俺には面倒な頼み事をしてくる小うるさい幼馴染の妹がいる。
俺には、小うるさい幼馴染の妹――佐藤彩華がいる。
彩華は、俺の家に来るたびに、面倒な頼みごとをしてくる。
そして今日もどうやら、それを解決して欲しいらしく、我が物顔で靴を脱ぎ始めた。
「おばさんは?」
「いねーよ。バイト。というかさ、彩華さ」
「ん?」
小首を傾げた後に、彩華は俺という存在を無視して廊下を突き進む。
そのまま制服姿の後輩は、リビングへと続く扉を開けた。
「あ~、涼しい。生き返る」
漏れ出た冷気を逃すまいと、俺はすかさず閉める。
「お前の家と、俺の家は隣同士だろ」
「10秒もすれば、人間はね、干上がるのよ」
「……さいですか」
彩華はソファーに座ると、足を組んでから背伸びをした。
「あのさ」
俺はそう言って対面するように座る。
「なに?」
彩華は不思議そうに小首を傾げた。俺は視線を彼女の下に移す。
無地の白Tシャツ。太もも丸見えのショートパンツ。足を組んでいるから、その内側が見えそうになっている。
まさに目に毒と言う言葉が相応しいくらい、刺激的過ぎる格好をしている。
こんな格好で街中を歩いていると思うと、何か事件に出も会わないか心配になってくる。
チャラい男子にお茶に誘われる可能性だってあるのだ。
全く、由々しき問題であると、俺はずっと前から思っていた。
今日こそは、言ってやるぞ。
とは言え、緊迫感をあまり出したくはない。あくまで自然な状態が相応しい。
リモコンを手に取ると、適当に1番を押す。
「TVつけるなんて珍しい」
「なんとなくな。それより、彩華さ」
「ん?」
彩華は、テーブルの上に置いてあった俺の麦茶を、ゴクゴクと口に含んでいく。
「って、それ俺の麦茶」
「外に出てたの! 喉が渇くじゃん。だめだった?」
「全然いいけど」
間接キスだろう。と言うのも、今さらか。
「そ」
少し零れた水滴を、口元から滴らせながら、彩華は興味無さげに手で拭いた。
「それで、なに?」
「……お前さ、いつもどんな服装で遊んでんの?」
「え? なに? どういう意味??」
「どういうって、そのままの意味」
「あ~、私がこの格好で友達と遊んでるとでも?」
挑発するような視線を、彩華は向ける。
自信満々なもんだから、俺はなんだか後ろめたい気持ちになってくる。
「ああ、そうだよ」
「なら、そう言えばいいのに。いつも遠回しに言うんだもん。この間だって、お兄ちゃんの部活仲間にふと出会ったとき、なんて言った?」
「なんだっけっか」
「妹というか、幼馴染というか」
「だって実際、その通りだろ」
俺がそう言うと、彩華は両手を組みながらうんうんと頷く。
「確かにその通りです。でもね、曖昧過ぎるのよ。妹であり幼馴染でもあり、そして親友でもある。短期バイトの仲でもある」
「最後のは違くないか」
「とにかく、揺らいでいるのがいけないわけ。グラデーションと言ったらいいの? 虹よね、虹」
彩華はそう言うと、冷蔵庫に向かい、勝手にアイスを食べ始めた。
スプーンを口にくわえながら、もにゃもにゃ何か言っている。
「なんだって?」
「めんとにゃい?」
「は? 聞こえないって」
「だーかーら、面倒くさくないって言ったの。相手にも、関係性がはっきり伝わらなくて、再び説明しなくちゃいけないじゃない」
「じゃあ、お前はどう思うんだよ」
「わたし? 私は……」
彩華はアイスをテーブルの上に載せると、思考を巡らせるように小首を傾げた。
「妹? 幼馴染? え、なに? なんだろう?」
「曖昧でいいだろうよ」
「え? でも気になってきた。氷が解けたら水でしょ。でもH2Oじゃん!」
「は?」
眼前にいる露出狂は、意味の分からないことを言いだした。
この状態になると、彩華は暫く抑制が効かずずっと思考をするのだ。
だから、俺は諦めて高校野球中継を眺めた。
『さぁ6回表の西国学園の攻撃です。10点ビハインドとは言え、まだ試合は分かりません。斎藤さん。ここは1点ずつ丁寧に返したいところですね』
そんな非現実的な、と俺は思った。
何か耳障りの良い言葉を言えばよいと思っているのだろうか。負けはほぼ確定しているというのに。
とは言え、俺は何故か負けている西国を無性に応援したくなった。
この気持ちを理解できる人は、多数派だと勝手に思っている。
日本人の特性なのだろうか、それとも人間の?
それは知ったことじゃないが、とにかく頑張ってほしい気持ちになるのだ。
『さぁ、佐伯打った! 一塁ランナー二塁を回る――』
「ポチッ」
彩華はTVを消した。
「おいい! 勝手に消すな」
「野球なんて見ないくせに」
「俺は立派な市民なんで、負けてる方を応援するんだよ」
「ふーん。でもさ、私、重要な話があってきたの」
アイスの蓋をペロリと舐めてから、彩華は満足そうに微笑んでいる。
これ絶対に重要じゃないやつだ。俺はそう思って再びTVを付けた。
「あぁ~! つけたな!」
「どうせ買い物に付き合ってとか、そんな話だろ?」
「違うもん!」
「じゃあなんだよ」
俺がそう言うと、彩華は珍しく体をモジモジと動かした。
赤面した頬。上目遣い。
なんだか嫌な予感がした。
「実はさ、彼氏を紹介することになりまして」
予想は、的中した。
「お前もしかして……」
「うん、その『もしかして』でもさ、今さら正直に言えなくなったの。 だって、相手からすると私に彼氏は存在して、私やお兄ちゃんからすると、存在しない」
「なるほど?」
「つまり泡沫のようなもの。線香花火のように儚いの。一瞬の関係性だから、無問題だと解釈する」
言っている意味がまるで分からない。
しかし、曖昧さについての話は前座だったということは、理解できる。
「お前が曖昧さに拘っていた理由が分かったよ。誘導したかったんだな」
「バレた?」
あっけらかんと言うな。
思わず嘆息が洩れ出る。頭痛が痛いな。
「と、とりあえず。事の経緯を言ってくれ。話はそれからだ」
俺がそう言うと、彩華はコクリと首を縦に振った。
「事件は一昨日に発生した。私の友達の深夏ちゃんが、彼氏の写真を自慢してたの。どうやら最近付き合いだしたらしい。性格もいいんだって。週末は必ず夜景を見に行るって。それでね、深夏ちゃんは、私に彼氏がいるか聞いてきたんだよ」
「なんとなく、理解できてきた……」
「そう。私は『いるよ』って答えちゃった」
「彩華が全部悪い」
「おねが~い。お兄ちゃん」
瞳を潤ませて神に祈るように、彩華は俺を見ていた。
全く調子が良い妹様だよ。
さっきの曖昧さについての話は、どこに消えたのやらと思う。
「あのさ、嘘を続けるのは大変だと思うぞ」
「それについては大丈夫」
彩華は、満面の笑みでスマホを見せてきた。
「私とお兄ちゃんの破局までの道のり……?」
「そ。何か適当な理由でもつけて別れることにするから。学校も違うからバレることもないだろうし。逆に私はお兄ちゃんのことよく知ってるから、ぼろが出ることはないと思う」
そこまでして見栄を張りたいのか。
女子の気持ちは分からん。彼氏はレアグッズかなにかなのか?
異性のことを考えてこなかった俺には、全く分からないことだった。
それもそのはず。彩華以外の女子とは、あまり話してこなかったからだ。
苦手と言うわけでもないが、特段話す気になれなかった。
「それで?」
眼前で俺の反応を、心待ちにしている彩華と目が合う。
「う~ん」
色恋沙汰について、彩華は必ず俺を頼ってくる。
前回はどの服装が男子受けするか、前々回はどの臭いが好みか。
それら全てを彩華は実行しているのだが、今回の頼みごとは台無しにすることになる。
なにがやりたいんんだ。うちの妹は。いや幼馴染か。
「やってくれる?」
「お前がモテる計画は、潰える気がするけどな」
「仕方がないじゃない。言ってしまったんだし。ねぇ~、お願い」
「全く、仕方ないな。これっきりだぞ。……準備はしてるのか?」
「もちろん。抜かりはないわ。この数年間、この機会を虎視眈々と待っていたから」
「お前……冗談だよな」
「もちろん、嘘じゃないわ。怨嗟で復讐を誓う主人公キャラのように、この時を待っていたんだから」
「大真面目に言うんじゃありません」
「わーってるって」
髪をくねくねと右手で捏ねた彩華は、矢継ぎ早に話す。
「でも、全くさ、お兄ちゃんも自分のことを気に掛けなよ」
「何が?」
「だから、彼女。気配が全くないけど大丈夫そ? あ、もしかしているとか?」
「いたらこんなことしないわ」
「それもそっか。知ってるわ」
余裕の笑みで言われると腹が立つ。
面が良いからか、彩華はモテるのだ。
そのくせに彼氏を作ろうとしない。決して。
何を考えているか分からない幼馴染に、俺は心の中で罵倒をしたのだ。
☆
翌日。初夏の涼しいのか暖かいのか分からない風を浴びながら、俺たちは待ち合わせ場所を目指した。
延々とアスファルトを歩くこと20分。
手うちわで扇いでいる彩華は、「暑い」と小言を言いながらスマホの時計を見て、何やらポチポチとフリック入力をしている。
ちなみに、今日は刺激ていな服装ではない。黒っぽいスカートに、小さな赤いハートが印刷された白Tシャツという格好だ。
傍から見ても、かわいいと評価されるだろう。実際に男性の通行人は、彩華を見る確率が高い。
誇らしい。この気持ちは、過剰な兄弟愛の結果ではない。
なぜなら幼馴染と言う属性が、俺たちの関係性に含まれているからだ。
「待ち合わせ場所にはついたけど」
彩華はこじんまりとした最寄り駅の近くにある像の彫像を指差す。
「少し早く着いたみたい」
「そもそも、どんな人たちなんだよ」
「ん? 気になる?」
「まあな」
「深夏ちゃんはクラスメイト。演劇部をしている優等生だよ」
「……彼氏のほうは?」
「ん? 知らない」
計画的な犯行の概念は、既に崩れ去ろうとしていた。
仮にその彼氏とやらが、俺の知り合いだった場合を考えていないらしい。
「復讐犯のような計画性はどこいった」
「もっと遠謀な計画なの! いいこれは目的じゃなく、手段なのよ」
彩華は目をキョロキョロと動かし、身振り手振りでそう言った。
怪しいと感じない人は、この世に果たしているのだろうか。
俺は凝視することで、真意を聞き出そうと決めた
「な、なに?」
「なんだろうな」
「は、はぁ?」
ちっ。駄目か。彩華の決意は固いらしい。
俺は諦めて、正直に聞くことにした。
「あのさ」
「あによ」
「何か隠してるだろ」
「……べ、別に」
嘘が下手な奴だ。演劇部の友達とやらに指導してもらえ。
お前の伸びしろがありすぎて、大喜びで手伝ってくれるだろう。
「私だって見学に行ったことくらいあるもん。だから、練習くらいしたことあるし」
「さいですか」
「全く、妹の詮索しないでよね」
「普段の正直さに免じて、聞かなかったことにする」
俺がそう言うと、彩華はホッと一息ついた。
「言っとくけど、なにも隠してないから。私の口から言ってないだけで」
「はいはい……っと、あの人たちか?」
彩華の視線の先には、意外にも大人しそうな黒髪女子がいた。
そして、深夏に隠れるように背を向けている男の姿。
人見知りなのだろうか。いいや、彩華の嘘と関係しているはずだ。
とは言え、初対面から勘ぐっていては、相手に失礼なので、とりあえず 端正な顔立ちの彼女に礼をすることにした。
「どうも。彩華の恋人の桜田海です」
「初めまして、深夏と言います」
キラキラした笑顔が素敵な人だ。俺は見惚れていると、左から彩華のムスッとした声が聞こえてくる。
「この人が例の、私の彼氏」
「分かってますよ」
なんで既に情報が洩れているのだ、と心の中で不満を言いつつも、俺は彼女の後方に隠れている男が気になった。
どこかで見たことがあるような。
俺がそう思っていると、深夏さんは気を利かせて彼氏に呼び掛けてくれた。
「もぅ……恥ずかしがり屋なんだから!」
「す、すまないね」
なんだこの演技臭い会話は。
「私の後ろに隠れていないで、出てきてよ」
「すまないが、それはできないんだ!」
男はそう言うと、反対方向に歩き出した。
「ちょ、なんか逆走してるけど大丈夫?」
彩華の言葉を聞いて、深夏はハッとした表情で後方を見た。
「ええ!? どうしたの?」
「すまない深夏。僕には耐えられそうにない。お腹が痛くなってきたよ」
「どういうこと?」
「いいから深夏。君も来るんだ! 僕らはここにいてはいけない。そして僕の名前を決して呼ばないように」
背中を丸めた彼氏の強い口調に、深夏はピクリと肩をあげる。
「はぁ? どういう意味、小太郎くん」
「小太郎……? ちょっと待て、今小太郎と言ったか」
寸劇をしていたこのバカップルの片割れを、俺はよく知っている。
部活の後輩で面が整った温和な男だ。
背丈は175cm程で、ちょうど眼前にいる男程である。
「ば、バレちゃいましたか」
部活の後輩は振り返えり、苦笑いをした。
「僕も彩華さんも、先輩が彼氏だとつい先ほど知ったんです。それで、急遽気まずくなって」
彩華の嘘は、このことだったらしい。
確かに部活の先輩が相手方の彼氏だと気まずいと思う。しかし、土壇場で帰る程のことか?
言語化できない違和感があった。
「温和なお前が、挨拶もなしに帰るとは思えないけどな。答えろ、何を隠してる」
俺がそう言うと、小太郎は唇を噛みしめた。
「言っても、いいのですか」
「はぁ? 何を」
意味が全く分からなかった。小太郎は両手をグッと握り絞めている。
「小太郎くん……貴方何を隠してるの?」
深夏さん。貴方はまだ演技を続ける気ですか。思わず深い嘆息が出る。
「怒らないから、正直に話してくれ」
「僕は、僕は……」
まだ続けるらしい。
ミンミンと鳴く蝉の声が鳴り響く。ガタンゴトンと列車が音を立てる。
駅に入る人間は、僕らのことを訝しむような目で見ている。
1分程待っただろうか。
苦渋の決断を強いられている小太郎は、ついに口を開いた。
「深夏ちゃん。禁じられた恋って知ってるよね」
「う、うん」
「この二人は、付き合っているんだ!!」
「それは知ってるよ?」
「そうじゃない!!」
小太郎は勢いよく振り向くと、俺たちを指差した。
「桜田さんと彩華さんは兄弟だった。それから両親が離別して、幼馴染の関係になったらしい。ようやく二人っきりでデートができることができたって。彩華さんからメールが来て」
「彩華、お前なんて言ったっわけ?」
小声でそう呟くと、彩華は俺の耳元に右手を沿えた。
「『複雑な関係性だけど、それも今日で終わり。良い門出になる予感』って」
コイツに計画を任せた俺が馬鹿だった。
ケロッとしてる彩華は、首肯している。
「だけどこうも言ったはずよ。私たちと一緒に楽しみましょうと」
「深夏に気を使っていたんですよね」
「はぁ? 小太郎くん何言ってんの」
「いいんです。言わなくても分かってます。大切な日に、深夏がダブルデートしようと誘ってしまって。今後、お二人は離れ離れになるんですよね? 彩華さん、先日お会いしていたとき、影でこう言ってました。『私たちの関係性は、曖昧だから今後どうなるかなんてわからない。いつ幼馴染の関係に戻るか。いいや、すぐかも、ね』」
彩華を一瞥すると、舌をペロリと出した。
こ、こいつ。この状況を何とも思ってないだと。
鬼のようにメンタルが強いと感じる。
しかし、厄介なことになった。
家族・幼馴染・恋人を、H20的な多義の意味、つまり水・氷・水蒸気のような意味で捉える人間が出てくるとは思わなかった。主に彩華のせいで。そう、こいつのせいだ。
なぜかニコニコ笑顔の彩華を、俺は軽く睨みつけた。
「ごめん。ま、大丈夫でそ」
大丈夫なわけあるか。
驚愕の表情で口元を隠している深夏と、歯を噛みしめている小太郎を見ろ。
どう対処すればいいんだこれ……
まぁ、とりあえず、話せば分るかもしれない。
「あのさ、小太郎。俺たちは、そんな関係じゃない。これから全て話すから、聞いてほしい」
「桜田先輩……じゃあ、そのペアTシャツは何ですか!」
「あぁ……」
瞳を閉じるのではなく、下に向ける。俺の胸辺りに青のハートマークが見えた。
そう、彩華の完全無欠の計画として、何かをお揃いにすると決めていたのだ。
「深夏が無理を言ってすみません」
「い、彩華ちゃん、本当にごめん。また学校で!!」
小太郎は右往左往している深夏の手を握って、僕らに背を向け逆走した。
「どうすんだこれ……」
小さくなる彼らの姿を見ながら、明日の部活で何を言われるのかと思った。
というより、これからの学校生活を考えるだけで憂鬱な気分になる。
「お兄ちゃん」
肩をポンポンと叩かれる。
「今度は、なんだ??」
「とりあえずさ、喫茶店行っとく?」
「あのさ、彩華……お前なんで平気なの」
手うちわしている彩華は、平然とした表情をしていた。
☆
「迂遠な関係性はダメなのよ」
「それ、お前がいう?」
「だから曖昧性を解消した方が良いと、何度も言ってきたのに。お兄ちゃん聞かないから」
彩華は、メロンソーダを勢いよくストローでズズズと吸い取る。
「私、知らないからね。あ、すみませんこのチョコケーキ追加で」
「彩華も当事者なんだが」
「私は大丈夫なの。別に家族だろうが、恋人だろうが、妹だろうが、それが重なっていても害はないから。それに深夏ちゃんは柔軟な性格だから、きっと理解してくれる…‥と信じている」
「相変わらずメンタル強いな」
「話せば分るって信じてるからね」
「それ、フラグ立ってる」
「大丈夫よ。私は素直に思いを伝えられるタイプだから」
「まぁ、確かに。それは間違いない」
俺がそう言うと、彩華はバツが悪そうに話題を逸らした。
「それより、そっち。曖昧性で困ってるじゃん」
「何とかするよ」
「何とかねぇ……」
彩華は、苦虫を噛みしめたような表情をした。
「俺だって、直接気持ちを伝えることくらいできる」
「ふ~ん。そう」
「まぁ確かに苦手ではあるが……」
「なら、この際だから、はっきり関係性を決めた方が良いと思うの。その方が伝わりやすいでしょ。氷かつ水蒸気でもなく、水だと言うわけだから」
確かにその通りだと感じた。白黒思考はあまり好きではないが、流石に何らかの
関係性を提示したほうがいいのかも知れない。
小太郎のように勘違いする人間が出てくる可能性がある。
「確かに」
「でしょ。人間、白黒思考が大事よ。水だってH2Oじゃなく、水って言われたがってるから、我々は水と呼ぶの」
「悔しいが一理ある。反論の余地がない」
ドヤ顔してる彩華に屈するのは嫌だが、今回ばかりは俺が間違っている。
彩華の為にも、ここは決めた方が良いのかもしれない。
俺は思索をした。
小さい頃から彩華と遊んできた。そう言う意味では間違いなく、幼馴染だ。
とは言え、その枠に含めてしまうと、より浅い関係性になってしまう気がする。
そう言う意味で言うと、間違いなく妹だ。血は繋がっていないけれど、仲がいいのは間違いないから。
しかしながら、それ以外の関係性はないのだろうか。兄弟愛を越えた何か別な概念。
幼馴染のように気さくに振舞えるのは、彩華が実妹じゃないからだ……
実妹だとしたら恋愛の話など決して話せないはずなのである。
つまり……
「すみません! レアチーズケーキ一つ」
彩華の声で現実に引き戻された。嬉々としてチョコケーキを頬張る彩華は、次にクリームソーダを口に含んだ。
「美味しい!」
幸せそうに笑う。ところで、関係性を確定することで、関係性そのものが無くなる可能性がある。
それだけは絶対に避けたいと感じた。
我が妹は、恋人を作るために努力してきた。つまり、俺は恋愛対象外だということになる。
「決まったよ」
「ふ~ん。なんなんだろうね」
頬杖をつきながら、彩華は興味深く唇を三日月状に歪ませた。
「結論から言うと、幼馴染では不足する。つまり、妹が相応しい」
「そ」
彩華の表情は一変した。スマホをポケットから取り出す。
「じゃ、深夏ちゃんにはそう伝えとく。私トイレ行く」
「ちょっと待て? 何か不満か?」
俺がそう言うと、彩華は首を横に振った。
「別に? ただ疲れただけよ。本当に疲れただけ」
その言葉は正しかったようで、俺たちはその後、会話をせずにただ淡々と出された品を食べた。
彩華は喋り疲れると、いつも無言になる。
俺も自分からは話さない性格なので、ぼんやりと窓の外を見ていた。
外のモヤッとした空気を通して見る空は、曖昧性を含んでいるように思えた。
☆
私はベッドにダイブした。
今日は色々と疲れた。
なんで確定してくれないのだろうと思う。お兄ちゃんは、鈍すぎる。
昔からそうだ。恋愛への感度が異様に低いから、女友達はいないし、好きな人ができたことすらない。
じゃあ、私が確定すればいいのかと言うと、そういう話でもない。
私も、意固地になっている。それに、自ら関係性を崩すのが怖いのだ。
「結局、どっちもどっちではある」
とは言え、私は絶対に諦めない。妹から恋人に昇華する物語は複数あるのだ。
幸いなことに、お兄ちゃんは女っ気が全くない。だから時間だって十二分にある。
私は絶対に諦めないんだから。
ポケットの中からスマホを取り出すと、深夏に連絡をした。
『演技作戦失敗した!! 全く、うちの鈍感兄貴! それでね、また近々手伝ってくれる? パフェ驕るから!』
するとすぐに着信が来る。
『もちろんだよ! 親友の恋は応援する!♡』
いい親友だ。私は嬉しくなり、特大パフェを奢ることに決めた。
「たらふく食べさせてあげるんだから!」
☆
金曜日の学校終わりには、必ず行うルーティーンがある。
それは、webで掲載されている当日公開の漫画を読むことだ。
俺はインスタント珈琲を作り、リビングにスナックを持っていく。
その袋を開けて、口に放り込むのと同時に、漫画をスワイプするのだ。
俺はまさにこの時のために生きていると言っても過言ではない。
クーラーの効いた部屋。ソファーに全体重を預けて、珈琲を口に含む。
「至福だ」
凄く贅沢なことをしているんだろう。
悦に浸っていると、オートロックの扉がガチャリと開いた。
ドタドタと廊下を駆ける音。
何やら今日も騒がしくなりそうだと感じた。
瞬間、勢いよく扉が開かれる。
喫茶店での静寂はどこに消えたのやら、小うるさく自信満々の妹がそこにはいた。
「お兄ちゃん。私の幸福について相談があるの」
「ああ、知ってる」
「なんで笑ってるのよ?」
意外なことに、彩華の厄介事を処理することが、窓から降り注ぐ暖かい太陽光に当るように、俺にとって幸福らしい。最近、そう気づいたのだ。
俺は、にやけ面をしていた。
「別に。さて、とりあえず話を聞こうか」
「あのね、お兄ちゃん」
今日も、妹は、面倒で心惹かれる頼みごとをしてくる。