王太子妃様
それからというもの。
【うたたね】はたびたび王太子妃様からのお呼び出しを受けるようになった。
イーラがずいぶん心配りしていた、王太子妃様周辺の人への袖の下――というほど大掛かりではないが、ちょっとしたお菓子などのささやかな差し入れ、が効いたのかもしれないし、人をダメにするクッションもどき15号が良かったのかもしれない。あるいは、ダイエットやヘアカラーが――そう、【キャラクターメイク】では髪色も変えられるのだ――気に入ったのかもしれない。
どれかなのか全部なのかわからないが、王太子妃様のお気に召したのだろう。しばらくしてイーラたちの商会は王室御用達を名乗る権利を得た。国と王家の免状まであと一歩というところだ。
また、御招きから御招きまでの間隔も徐々に短くなって、頻繁に王城へ上がることが増えた。
しかしこうなると、王太子妃様派閥の政敵、ブライト伯爵家を快く思わない家門、イーラや柏たちをやっかむ商会などの有象無象が行動に出てくるわけで、王城に向かう途上、ブライト家の馬車の進行が妨害されることが増えた。
護衛がついているので誰かが怪我をするというようなことは無かったが、決して喜ばしい事態ではない。
柏たちの登城を一時差し止めた上で、王太子妃様と領主夫人の間では幾度か密談が行われたようだ。柏の知らないところで、柏にとっては重大な決定が下されていた。
「私が、王城に?……え?」
「そのように書いてありますね」
ルキが難しい表情になっている。夫人の私信を見ようと顔を寄せてきたイーラの表情も真剣だ。
「王城内、王太子妃殿下所有の礼拝堂のうち一室を提供し、カシワを王太子妃殿下の客人として遇する……か……」
「私、引っ越し?」
「そうですね」
すごい出世だ。一瞬驚いて、しかし柏はすぐに冷静になった。
【キャラクターメイク】のスキルを使って、目立ちすぎたかもしれない。
柏は、国内トップ3を目指すイーラの、マルベリー商会の力になりたいと思ってきた。だから気にせずスキルを使ってきた。だけど、王城に住みこみになったら、イーラとルキと今までのように自由に会えるんだろうか。
そんなわけがない、と柏のどこか冷静な部分が答を出してくる。
柏自身、ここまで全然考えが及んでいなかった。元々、柏には領主夫人やイーラのような先を見る才はないけれど、それにしても考えなし過ぎたようだ。柏は視線を下げた。
「……私、イーラさんとルキさんと一緒にいるの、楽しくて好きだったんだけどな」
「カシワ……」
「ごめんカシワ。あたしが読み違ったよ」
イーラの声が渋い。イーラは夫人の私信をルキから取り上げて、無造作に机の上に放った。
「たしかにあたしは商会を大きくしようと思ってた。あんたを利用してた面もかなりある」
「イーラさん」
「でもあたしも、ここまでとは予想してなかったんだ……」
イーラは声を落とした。
「いいかい、他言無用だよ。商会で金出して仲良くなった人からの不確定情報だから」
「買収したんですか」
「スパイ……!」
ちょっと嫌そうな顔をしたルキと、ちょっとドキッとした柏。イーラは二人を睨めつけた。
「いいかい、他言無用だよ」
「わかりました」
「大丈夫。私、イーラさんとルキさんしか友達いないから、喋る相手がいない」
イーラとルキ二人から、ちらりと可哀想な子を見る目を向けられるが、柏は気にしない。
イーラが息を吐く。ま、他に洩れないなら何でも良いか、と言って続けた。
「カシワは、ここのとこ続いた御招きで王太子妃様の美貌に磨きをかけただろう?あとは、商会からもクッションとか他で扱ってない品を色々持ちこんだ。それがどうも、王太子様の気を引いたようでね」
「王太子様……?」
「なるほど?」
「これまで愛妾べったりだったのが、最近また王太子妃様のところによく出入りするようになったらしい」
「えぇ……」
ないわー。
柏としては、浮気野郎キモい戻ってくんな!と思ってしまう。が、貴族の価値観ではまた別なのだろうというのも理解はしている。
「それで?」
硬い声で訊いたルキに、イーラがさらに声をひそめた。
「王太子妃様御懐妊、かもしれないと」
第二子を望んでいたけれども、ずっと叶わないでいた王太子妃様が、第二子御懐妊。その時点で、王太子妃様の美貌に大きく貢献したカシワへの信頼は頂点だろう。イーラは推測を語った。
「最初の御子が生まれてから何年だ?あたしは本音じゃ、もう寵は戻らないと思ってた。それでも王太子妃で、将来の国母だからね。王の代が変わる頃までに、商会がじっくり浸透していく予定で動いてた」
柏は、読みを外したイーラを初めて見た、と思った。
おそらく、と前置きして、イーラは続けた。
王太子妃様は、別の女に柏を取られてしまったら、また王太子様が離れてしまうと懸念している。
逆に、愛妾たちの後ろ盾になっていた家門は、柏たちを目の敵にしている。
「あたしらの商会も予想外に急拡大して敵が多い。たぶん、今はあたしやカシワが考えてるよりも危険なんだ。領主夫人がカシワの移動に同意するくらいにはね。だからこの話は断れないし、断らないほうが良い」
「危険……」
柏はごくりと息を飲みこんだ。
「王太子妃様ならカシワを守ってくれるはずだ」
こうして柏は引っ越した。
王城内の礼拝堂は、広い庭園の隅にあった。
提供された柏の部屋からは、よく手入れされた木々と見事な花壇が見える。礼拝堂は小さいながらも豊かな緑に囲まれていて、短い回廊もついている。王太子妃様が暮らす一画から、風雨にさらされることなく行き来できるようになっているのだ。
王族が日常的にいる区画だけあって、礼拝堂含む庭園の全域は常に近衛兵が警備している。
そして礼拝堂の内部は、
「ルキさん!」
引き続き、ルキが柏の護衛につくことになった。
領主夫人が王太子妃様と交渉して、伯爵家からも護衛を出すと取り決めたのだ。ルキに聞いたところ、近衛兵は王直属で王族の護衛が最優先。いくら柏が王太子妃様の客人扱いとはいえ、柏の護衛が疎かにならないか、イーラとルキと離れる柏の様子も心配して、夫人が配慮してくれたらしい。一対一なら近衛にも負けませんよ、というルキが頼もしい。
ルキは新たに王家の徽章を与えられて、ブライト伯爵家の徽章、そして元々ルキが持っていた徽章、三つを連ねてつけるようになった。柏の主観では、なかなかカッコいい。
王城の外には出られないが、礼拝堂の中と庭園はルキと一緒に好きに行動できた。
イーラもしばしばやって来る。王太子様の興味をそそるような品はないかと、王太子妃様から領主夫人を通して定期的に御下問があるそうだ。
思ったよりも不自由の少ない環境に、柏はほっとしていた。
それに、柏は王太子妃様のことも少し好きになっていた。むろん、王太子妃様は貴族であり王族であるから、決して柏に腹の底を読ませるようなことはない。
でも、第二子御懐妊が発表された日。
礼拝堂を訪れた王太子妃様に柏が一言「おめでとうございます」と伝えたところ、
「わたくし、初めて損得も利害も無いお祝いを言われたわ……」
思わず零れた彼女の声に、柏は心動かされてしまったのだ。
「あなたにはとても感謝している」
「はい」
もっとしっかり受け答えできたら良かったのだが、あいにくと柏に高度な貴族の会話はできない。最高礼で応えるだけになった。
礼拝堂に時折現れる王太子妃様は、当然ながら、国務に関するような重要なことは何も言わない。ただ、柏がろくに返事できないのと、聞いたことを話す相手も大していないこと――相変わらず柏の友達はイーラとルキだけだ――を知ってか、心情を話していくこともある。
「ここの庭は癒されるわ。そう思わなくて?」
「はい」
とか。
「陛下は本当に明君でいらっしゃる。貴族同士をうまくいがみ合わせて。陛下はいったいどこまで見通しておられるのか……恐ろしいほどよ。殿下は愛妾に溺れて逃げようとした。でもわたくしたちは、あの陛下の跡を継がなければならない……」
「はい」
とか。
「あの女商人は興味深いわね。あなた、知っていて?彼女、ナムーア伯の弟から言い寄られているそうよ。『身分は捨てました。商いする貴女に一目で心奪われたのです!』だったかしら?でも靡くそぶりもないらしいの」
「イーラさんっ?!」
「カシワ、妃殿下の御前です。礼が崩れていますよ」
とか。
「わたくし、ずっと、誰かのために美しくないといけないと思っていたの。スプルース家のため、王太子殿下のため」
「はい」
「国のために生きることは変えられないけれど、でもわたくしは、わたくしのために美しくなって良いのだわ」
「はい」
「あなたがナムーア伯を変えたときに、マロウ嬢を変えたときに、そのことに気がついたのよ」
とか。
「あなたはまるで変幻自在の魔術師ね。わたくしの魔術師。わたくしの身体だけでなく、心まで軽くできるのだから」
「それはここが礼拝堂で、妃殿下に篤き信仰があるゆえ。私にそのような力はございません」
「まあ、あなた。お喋りが少し上達していてよ、ふふ」
とか。
柏にとって、王太子妃様は高貴な人でとても遠い人だが、悪い人ではなかった。




