義子のわたしは、ギぃー子と呼ばれる
義子
これが私の名前だ。女の子だからよしこと読む。四人姉妹の末っ子だから、家族皆んな今度こそは男の子だと思っていたのに女の子だと分かったとき、そっちの名前の候補は誰も考えていなくて、せっかくだからと名前だけでも男の子っぽいのにしようと青森で暮らすおじいちゃんの提案で義子になった。
半紙に墨字で、書道8段の綺麗な楷書で書かれていたという。Zoomいっぱいに映った義子をパパもママも「よしこ」と声に出して言わないから、そのとき77齢の喜寿になったおじいちゃんの声が、わたしの名前の最初の言霊になる。
歴史に詳しいおじいちゃんの、藤原義子や橘義子といった平安時代のやんごとなき方々に並んでることとか、江戸期に武家で流行ってた男子の節句とくっつけて、2番目のお姉ちゃんが生まれたてときに密かに思いを馳せてた名前が通ってしまったのだ。
だから、青森にいったときの四人姉妹の中で一番に可愛がって呉れる筆頭はわたしだ。
そう言うと、小っちゃい頃だもん普段だって末っ子なんだし一番に可愛がってもらっていただろうと今の夫は言うのだけど、匙加減は難しい。義子を呼ぶとき、家族皆んなと私の間に妙な間が挟まれる。
義子なんて、女の子に相応しかったかしら
ググって出るのは、義理から繋がる養子、義父義母の血の繋がってない間がらばかりじゃないの
あのときの家族みんな落ち込んでときに、頑張るおじいちゃんをしっかり押さえ込んでいたら、こんなことにはならず、・・・・ごめんね、義子
と、辞書を引くことの楽しさを覚えたわたしは考える。
そのとき横から現れてくるのは、いつも、いちかちゃんだ。
透明でふんわりしてて、ひらがなの名前のいちかにぴったりの女の子。女の子のわたしでさえ、いちかちゃんって呼んで、振り返った彼女のツインテールに触れてみたいと思うくらいだから、近ごろ変なことばっかり考えてる男子たちは何倍にもその柔らかな圧がかかってきている。
それにひきかえ、わたしときたら、小学5年生のときから、クラスの男子全員からギー子と呼ばれた。
会議、議会で出てくる議の方は、小学4年生で習うのに、言偏を取った画数の少ない義の方が5年生で習うから、わたしでさえ「何で、今ごろ」の拍子抜けする感じだから、何かにつけてクラスの女子に因縁をつけたがる小学5年生の男子には印象が強かった。
そして、同じ小学5年生の2学期にカレーのところにクミンとかカルダモンとかコリアンダーだとかと一緒に、ギーがあったから、それとくっついて広まる。
ギぃー子、ギぃー子、余計な飾りの付かないギいー子一辺倒で広まる。
辞書で調べたら、無塩バターからタンパク質、水分、不純物を取り除いて純粋な脂肪分だけを集めた「溶かしバター」のことですと書かれているのに、カレー、脂、ギーとつながったあとのギー子だから、それを言うときの男子たちが、わたしを見るときのイメージは、不純物を取り去ったあとの特別なものなんかじゃない。
黄色くてドロドロした脂っこいもの、だ。
それにひきかえ、いちかちゃんにニックネームはない。別の可愛いものさえ寄せ付けない。ほんとうの可愛いものは似せて寄せる必要などないからだ。




