いちかちゃんとは、いつも一緒
いちかちゃんとはいつも一緒だ。
小学校も中学も、高校はそれについて確かめあった覚えはないけど一番ではなく二番手の進学校をふたりとも選んで電車通学の3年間を過ごした。一緒になったのは幼稚園からじゃないのといちかちゃんは言うけれど、一緒になったのは小学3年生のクラス替えからだ。わたしはそれを口に出して訂正したりはしない。
いまさらどうでもいい間違いを突き付けて、いちかちゃんを傷つけたくはない。
そしてもうひとつ、ふんわり可愛くて優しくて、いちかの名前にぴったりないちかちゃんの中にもそんな虫メガネでなければ見つからないピンセットでなければ摘まめない異物はわたしだけの秘密にしたい。
秘密と思った時、異物は私の中で黒い汚れを帯びてくる。それは苦いけれど、甘い。甘さが苦さを押しのけてやってくる。女の子なら皆んなしってる。都合のいいときに味わっていたいから奥歯の奥の親知らずの生えてくるあたりに隠してるものだ。
でも、そんな苦甘いキャンディーのおかげでおたがいが産んだ娘の幼稚園でその歳に米寿となる園長先生から二人のなれそめを聞くことになる。黙っててほんとうに良かったと思う。
あのときは、義子ちゃんじゃなくていちかちゃんが横取りしたのよ
園長先生はわたしたちの娘の昨日のことを30年前のように話してくる。
だったらウサギのぬいぐるみは、こんなベージュじゃない。もっと乳白色に近い白色してる。それは、いちかちゃんのママが幼稚園のために、ここに通ってるこどもたちのために教室の数だけ寄付してくれたのだ。
まだまだ子どもたちは大勢いたから、9つの教室に9ひきのウサギさんたち
それぞれの教室のウサギさんたちは、そこのこどもたち全員のウサギさん。こどもたち全員のものなんて、こどもたちには分からない。わたしのものでありいちかちゃんのものだ。
でも、いちかちゃんだけのものでもわたしだけのものでもない。
園長先生が言う30年前のいちかちゃんはそのときわたしのウサギさんを横取りしたのだ。
いまはもう大人だから、横取りを使うのはよろしくない。わたしのウサギはわたしだけのウサギでなくいちかちゃんのウサギでもあるのだから。
でもいちかちゃんだけのウサギでないから、わたしはわたしだけのウサギにしようとしてそれを拒んで、一番手近な防衛手段に打って出た。
いちかちゃんのツインテール、ウサギで両手の塞がってるのをいいことに、ふたつとも空いてるわたしの左右の掌が引っ張る。幼稚園児の力だからって、侮ってはいけない。左右10本づつ抜けた毛根から血が滲んでくる。
いちかちゃんのAB型の血が、木目タイルの床に一滴おちた。
いちかちゃんの娘もツインテールだ。
わたしはツインテールは嫌いだから、自分の娘にはポニーテールしか結ばない。嫌いなのもあるが、掴まえられるのが二つもあると不利だと思う心がそうさせている。
でも、園長先生の話は作り話だ。いちかちゃんは思い出すように頷いて、娘ばかりでなくふたりの繋がりをそこに持っていこうとするけれど、園長先生とグルになったそんな画策にわたしは乗ってあげない。
わたしは義子
義子の義は正義の義でなくて、義理の義
わたしに付いてる義理の意味は人として行うべき道の方でなくて、交際上の関係から嫌でも他人にしなくてはならない事を指す。




