決戦!(※ただし戦況は一方的)
平民の柏とイーラは、王城で開かれる夜会に参加する資格がない。だから、次期伯爵のダイエットがどんな結果に繋がったのか、柏とイーラが直接見ることは叶わない。
しかし、ここでもブライト夫人はさすがだった。わざわざルキを護衛に指名して、ことの顚末を見届けられるように計らってくれたのだ。
一時的にルキが柏の護衛を外れるため、夜会の間、柏は別邸の私室から出ないことを厳命されたが、そんなのは些細なことだ。
夜会の翌日。
イーラはすでにいくらか情報を集めたらしく、少々にやにやしながら別邸にやって来た。ルキは柏とイーラが揃うのを待って、目撃した一部始終を語ってくれた。
聡明なる領主夫人は夜会で起きることを想定し、早くから王城に入っていたので、すべて余さず見ることができたようだ。
「ナムーア伯」
最初に動きがあったのは、親たちだった。かのご令嬢の父親であるアリザリン家の当主がナムーア伯に話しかけた。
「貴家と当家の婚約について、御相談したいことがあるのだが、少しよろしいか」
「この場で良ければ聞こう。どのようなことかな」
個室での密談を避けたナムーア伯には何か考えがあったのでは、というのがこのときのルキの推測だ。
柏はちらりと思った。
もしかしてナムーア伯もざまぁする気満々だったかな……?
「御継嗣のギュラ殿のことです。我が娘に、どうしても太った男は無理だと泣かれましてな」
「……」
「ギュラ殿にはたしか弟御がおられて御継嗣にも困らぬはず」
「つまり、婚約の相手を変えたいと。卿はそうおっしゃるのですかな」
「ギュラ殿と娘の仲はもはや繕えぬゆえ……」
娘の性根を繕うのを先にするべきでしたのにね、と夫人が呟いたので、ルキは吹き出しそうになったらしい。
「……ギュラとの婚約は無かったこととする」
「おお、感謝いたしますぞ」
「それ以外の事項ついては、契約を改めましょう。アリザリン家の望みですからな。よろしいか?」
ナムーア伯は何を考えているか読ませない表情で、アリザリン家の当主は安堵した様子で、話はすんなりまとまったらしい。両家の従者が動き祐筆が呼ばれ、簡易な覚書が作られる。
慌ただしい雰囲気の中、当主二人が署名したところで、
「お父様!」
問題の令嬢が現れた。当然のように、隣は婚約者ではない。
「おお。今、そなたにも伝えようと思ったのだよ。ギュラ殿との婚約は白紙になった」
「まあ!嬉しいですわ!」
聞いていた領主夫人は無表情になり、他人事ながら額を押さえたくなりました、とルキはこのときの心境を語った。
「そなたの婚約者は、ギュラ殿の弟御に決まった。良いか、これは一族同士をつなぐ契約なのだ。だから……」
アリザリン家の当主が言い聞かせているが、ご令嬢はほとんど聴いていない上に、今更だ。ご令嬢には、次期伯爵との婚約が決まったときに叩きこんでおくべきことだっただろう。手遅れだ。
ルキでさえそう感じたのだから、明敏な夫人にはもうわかりきったことだったに違いない。
婚約者を一方的に遠ざけていなければね。
次期伯爵のギュラ殿は正しく婚約者として振る舞っていたのだから、彼女が歩み寄っていればもっと見えたものもあったはずですのに。
夫人の嘆息は、広間の入口付近で起きたどよめきにかき消された。
「あら?」
「あれは誰だ?」
「おぉ?」
「あんな殿方、いらしたかしら?」
「もしかして……えっ!」
ちょうど、広間に一人の青年が入ってくるところだった。驚いた人々がざわざわと情報交換を始める中、
「おいギュラ、聞いたぞ!あの芋の努力が実ったらしいな!」
「凄いじゃないか!フライドポテトの話!」
「さっそく食べてみたよ!あれは深夜に食べると特に旨いな!」
駆け寄ってきた友人三人にそれぞれ両肩と背中を叩かれ、フライドポテトの成功を祝われ、少し照れたように笑った青年。
言うまでもなくナムーアの次期伯爵ギュラだった。
イーラに「中の上」と評されたその容姿は、ここで活きた。
「えっ?あれがギュラ殿?!」
「まさか、ナムーアの次期伯爵?!?!」
「えぇっ!本当に?!」
「信じられない……」
「あのとんでもなく太っていた男が?!」
「あんな素敵なかたでしたの?!」
ルキは見た。貴族たちの反応に、領主夫人が扇の陰で笑顔になっているのを。
「ギュラ。来たか」
「父上。遅くなりました」
「いや良い。ちょうど最後の面倒事も片づいたところだ」
「面倒事……なにかありましたか」
「ああ。そなたの婚約の件だ。あれは無かったことになった」
「そうでしたか。父上には申し訳ありませぬ。家同士の契約を私の力不足ゆえに」
「気にするな。そなたはよくやっていた」
並んだナムーア伯父子が淡々と話しているそばで、アリザリン家の父娘は目を見開き、驚きに固まっていた。
「え……えっ!」
「ギュラ……様……?」
それを見たブライト夫人を筆頭に、同じ派閥の貴族たちがあからさまな嘲笑を向ける。
あらあら。
ご存知なかったのかしら。婚約者のお体のことですのに。
定期的に会っていれば簡単にわかることでしたのにね。せめて、手紙だけでも送り合っていればよろしかったのですわ。
しかたありませんわよ。
夜会の振る舞いさえ覚束ないのですもの。
次期伯爵の婚約者としてふさわしい振る舞いができるはずがなかったのですわ。
まあっ!ふふっ。
アリザリン家の当主はこれらの声に色を失ったが、しかしアリザリン嬢は図太かった。
「まぁギュラ様!わたくしのために痩せてくださったのね!ギュラ様の愛に、今度こそわたくし応えてあげましてよ。もう一度、婚約者にしてさしあげましょう。感謝なさっ」
「もう婚約者ではありませんので、名を呼ばないでください」
次期伯爵は元婚約者をばっさり拒絶。
「な……なっ……」
アリザリン嬢が顔を真っ赤にしたのは、羞恥か憤怒か。
ナムーア伯父子は、アリザリン家の存在を完全にないものとして話し始めた。
「父上、引退の御意思は変わらないのですか」
「変わらぬ。そなたは富み、当家を継ぐに足る力を十分に示した。そろそろ頃合いであろう。ナムーアの爵位はそなたに譲る」
「しかし、そうなると弟は」
「案ずるな。とうに言ってある。平民として身を立てる準備はしていた。あやつは商売をしたいらしい」
どこかの父娘から「平民っ?!」という悲鳴があがったが、誰からも黙殺された。
「それに、このことはもう陛下にお伝えしてあるのだ。すでに撤回はならぬ」
「父上の手際には敵いませぬな……」
「本日は陛下へ、内々に後継のご挨拶となろう。期待しておるぞ」
「無茶を言われる」
父子の会話が落ち着くのをそわそわと待っていた貴族たちが、わっと集まってきた。アリザリン家の二人はあっという間に輪の外に締め出された。
「ギュラ殿!見違えましたぞ!」
「それより聞かせて欲しいですな、あのフライドポテトというものは……」
「爵位を継がれると聞きましたが」
「卿は婚約者がおられませんわね。今度わたくしの従姉妹を紹介させてくださいませ!」
「どのようにしてそれほど痩せましたの?何か秘密が?」
一躍時の人である。
痩せたことについては、ブライト伯爵夫人とその新事業のおかげである、と次期伯爵が明言したため、夫人まで多くの貴族たちに取り囲まれたそうだ。男性の次期伯爵には話しかけづらくても、女性の夫人には尋ねやすいということもあって、令嬢や令夫人たちがどっと押し寄せてきたんだとか。
夜会の最後まで夫人に問い合わせに来る人が絶えず、ルキは夫人から、
「忙しくなるわ。あの子に覚悟しておくよう伝えてちょうだい」
という柏宛ての伝言を預かってきていた。




