おにいちゃん
おにいちゃんが帰ってくる!
九州の建材屋さんで働いていたおにいちゃんが店長をやらされそうになって、それが嫌なので実家のある鳥取に帰ってくるということになったのだ。
物心のつかない頃からおにいちゃんっ子を自覚してたあたしは嬉しくなって、散らかってる自分の部屋を片付けて、色々と準備しはじめた。
会うの何年振りだっけ。
最後に会ったのは下の姪っ子のしーちゃんが産まれたばっかりの時だった。しーちゃん何歳になるんだっけ?
とても不機嫌そうな表情で車から降りてきたしーちゃんは4歳だった。髪の生え方が遅いらしく、坊主頭のチビは男の子なのか女の子なのか、さっぱりわからなかった。
「お帰り、達彦」
「しーちゃん、大きくなったねぇ。ゆーちゃんも……」
「こんにちは! おじいちゃん、おばあちゃん!」
来年で小学生になる上の姪っ子のゆーちゃんが、上品にスカートの裾をつまむスタイルをしながら、ツインテールを揺らして元気に挨拶をした。
しーちゃんは敵から距離を取るように後ろへ下がった。
運転席から降りてきたおにいちゃんは、久しぶりの故郷の景色をぐるりと見回すと、お義姉さんと短く言葉を交わし、パパとママとしばらく会話をしてから、ようやくあたしのほうを見た。
「ミカ……。相変わらずなのか、おまえ」
あたしの知らないひとみたいだった。昔はいつもヨレヨレでカジュアルな服を着てたのに、オトナっぽくなってた。
ちょっと中学時代の国語の先生に似てた。優しい微笑みを浮かべながら、いつも裏では叱りつけるべき生徒を品定めしてるような、甘いふりしてほんとうは厳しいあの先生に似てた。
「おにいちゃん、お帰り!」
あたしが言うと、おにいちゃんはまたパパとママと会話をはじめた。
「おいおい……」
あたしの部屋に入ってくるなり、おにいちゃんが声を出した。
「おまえいくつだ」
「30歳になりました」
あたしはおどけて正直に答えた。
「でも心は永遠に10代だよ」
「わー!」
ゆーちゃんが後ろから入ってきて、あたしの部屋を見て楽しそうに声をあげた。
「マンガがいっぱーい!」
部屋の三隅を埋め尽くす、マンガ本のぎっしり詰まった本棚を見て、ゆーちゃんは夢の国へ来たようにキラキラし、おにいちゃんは呆れたようにため息をついた。
しーちゃんも一番後から入ってきたけど、相変わらず機嫌がすごく悪いようで、眉間にシワを寄せて、とても固いロボットのような動きであたしの部屋の低いところだけ見回した。
ゆーちゃんが床に座り、本棚からかわいい絵のマンガを取って読みはじめた。しーちゃんも無駄な時間をやり過ごすために仕方なく、というふうに、とても難しいマンガのページをゆっくりとめくりはじめる。
あたしはおにいちゃんに読ませたいマンガがあった。
あたしが高二の時、おにいちゃんはダブりの高三で、その年まであたしたち兄妹には共通の楽しみがあったのだ。
あたしの描いたマンガだ。
二人が小学生の頃から育ててきた『たまごくん』というキャラがあって、たまごくんと仲間たちが繰り広げる面白おかしい4コマの世界。
描くのは専らあたしで、おにいちゃんは読むほうだった。
毎日あたしのこの部屋に入ってきては、「描けた? 読ませて」と言ってくれたのだ。
「あれから結構描き溜まったよ、たまごくんの。読む?」
オトナになったおにいちゃんにあたしが言うと、
「まだマンガなんか描いてるのか!」
呆れた声で説教が返ってきた。
「いい加減大人になれ、ミカ。おまえと同い年の者はもうマンガなんか卒業して、自己啓発本とかを読んでいるぞ。……あっ?」
マンガ本の棚に一緒に並んでるCDを見つけて、また呆れた声を重ねた。
「まだヘビメタなんて聴いてるのか!? おまえ、成長とかないのか!」
「イマドキふつうだよ。昭和じゃあるまいし」
あたしはふてくされるしかなかった。
「大人になったらジャズかクラシックしか聴いちゃダメなのかよ」
「ヘビメタだのマンガだのは卒業するものだ」
「おにいちゃんは卒業したの? 昔は一緒にマリリン・マンソン聴いてたじゃん」
「だからおまえは30歳にもなって無職なんだよ」
「家事手伝いと言ってくれ」
ムカついたのでCDを一枚取ると、高級CDプレーヤーにセットし、大型スピーカーからジューダス・プリーストの『ペイン・キラー』を大音量で鳴らしてやった。
マンガに食いついてたゆーちゃんがびっくりしたように顔を上げ、耳を塞いで泣きながら部屋から飛び出して行った。
「アホなのか、おまえは!」
おにいちゃんは赤鬼みたいな顔になって、どすどすと足音を立てて出て行った。大きな音を立ててドアが閉まった。
爆音が変則的なリズムを掻き回す中、おにいちゃんとの兄妹関係は遠い昔になってしまったのだと思い知っていた。
あたしはずっと仲良し兄妹だと思ってたのに、いつの間にか時が二人を別々のものにしていたのだった。
ふと気づくとしーちゃんが体を揺さぶっていた。
メタルの激しく疾走するリズムに合わせて頭を前後に振っている。
しかし顔はとても機嫌が悪そうなままだ。
あたしのほうを、ゆっくりと振り向いた。
下の歯をいっぱい見せて、威嚇するように睨んでくる。
「怖くないぞ」
あたしは満面の笑顔を見せてやった。
「あんたはかわいいよ。坊主頭だけどかわいい女の子だ。ちょっと個性的なだけ」
ニコニコ笑ってやると、しーちゃんの不機嫌が緩んだ。
敵意のない猫のように目をそらし、まるで理解者でも見つけたように安心した表情になると、またリズムに合わせて激しく頭を前後に振りはじめた。
「あたしの描いたマンガ、読む?」
口ではそう伺いを立てながら、あたしが強制的に『読んで』というようにノートを差し出しても、しーちゃんはずっとリズムに乗って頭を前後に振り続けていた。