雨令 礼 国際学校 一階 午後六時〇八分二十一秒
反動によって跳ね上がった銃、全身に走った衝撃。それらを殺しきり、手の中の銃のスライドを引いて廃莢する。
「先輩!」
「油断するな、ベネル。危険だと判断したなら迷わず撃て。桜花を頼んだ」
散弾の直撃を受け転倒した眼前の一体と、斜め方向からゆっくりと迫る顔の右半分から骨の露出した一体を警戒しながらもウェストポーチから予備弾をとりだし、装填する。状況が状況だ、いつでも撃てるようにしておいて損はない。
背の桜花を背中合わせ状態でベネルに渡し、再び眼前から迫る怪物どもと相対する。
いつもの学校の、玄関ホール。それなりの広さ、外見的な美観、および情報伝達のための機能と学校と言う機関に求められる最低限度の設備を兼ね備えたそこに、『奴ら』がいる。
正面に散弾を胸部にまともに受け、拳大の大穴を空けた者が一体、その右斜め方向から迫る者が一体、自分たちの背後、入り口方面からゆっくりと迫ってくるものが七体。合計は……九体。
「…………多い」
「大丈夫だ、由梨絵。あいつらはノロいし、この数なら俺だけでも………」
背後、桜花を背負ったベネルと鉈を手にした由梨絵の会話。
確かに、状況から見て突破は難しくない。こちらの持つ銃は二丁、うち自分が手にするのは使い慣れた狩猟用のショットガン、装弾数は八発で予備はあと十一発。もう一丁はベネルの手中にある小型のリボルバーで、その装弾数は五発、予備弾は四発だ。
確かに、装備だけ見れば突破は容易。背後から迫ってくる者をすべて無視し、前方へ逃れればそれだけで済む。
が、
「ベネル、だから油断するなと言っている」
眼前、先程12ゲージの散弾を確かに命中させたはずの一体。肺が破れ肋骨が粉砕し胸筋が断絶し心臓が喪失した、そのはずの一体が、
ゆっくりと、
ブリッジ姿勢からの復帰のような、ゆったりとした動作で、
その体を、
生きているはずのない体を、
起こして、いた。
「………!」
半ば予想通りの光景、半ば予想通りの展開。が、精神はその光景が現実であることを認識できず、結果として反応がワンテンポ遅れ、
「はゆるいあああしすっつかさしみちふぇりおあさせ」
奇声を上げながら迫ってくる、背後のやつらに気付かなかった。
「! ベネル!」
「はい!」
意思疎通はまさに一瞬。自分では間に合わないと、そう判断した瞬間、反射的に支持を飛ばしていた。
残り一メートル、しなだれかかられれば届くような距離にいたその化け物を、ベネルは射撃する。狙いは頭部、至近距離において狙うのが用意であり、一撃必殺を可能とする人体の急所中の急所。
―――― ドガン!
大音と共に視認不可能の弾丸が飛び、怪物の眉間、その中心を撃ちぬく。その衝撃からなのだろうか、そいつの全身から力が抜け、崩れ落ちた。
………後ろは、
もう駄目だろう。迫ってきた一体、それを打ち倒すに行った発砲、それに反応したのか、入り口から続々と奴らが侵入を開始し、もはやこの校舎への入り口は完全に塞がれている。
………なら、
「ベネル、前だ。可能な限り高速で前を突破して、上へ行く」
「了解!」
「ん………」
「由梨絵はベネルと俺の間へ続け。ベネル、桜花に気をつけろ。かわせる『奴ら』はかわしていく」
「はい!」
指示だけを飛ばし、手の中のショットガンを眼前から迫る一体へと発砲、倒せはせずとも転倒させ、その脇を抜ける。が、その隣の一体が更に迫り、
「っ」
一瞬の判断で銃身を用いて顔面をはじき、そのまま胴を蹴り倒す。あっけなくバランスを崩したそいつをそのままに、小走りのまま包囲を抜けていく。
抜けた先にあるのは、玄関ホールから離れるための通路。そしてその入り口付近にある階段だ。
銃を構えたまま玄関ホールを小走りで駆け抜け、その先の廊下へ駆け込―――
「先輩!」
「くっ!」
む、その寸前。
「剥ぐ許しぎゃはねめいしす、おあきすえうふぇりあ」
前方の廊下、その先からやってきた一体によっていともたやすく肩を掴まれ、押し倒される。全身に衝撃が駆け抜け、手の中のショットガンがあらぬ方向を向く。
「ベネル!」
「げっついきおぱいしへうすがべねヴぇしえ」
正面、俺の体を食さんとその顎を接近させる力に全力であがらうため、鼻のなくなったそいつの顎を押さえつけその首を可能な限り引き離す。
が、
…………ぐっ。
強すぎる。
成人の男程度なら余裕でその首を捻り上げられているはずの力を込めているにもかかわらず、その首は一切離れない。そればかりかその力の前に俺程度の力はすずめの涙にも等しく、結果全力抵抗の甲斐なくそいつの顎は俺の首へと迫り――――
――――ドガン!
頭頂部を射撃されたことによりそいつの全身から力が抜け、一気に体を押しのけることに成功する。瞬間的に体を跳ね起こし、ショットガンを再び構え、
「すまない、助かった」
「いえ! それより………っ!」
後方、ベネルの体が高速で翻り、後方に向かって銃を構えて発砲する。一発、二発、三発。それらすべては接近してきた三体すべての胸部に命中し………
「ベネル…っ、駄目……」
それでも一切倒れぬそいつらを前に、由梨絵がベネルの手を引いて強引に前へと導く。
「同感だ。この場は引く。再装填の時間も、ない」
ただの鉄塊と化した拳銃を握ったまま、由梨絵に引かれるままにベネルが前へと進む。俺もその後方に続く形で前進し、廊下の入り口に倒れ動かなくなった『奴ら』をまたぎ越えて階段へと向かう。
………そういえば、
思い返す。倒せた『奴ら』とそうでない『奴ら』、その差異を。一体目は胸部を吹き飛ばした、二体目は額の真ん中を撃ち抜いた、三体目は散弾で胴に穴を開けた、四体目は頭頂部を撃ち抜いた。
人間であれば致命傷となっているであろう傷を負った『奴ら』は、この四体。
そのうち、今なお行動していないものは二体目と四体目だ。
………どういうことかは――――
大筋想像がつく。が、まだ不確かだ。せめて後一体、後一体を潰せば、確証が持てる。
階段を駆け上がる寸前、足を掴まれた。
「………くっ」
振り返れば、そこにいるのは先程蹴り倒した一体。首の肉が欠けているにもかかわらず執念としか思えぬ力で俺の脚を締め上げ、
「っ」
無言で銃口を向け、頭部めがけて発砲した。
音速超過の鉛の小粒によって巻き起こる破壊はまさに炸裂。ほぼゼロ距離で叩き込まれた無数の鉛粒はその発射先に存在した頭部の半分を完全に肉片と散らせ、辺りに肉片と血液と脳漿と、そして鉄錆と硝煙の臭いを漂わせた。
俺の脚を掴んでいた『奴ら』の腕から、力が抜ける。
再び動き出す様子は、見えない。
「…………なるほど」
言いながら四つん這いに近い姿勢で階段を駆け上がり、途中で姿勢を起こす。すでにベネルたちは踊り場だ。桜花を背負いながら、よく走る。
「ベネル、由梨絵、頭だ。頭を潰せ」
再び散弾銃を構えながらの姿勢に体を起こし、一気に階段を駆け上る。振り返って階段までやってきた『奴ら』めがけ、発砲。
「頭を?」
疑問符を浮べながらもシリンダーを展開して空薬莢を廃莢し、滑らかな手つきでリロードする。一発不足しているので一箇所は空になったが、それでもこれで十分戦えるはずだ。
上から降り注いだ弾丸によって頭を潰され、階段下に群がってた『奴ら』のうち数体が倒れる。それを確認し、俺は踊り場のベネルに追いついて、
「最低限を残して荷物を捨てろ。武器は持っていて損はない。由梨絵、まずいと思えば頭に鉈を叩きつけろ」
「………うん」
言いながら俺も背に担った荷物を破棄、外側のポケットに入れておいたマグライトのみを取り出し、階段を上る。今重要なのは一度安全な場所へ隠れること、その上ですべての敵から未発見の状態に戻し、情報の収集と、現状の把握を行うことだ。
………そのためには、
眼前に二階への廊下、その入り口に立ちふさがった一体の頭を吹き飛ばす。
………まず、逃げ切ること。
頭の上半分がなくなりかなり滑稽な人型と化したそいつの向こう側から、更に四体が迫る。生存のためなら、その向こうへ行くのは愚策としかいい用がない。どれだけ弾丸を消費するのかわからないのだ、避けられる敵は、避けるしかない。
「上だ」
「はい………っ」
「ん―――っ」
息を切らせながら二人が俺に続く。下から走り通し、しかもその前は道ともいえぬ道を歩いた後だ。由梨絵は元来体力のあるほうではなく、ベネルも軽いとはいえ人一人を背負っている身。体力の限界も、近いかもしれない。
階段を上り、踊り場に達する。四体分の『奴ら』の死体。一瞬身を引いて銃口を向けるが、動きはない。死んでいるようだ。
無視して更に階段を駆け上が――――
更に上へと向かう階段から、手すり越しに『奴ら』。
「ぐっ……?」
右の二の腕を全力で握り締められ、腕全体の感覚が一瞬で喪失。血液の流れを静止される不快な圧迫感が右腕全体を駆け巡り、手の中からショットガンが滑り落ちそうになる。
「この………っ」
左手でスライドを保持し、今まさに腕に喰らいつかんとしていた『奴』の眉間に散弾を叩き込む。血液が散乱し、脳漿が付着し、不快感をあおる。腕を掴んでいた『奴』の腕から力が抜け、自由となる。
が、
「………しまった」
発砲によって生じた、大音。校舎全体に響きかねないほどの大音量は瞬く間にワンフロアを駆け抜け、結果………
今まで気付かれていなかった、三階中の『奴ら』に、自分たちの存在を誇示することとなる。
「ベネル! 下がれ! 下だ!」
「駄目です! 下はもう………」
振り返った先、銃を階下に向けるベネルがいる。
その目線の先、階段を這い登る無数の『奴ら』。
「くっ」
内心で舌打ちしながら、三階のほうへと銃口を向ける。
接近するは、六体。
銃の中の弾は、残り四発。
再装填の時間は、ない。
ベネルの弾をあわせても、残りは八発。突破は出来ても、その先に続くかどうかは、わからない。
………だが、最良がそれである以上はやらざるを得ない、か。
心中で呟き、階上めがけてトリガーを絞る。
響き渡る轟音、飛び散る散弾。狙いを定めずに放たれた銃弾は階上にばら撒かれる形で散らばり、そこから迫る『奴ら』の体制を致命的なまでに崩す。
逃さず二歩、階上を目指す。
「上だ。もう上しかない」
言いながら足元、踝へと手を伸ばしていた『奴ら』一体の顔面を蹴り飛ばし、背を踏みつけて三階へ。今まさに起き上がろうとしていた一体の顔面めがけ発砲し、コッキング。背後からの銃声と同時に進行方向上にいた一体が倒れ、道が開かれる。
「急げ!」
「わかってます!」
三階廊下を、直進する。目指すは教室郡。その一室の中に身を潜めば再装填の時間程度は稼げるはず。内装によってはバリケードを張って逃れること………も………
「左だ!」
「っ」
「………」
右側の教室の窓、そこからなだれ込むように廊下へ『奴ら』が落ちてくる。その数四体。一歩跳躍が遅れていれば今頃は『奴ら』の口の中に肉片を提供していたはずだ。
「相手にするな! 前へ!」
「了解!」
「ん………っ」
更に前へと走る。教室郡まであと廊下一つ曲がった先だ。その先に『奴ら』が満ちているかはわからない。が、少なくともそこまで到達しなければそんな心配も出来なくなる事は自明の理、なんとしてでも、逃げ延びねばならない。
背後を振り返り、二人の肩越しに接近してきた『奴ら』めがけて発砲する。
命中するかどうかはこの際問題ではない。曲がる以外に道行きのないこの廊下で追い詰められれば、それで終わりだ。
………残り、一発。
走りながらの再装填は不可能。事実上、姿を隠すまでに残されたこれが最後の弾丸だ。
廊下を曲がる。
その先にあるのは自分たちのホームルーム教室が存在する教室群。どれでもいい、その一室に身を潜められれば…………
――― パガン! パガン! パガン!
寸前、廊下の内側、団子状に固まった『奴ら』の中から銃声が響く。金属のスライド音が混ざってるところから、間違いなくオートマチック拳銃、思い出すのは教室の中の風景。背後を走るベネル、彼が護身用として持ち込んでいた一丁の銃の存在を。
そして、それを扱う人間が存在するとすれば、
それは、誰になる……?
銃声に応答するように、三体の『奴ら』が倒れた。
内側から姿を見せるのは一人の少年。やや長めの白髪交じりの黒髪、鍛えられた上半身。手の中に拳銃、コルトM1911A1。
ハリス・レイン。
「ハリス!」
背後、声を上げたベネルの声に、ハリスが振り向いた。
「ベネル! やっぱりだったか」
「会話は後だ。まずこの状況をどうにかしたい」
廊下に溜まった残り一体の脳天を吹き飛ばし、予備弾を一発装填する。
「ええ、わかってます。教室の中へ! とりあえず、その先は今は安全です!」