞こえた。回廊の向こうは王太子妃様が暮らす区画だった。いったい何があったのだろう。

 ルキの安否に気持ちばかりが焦る。

 それともあれは夢だったのか。でも、髪を掴まれた痛みは覚えている。とにかく落ち着いて、まずはここから逃げ出さなければ。


 枷と鎖を引っ張ってみるが、柏の力では何をしても外れそうにない。スキルを使って極限まで足首を細くできたら抜けないか、というのも少しよぎった。転移したときに持っていた手鏡は、常に首から革紐で下げていたから、今もある。が、柏は、乳幼児にでもなれないかぎり無理だという結論に至った。スキルで年齢を下限の12歳にして体型を最も細くしても、さすがに足枷を抜けられるほどに細くはならない。仮に足を切り落とせば枷から自由にはなれるだろうが、柏にはそんな覚悟も道具も技量もなく、さらに片足では逃走もできない。


 柏は考えこんだ。

 そもそも、枷が外れたとしても、この部屋から出たら安全なのか?どこから、いや、何からか?何から逃げ切ったらルキを助けに行けるのか。


 イーラも柏も危険な立場にいて、それで柏は王城に住みこみになったが、第二子の出産を控えた王太子妃様も危険にさらされていたのだろうか。

 そうだ。領都でイーラから教わった。王太子妃を選出するときには、貴族同士が争ったと言っていた。その争いはまだ続いていて、それで別派閥の貴族が襲撃してきた?

 襲撃から保護された?でも、ルキは礼拝堂に入ってきた近衛兵と戦っていた。どういうことだろう。この足枷は?




 答えは扉から入って来た。

 柏はその老年に掛かった男を、庭園の端から遠目に見たことがあった。この王城の(あるじ)


「陛下」

「おぉ、無事であったか」


 しわがれた声。


「名はカシワと言ったか?不始末に巻きこんでしまったな。太子妃に敵対する貴族どもが強引な手に出たのだ。客人のそなただけでも助けられて良かった」

「……だけ……?」

「そうだ」


 柏は後ずさった。

 王に最高礼もとっていないのに、咎められない。柏の無事を良かったと言うが、王太子妃様を悼む様子もなく、目に入るはずの足枷にも、じゃらりと音を立てた鎖にも言及しない。

 ――ルキが言っていた。近衛兵は王直属。

 そうだ。腑に落ちた。王だ。この王が指図したのだ。

 柏はさらに後ずさった。


「ああ、この状況では騙せぬなあ」


 王が(わら)った。


「そなた、太子をどう思った?」


 王は柏が答えるのを期待していないようだった。しわがれた声に目ばかりは炯々として、王は言った。


「あれは駄目だったろう。予を恐れ、国を見る目も臣を見る目も女を見る目も、まして先を見る目も無かった。あれが王になっていたら、この国は危うかった。だから予はあれを始末させた」


 自分の子に、なんたる言い(ぐさ)


「その点、太子妃は弁えていたがな。産褥で死んだ。こちらの手間が省けた」


 本来、厚い医療を受けられる立場の王族が?……まさか、妃殿下を見殺しにした?

 柏は叫んで、この狂った老人を殴りかかろうとして、足枷に引き戻された。


 柏はギリギリと拳を握りこんだ。

  落ち着け冷静になれ。

 相手は一国の王で、今の柏は囚人と変わらない。落ち着け冷静になれ、心の内で繰り返して、唇をきつく噛み締める。


「国を護り、貴族どもを制し、民を安寧に導けるのは予だけだ。予はこの国の王であり続けなければならぬ。そなた、そうは思わぬか」

「…………」

「そなた」


 妙に優しい声に、柏はぞわりとする。


「そなたは変幻自在の魔術師と呼ばれていたな。だが、太子妃はそなたの本質を知らなんだ」


 王が近づいて来る。優しげな笑顔が恐ろしい。


「そなた。予の変幻の聖女よ。そなたが操れるのは髪や体型だけではなかろう」


 そうだ。彼女は言っていた。

 陛下はいったいどこまで見通しておられるのか……恐ろしいほどよ。


「年齢も若さも自在ではないか?」


 ――見抜かれた。この老人は、たしかに明君なのだ。


「変幻の聖女よ。予を若き青年の姿にするが良い。予の時を戻すのだ」


 ああそうか。

 スキルが。スキルのせいで。


「予はもう老いと死に怯えぬ。予はこの国に永遠の繁栄を与えてやろうぞ!」





一度は書きたい、不老不死に狂う権力者というありがち展開

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