心の構築
自分の一番古い記憶と聞かれると、一般人はすぐに答えられるのだろうか。3~6歳の時の記憶は映像として断片的にしか残っておらず、言葉にしようにもどう表せば良いのか全くわからない。
4歳になるまでまともに言葉を発する事ができず、「き」という発音が特に苦手だった。発音を少しでも良くするための練習と称して、口に割り箸を加えさせられ、上手く動かない喉仏を上下に動かして「ヒイ」と息を吐き出すのがやっとだった。
今になって思うと、こうなってしまったのは無理もないかもしれない。当時自分が住んでいた家の周りには年寄りしか住んでおらず、母と祖母の3人で暮らしていた。父は研究活動でほとんど家に居なかった。兄弟もおらず、母には何も言わなくても伝わってしまうので、言葉を発する機会が訪れる事なく突然幼稚園という異世界に放り込まれた時、自分はなにをすればいいのか全くわからなかった。
あまりに周りの出来事に対して無反応だった為、親に教育と称して公文や音楽を習わされたが、自分がする行いに関心を持たず、数週間もすると担当の先生と親から習い事を辞めるか否かをよく聞かれた事を覚えている。唯一公文だけ”せめて頭だけは” と、半強制的に無理やり行かされ続けた。今になると無理矢理にでも行かないと言ってグレてしまえば、また違う道があったのかもしれない。しかし嫌だと言ってトイレや風呂場に鍵をかけて逃げると、半狂乱になった母に無理やり鍵を壊され、泣きながら止める祖母を背に、後部座席に乗せられ連行された。
抵抗する力も頭もない自分が逃げた先は妄想しかない。暇さえあれば目にした玩具、植物、建物を朝の習慣となっていたディスニーやアニメのビデオに投影して、オリジナルのアニメを頭の中で作っていた。
親の話によると幼稚園の先生の視点では同級生とあまり話していない、いわゆる変わった子供あつかいだったが、不思議と女子達に気に入られて、女子達とごっこ遊びをしていたらしい。自我がない自分は、女子達からすれば何かと話しかけやすい相談相手だったのだろう。
そんな自分にも男友達が二人いたらしく、よく親同士の付き合いで遊んだらしいが一切記憶にない。それほど人に対する興味はなかったのだろう。転機が訪れたのは小学生に上がる時、父親が地方の工場に転勤となり、地元から出た事がない母を合わせた3人で離れた県に引っ越した。
ここでも母の教育理念が働き、地元のお高い私立学校に入れようかなどの話が上がったらしい。引っ込み思案な母自身が商業高校を卒業して社会に出てからずっと、もし子供ができたらその子には何よりも良い教育を受けさせようと腹に決めていたらしい。大学を卒業して研究や海外出張で日中忙しかった父に、教育コンプレックス持ちの母。
学校教育以外に水泳、Z会、進研ゼミ、毎月強制される児童向けの本の読書と読み聞かせにうんざりする日々が始まった。何か問題ができないと「なんでこんなに教えているのにできないんだ。もう一度復習。逃げるな。100点とればゲームを買ってあげるからもう少し。」の連呼、何か反論して逃げようとすると腕を掴まれ何度も叩かれた。わんわん泣きながら勉強をする自分に対し、仕事から帰るたびに慰めてくれた父が大好きだった。
「お父さんは私以上に厳しいから。〇〇の国語のテストが悪い時なんかお父さん、鬼の形相でずっと勉強法を変えるか考えているんだからね」
優しげな声で、返ってきたテストが悪い時に限りテンプレの様に言われる言葉だった。あの優しい父がそんな事するわけない。
ある夜、トイレに行こうとしていると父と母がパソコン越しに向かい合ってリビングで話していた。
「◯◯の今回のテストは悪いなぁ、このままで中学受験するとなると本格的に塾に入れなきゃなぁ」
「でもあの子も頑張ってるし、まだまだ…」
気づいた時には布団の中にいた。あの優しい父何処はにもおらず、テーブルには怖い顔をした知らない大人が二人座っていた。
この日を境に学校の同級生の顔と名前、そして学校であった事を覚えていられる様になる。マイホームの購入に伴い、1年で隣町にできた新しい団地に引っ越すことになったのだが、その頃には名前と顔をしっかり覚えていられる友達が出来ていた。
新しい学校での暮らしでは、自分の人生観が何度も壊された。親が嫌いで家出する奴と話した、毎日休み時間になると教室に入ってきて必ず自分にちょっかいをかける奴が現れた、親友と呼べる友達が初めてできた、初めて女子という生き物と話した。
妄想癖は相変わらずで、友達にはよく「その話、おかしない?」と言われた。その度に自分の当たり前は、他の人には当たり前ではない事を認知できたのは大事な経験だったといえる。
毎日学校から帰ると、団地に住む子供らと一緒に、家の中ではカードゲーム,DS,Will,XBOX、外ではオリジナルのゲームを作って遊ぶ事が日課になった。中でも草が生い茂る団地の崖を滑って誰が一番早いかを競う遊びは、毎日そこら辺に住む子供達を誘ってやる程大好きだった。所謂軽いチキンレースのような感じで、びびって崖に生える長い草を掴んでブレーキをかけた奴は根性なしだと笑われてしまう。勿論皆負けたくないので、誰も長い草を掴まないで滑るうちに、石でできた崖を一番早く降りたやつが勝ちという危険な遊びに変わっていく。
ある日、団地の中でも悪ガキとして有名な”電柱登りのマスター”が一気に駆け降りるという暴挙に出る。勿論下る途中で躓き、転んでそのままコンクリートの地面に激突してしまう。コンクリートに打ち付けられて大きく腫れた血まみれの頬を、これみよがしに見せ付けながらギャン泣きするマスターの声で、団地中のお母様方が出てくる騒ぎになってしまい、マスターを最後に崖滑りをする者は居なくなってしまった。
これらの出来事はほんの遊びの一例で、他にも遊びとして公民館不法占拠事件、エアガン立て篭もり事件、エロ本強奪事件、道路標識偽装事件、町内に点在する秘密基地同士の抗争、町内中の銅像落書き事件、お化け屋敷ロケット花火打ち込み事件、団地同士による縄張り争いを草野球で白黒つけようとしたが、アルソックの監視カメラにホームランが当たって怖いおじさんを召喚したりと、今思い出しても楽しい出来事が5年かけて行われた。無論親はこれらの事を全く知らず、テスト前になると相変わらず厳しかったが、前の様に部屋の隅で妄想に逃げる自分はいなかった。
中学生に上がると皆突然大人しくなってしまう。今まで自分にちょっかいをかけていたやつも例外ではなく、唯の爽やかな笑顔が似合う好青年になってしまい、町内を通して噂になった。
一方自分は人前でふざける事が生き甲斐になり、親には悪口を正面を切って投げつけるようになる。学校では自分の奇行や発言でクラスの皆が笑い、クラスライングループへ入ったり、バスケ部の女子達にバレンタインチョコを一緒に作らないかと言われたりと青春を存分に謳歌していた。この頃は今となっては恥ずかしい思いや、後悔を沢山残す事になったきっかけが一番多く現れた時でもある。
中でも激しい後悔が2つ残っている。一つは小学生高学年の時に、初めて自分から作った団地以外の友達を失ったことだ。
あっくんとは小学五年生の時、雪が降る誰もいない校庭へ縄跳びの練習をするために教室を飛び出した時出会った。この出会いも中々運命的で、この時校庭には自分達以外誰もおらず、あっくんには休み時間の前に行われた、クラス対抗暗算競争に僅差で負けたばかりで、悔しい思いをしたばかりだった。
「いつもここで縄跳びしてるの?」
「そう、僕の家縄跳びしか遊ぶ物ないからクラスの皆の話わかんないし」
「ふーん、縄跳びしか遊ぶものないなんて暇じゃないの?」
「そうでもないよ、兄弟が家にたくさんいるし」
雪で滑りやすくなった縄跳び台の上で、あっくんは連続二重跳びを難なくこなしながら喋り続ける。
「ねぇ二重跳び、俺できないから教えてよ」
「練習したらできるよ、まずは思いっきり飛んでみたら」
ジャンプ台の上で思いっきり飛んでみたが、着地の瞬間に滑ってこける
「いっタァ、俺縄跳びマジで嫌いやわ」
「練習あるのみだよ」
この日から一日のうち必ず一回、休み時間になると必ずあっくんと縄跳びをする習慣がつくようになった。雨の日も風の日も、暑い日も寒い日もお構いなしだ。その内2人は仲良くなり、町内中の公園に行って縄跳びをするようになる。今までゲームを持っていない子供と2人で遊びに行く事は初めての経験だった。
「あっくんってさ他の人と遊ばないの?俺のいる団地の奴らいい奴ばっかだし、今度遊ぼうよ」
「あんま好きじゃないんだよ、大勢の人と遊ぶの」
「変わってんな」
ある日公民館前の広場でいつものように縄跳びをしていた時に聞いてみた。
「なぁ、兄弟ってさ、やっぱ沢山いると楽しいの?俺一人だからわかんないんだよ。親はうるさいし、ほんと嫌い」
「うち7人だから、アパートの部屋に7人いると狭くて大変、うるさいしさ。でもお姉ちゃんが優しいんだよね、頭もいいし」
「お前の姉ちゃんそんな凄いの?あっくんなんかこの前も読書感想文選ばれてたし、テストも満点じゃん」
「お姉ちゃんは中学トップなんだって」
「へー、すげー家族だな」
この時の自分は彼が置かれた家庭環境の中で、どれだけお姉ちゃんと彼自身が凄いかという事をあまりよくわかっておらず、何となく運動も勉強もできて羨ましいなぐらいにか思っていなかった。中学校に上がってからは、当時流行っていたipodを代表としたスマホ機器を持っていないあっくんと趣味の違いが起こるようになり、自然と遊ばなくなっていた。
連続二重跳びができるようになった中学1年の夏、英語の授業中に教科書を落書きしていた時に、隣の女子達の話し声が聞こえた。
「ねぇ、あっくんのお姉ちゃん。踏切で自殺したんだって」
「えー、あの頭が良くて生徒会長だった人でしょ。確か(地元で一番の偏差値)高校に行ったんだっけ?」
「そうそう、わかんないけど、勉強で追い込まれたらしいよ」
人が死ぬ。初めて身近な人の死を強く意識した瞬間だった。直ぐにでもあっくんに会って話を聞きたたたくなり、授業終わりに隣のクラスへ向かったが、あっくんは不登校になっていた。
家の場所は知っていたが、自分にはどうすれば良いのか何もわからない。高架下にあるツタが絡まった、古めのアパートの1階右端の入り口に掲げられた「斉藤」が頭によぎる。
姉ちゃんが死んだ。裁縫が得意で頭が良く、品性方正で学年を越えて生徒会長として知られたあっくん自慢の兄弟思いの姉ちゃん。いつも姉ちゃんの話になると、デフォルトの笑顔が口裂け女のようになるのが特徴的だった。
その日は余りのショックで部活にも身が入らず、先輩や同級生から心配される程惚けていた。夜に潜った布団の中では、電車で死ぬとどのくらい痛いのかを何時間も考え続ける。”真っ二つってどんな感じなんだろ”
結局自分はあっくんの家に行くことはなかった。次の日にはいつも通りの生活が待っており、友達をいかに笑わせるかということしか考えていなかった。
「あっくん、引っ越したんだって、何でも夜逃げ?ってやつらしいよ」
「”えぇ〜”」
数日経つと女子達の間で夜逃げの噂が流れ始める。夜逃げの意味がわからなかった自分は、”引っ越したのかな?”位にしか思っておらず、先生達もあっくんに言及することはなかった。
あの時彼は何を考えていたのだろう、彼ともっと接すれば何か変わったのか、後悔は死ぬまで消える事はない。
二つ目は団地の奥に住んでいた樹里という女の子の話だ。
樹里と初めてまともに話したのは小学五年生の時だった。樹里のお父さんは怖いといった噂が有名で、誰一人彼女を女の子としてみている人はいなかった。彼女の見た目はウルフカットと、少し薄い茶色く染めた髪が常に抜けかけているのが特徴的で、クラスでは一段と目立っていた。
忘れもしない、六限の授業が終わりゲームを友達としようと、足早に教室を出た時だった、
「ねぇ、◯◯帰る方向一緒でしょ」
「せやね」
「一緒に帰らない」
女子と帰っている所がクラスの誰かに見られたら、次の日には噂になってしまう。相手側からみると、目を左右に忙しなく動かしながら激しく動揺していたと思う。
「うーん、まぁね」
「じゃ、いこ」
内心ドキドキしていた、地味な僕がこんな派手な子と一緒にいるなんて、何から話そうと必死で思考を回す。
「さっき何で嫌そうだったの」
「いや、皆の噂になったらさ」
「そんなんほっときなよ」
家から学校まで通る大通りを一台の2tトラックがこちらに向かって走ってくる、右視界にうっすら見える最近出来たばかりの内科病院の壁にかけられた設置時計が、午後4時34分を指した。
「家で何してんの?」
「本読んだり、ゲームしたり、あとは外で適当に暇つぶし」
「へー、わたしゲームはしないけど雑誌は読むよ、この髪も雑誌みてやった」
家がある正面方向から頭が動かないが、彼女の髪が柔らかい風で少し揺れるのが見える。団地に入る階段前で彼女とは別れた。この日から彼女とたまに帰るようになり、自然と怖いといった偏見はとれた。
中学生になると登校ルートが変わることもあり、樹里とは話す機会も減ってしまった。ある日教室の前に人権団体主催のポスターが貼り出された。「虐めた、虐められた、そんなあなたの経験を共有しませんか」、ゴッシク体文字で書かれた太文字が青空の背景にしっくりくる。詳細欄には、一学年から二人選ばないといけない旨が書かれていた。
「それ、わたしでるねん」
当然樹里に話かれられびっくりする。彼女はいつも嵐のように現れ、去っていく。
「なんか虐めたりでもしたん?」
「ぎゃく、○○はなんでポスターみてんの」
「気になったから、多分参加しないけど」
「そう、最近どうなの」
「別に、いつも通り」
耳を突き抜けるチャイムが鳴り響く。スピーカー下だけどさぁ、チャイム放送の音量はもう少し下げてほしい。
「じゃ、またね」
彼女が移動に遅れたクラスの一団に混ざって、理科室へと消えていく。とても彼女が虐められているようには見えなかった。一度だけ一緒に下校している所をからかってきた同級生に向かって
「あんたモテないでしょ。さいあく、いこ」
なんて言っていたような奴だ。にわかに信じがたい事実だ。
走る背中を見送りながら、内面をもっと覗いてみたい欲求が沸々とわきあがる。
応募者は以外と多かった。自分もその一員となり、虐められた経験と、友達を裏切った事を後悔しているといった物語を適当にでっちあげた。全ては樹里の隠された一面を知るための行動だ。
後日先生に呼ばれ、樹里と自分が選ばれていることがわかった。全ては自分の計画通りに動いていることを知り、内心ほくそ笑んでいた。
話し合いの当日の朝、学校に彼女と僕の2人、それに加えて他学年の人や先生が集まった。
「皆さん、マイクロバスに乗り込んでください」
バスに乗り込むと隣に彼女が座る。
「ねぇ、なんでここに参加してるの?」
「いや、昔虐められたから」
「へぇ〜、、確かに。弱そうだもん」
「なんやねんそれ」
他愛のない会話を続けていると、いつの間にか地域の市役所のような場所にいた。
「皆さん、付いてきてくださいね。それで他校の生徒さんと交流しましょう」
他校の生徒なんてどうでもいい、早く彼女が話す所を間近で見ていたかった。
他校の生徒が必死に各々の虐められた、やってしまった話を、時には泣きながら発表している様子を横目で見ながら、外の枯れ木を眺める。早く葉っぱ咲かないかな
「○○くん、貴方の出番ですよ」
虐められた、虐めた、どちらも経験した文を先生を真似て読み上げる。"この2つのポイントを押さえてるから、自分が選ばれたんだろうなぁ"、こんなことを考えていたらいつの間にかスピーチは終わった。
「○○くん、ありがとう、色々経験して大きく成長したんだね、先生ちょっと涙が」
わぁ〜、先生ご免なさい、全部嘘です。ちょっかいかけてきた奴はいましたけど、虐めたことも含めて全部創作しました。口にしたかったが、こんなこと言ったら場が破綻する。仕方ない、先生が落ち着くのを待とう。
「じゃあ次は樹里さん、お願いね」
彼女が席を立ち溌剌とした表情で語り始めた。自我が強すぎるせいで部活内で嫌われ、シカトされる事から始まり、親と旨くいかず家出を繰り返している内容が語られる。
彼女がクラスや部活からシカトされている噂は薄々聞いていたが、実態はかなり酷いものだった。同性のクラスメイトが全く口を聞いてくれないなんて、自分だったらどうなるんだろう。
瞬間、暗い表情をする他校の生徒達を見て、この場に来たことを後悔した。そもそもこんな場所に来てまで、傷を舐めあってる奴らと何でいるんだよ。マジでキメェ、樹里のそんな所知りたくもない。
樹里はその後ピアスを開け、髪を染めるようになり、学校の生徒指導室行きになることが多くなった。見兼ねた親に入れられた塾でも暴れて、完全に腫れ物扱いだ。
あの時彼女と何を話せば良かった?